2031年 西日暮里の宇田ママの「スナックりりぃ」で俺は酔っ払ってカラオケを歌っているだろう
ぺぺぺの会の演劇は在り方が面白いので1回見ても充分楽しめる。けど1回じゃ理解出来なくて毎回キョトンとしながら帰るってことが続いてたのは正直なところ。
けど分かりやすいことが必ずしも良いことではないし、ぺぺぺの会がやりたいことをやりたいようにやる、それを見ることが楽しかった。そこに大規模な商業演劇と違う楽しみと意義があると思ってた。
面白そうな女性の若い音楽家や歌手や映像作家の小さなイベントに行ったら、60代ぐらいのオジサンがやや上から目線で押し寄せる…みたいなのを何回か体験して、え?そうなの?気持ち悪りぃ〜なぁ〜、けどオジサンの気持ちもちょっと分かるって。だからぺぺぺの会も公演以外のイベントは参加しなかった。
そしてコロナ禍。演劇のカンパニーや映画館、映画監督を追いかけてぺぺぺの会以外にも自分に出来ることはやろうと積極的に出掛けて行くようになった。
ぺぺぺの会はNPO法人でもなんでもない学生さんだから、本当に野ざらしにされたように思って辛かった。きっと『斗起夫』で客演で参加されてた皆んなもそうだったんだろうねって、ぺぺぺの会をウォッチしてたから少しだけ分かる。
そして「斗起夫」のWIP。
WIPで戯曲を見せてもらった時、色んなトピックについてネット上で呟かれてることを切り取って並べた印象が強くてとても不安だった。分かりやすいセンテンスの列挙の中に会話劇が挟み込まれてて。
宮澤さんがどんなバックボーンを持って、経験して、ぺぺぺの会で演劇を作ってるのか全く分からないのだけど、例えばシェイクスピアとか別役実とか寺山とか過去のテキストを踏まえないで…踏まえないフリして?…素手で世界に立ち向かう!そんな劇団だと思ってたし、そこに好感が持てたし痛々しくも思ってた。
けれども赤瀬川原平には似てる。演劇をやるフリして演劇をやらない、演劇をやらないことから演劇を始めるみたいな姿勢に惹かれたのが「夢の旧作」。
赤瀬川さんたちハイレッドセンターの活動はハプニングなんて呼ばれることもあった。グリーンシアターって《場所》にあがなう感覚はハプニングとパフォーマンスに悪ふざけを交えた知的なモノに思えたんだ。
さて。俺の最寄り駅と言って良い北千住だから仕事帰りに毎日見れると待ちに待ったBUoY。
やはり石塚、佐藤、熊野、新堀の4人に目が行ってしまうので彼等を中心に「斗起夫」を見ることになる。
石塚さんはいつもとは違う…インスタントレアリスムから少しずつ変わってきた…とても肉感的、と書くと違うんだけど、冷たくて薄い肉に熱い血が細く無数に流れているような…理屈っぽい台詞を大声で叫んでた頃よりもっと…歩いてるだけで息遣いや鼓動や体温を感じる人になってた。性別を上手くブリッジしてたんじゃないかな。宮澤さんから良い役を貰ったと思うし、戯曲を読んだ時の俺のイメージがいかに貧困だったのかと思った。それを支えていたのが佐藤さんだった。
3回見させてもらったけど確かに1回目に見た佐藤さんは物足りなく感じた…それは作品全体のデザインとしてよりも、フツーに佐藤さんが見たい!と思ったら肩透かしを食っただけで。歩く新堀さん石塚さんに対して、立っている佐藤さんと熊野さん。
今回の佐藤さんは全体を通す裏ストーリーを誇張せず素に近いリアルで見せてくれたように感じた。「斗起夫」1作で佐藤さんの魅力を判断するのは難しいけど、ぺぺぺの会を続けて見てる人には「斗起夫」の佐藤さん充分面白かった。そんなカンパニーを追いかける楽しみもぺぺぺの会は教えてくれた。
立っていた人でもう一人印象的だったのは百合役の松浦さん。ブルーシートの下の体に存在感を与える。選べることと選べないことがある。百合は選んだ人のように見える…っつーか選んだ人であって欲しいって俺の願望で見てたかも。
