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小さい子ばかりのくもん教室に通い続けた

小学校5年生からくもん教室に通い始め、英語の勉強を始めた。

私は「何やら英語を勉強しなければいけないらしいぞ!」というふんわりとした世論がちょうど日本に台頭し始めた時期に子ども時代を過ごし、うちの親もとりあえず入れておくか、ぐらいの軽いノリで娘の私を近所のくもん教室に突っ込んだのだった。

柔らかくて古いにおいがする先生のお家の一階には広間があって、そこに幼稚園から小学校低学年ぐらいの子たちが長いちゃぶ台に座って勉強していた。

何もかもが小さかった。

ちゃぶ台は膝より低かった。
床に座っていた子どもたちも、ずいぶん年下でぷにぷにとしていた。
先生たちも角にこじんまりおさまっていた。

一方私は年の割にひょろりと長く、大人のような背丈をしていたので、はじめて教室に足を踏み入れた時は少し場違いな気がして、どぎまぎした。

でも、教室の奥の奥まで見渡せば、小さな子たちがずらりと座って一心に机に向かっていて、少しワクワクしたのだった。

くもんでは、生徒は自分のレベルに合わせた教材を渡される。
英語をはじめて学ぶ私は、アルファベットが大きく書かれた絵本のような冊子を渡された。

低くて長いちゃぶ台に、小さな子たちと並んで座ってはじめての英語を学んだ。
妹より年下に見える隣の子がゴリゴリと難しい問題を解き進める中、大きくて年上のわたしが絵本を広げてア、ア、Appleとか言うのは少し照れ臭かった。
適当にやり過ごして帰りたい、とうじうじしていた。

そうしているうちに、うじうじしていても家には帰れないことに気づいてしまった。
そこで腹をくくって「ええい恥