この松浦さんが口火になって「親ガチャ」のマイムが始まるんだけど、この展開は回数を重ねて見るほどに抵抗があったんだけど、カンパニーとしての熱が、これは大人の男たちでは出せない熱にほだされた。良いとか悪いとか分かるとか分からないとかじゃない「やれ!やれ!思いっきりやれ!」って。2022年の除夜の鐘を聴いてる感じでしたね。ゴォ〜〜〜ンって(笑)
十和田監督役の小沢南穂子さん、体つきは女性、吃音?彼の映画の中に斗起夫がいて。面白い存在だったから導入部だけとは勿体無いように思った。どうすれば良かったのかをまとまらないまま書けば、小沢さんと熊野さんの接触があっても良かったのか?…小沢さんの体と声は面白かったからもう少し舞台を歩いて欲しかった。
他に印象に一番残った体は宇田さんの大きさ。小林さんの小ささ。宮澤さんの薄気味悪さ。集団でのマイム、鳥。しゃがみ込むジャムとムギ。
宇田さんは面白いね。台詞のない時の宇田さんを見るのが辛かったもん。ビンゴ大会の時に「44番!」って言うだけでBUoYをお店みたいな空気に変えるの笑いました。真面目に女優さんの体や目鼻立ちの小型化縮小化を危惧してますので、宇田さん頑張って欲しい。
そして新堀さん、と言うより新堀さんと宮澤さんで作った「斗起夫」がどうだったのか。正直難しいです。面白いとも勿論面白くないとも、もっとこうすればとも言えない。Twitterでも言ったけど「男」についての内部情報の羅列を《善悪》や《ストーリー》で処理してないから「そだね」しかない。付け加えるなら20代はまだまだキツいねー。年齢を重ねればもう少し楽にはなる、解決はしないけれど。
母親を不在にしたこと。父親の死。両親に手を付けると古い《お話》に絡め取られそうで怖いし、どうすれば良かったの?アレで良かったのかな?って逆に質問しちゃう。
序盤の斗起夫とナナちゃん、わらびのやり取りは少しくすぐったい。部分としてのペニス、オナニー、結婚、肉体関係を失ったあとの恋人同士。やはり「大人」の不在が気になる。「大人」の不在をハタケが社会として補おうとしてる?ペニスや性がますます《部分》として拡大していく、そっちに行っても何もないよ?って見ながら言いたくなる。
イメージをまとめられないまんま親ガチャに雪崩れ込んでしまう…その展開が…好き(笑)
俺はいつも分かろうとする努力を投げ出したくて演劇やら何やらへ出掛けてるんだろうね。勿論その時には必ずある『納得』みたいなのが持てなくちゃいけないんだけど。
どう納得してたのか?説明出来ないんだけど石塚さんと佐藤さんが居て、しかも二人があのマイムで全力で叫んでたこと。
だからあの展開はノレた。ペニスをもぎ取られたような「斗起夫」と一緒に俺も置いてけぼりを喰ってノリノリでマイムを見てた。
ね。これいつまで書いても新堀さんと斗起夫の感想を始められそうにないのです。
図らずも役者として登場した宮澤さんはこんな身も蓋もないホンを書いてウネウネした半勃起な…バキバキには見えなかったよ…ペニスそのものとして現れるから気持ち悪りぃったらなかったし、俺の年齢に近い55歳を過ぎてたって設定も何だか許せない(笑)んだけど。身も蓋もないんだよね。世の中ったら「身も蓋もない」。それが不安で古びた「蓋」を持ってこようとする輩が現れて。
やっぱり最低もう一人男の演者が欲しかった。ペニスと生殖に偏り過ぎてしまったかな?
「身も蓋もない」って便利な定型文を書いちゃったら何だか俺の気が済んだので(笑)まだお芝居全体の半分しか行ってないけど1度書くのをヤメます。
また近い将来再び皆んなが集まって、時節を取り入れた『斗起夫202×』を演ってみるのも面白いかも。
*(-.-;)y-~~書き殴りのTwitterと違ってnote大変だ!
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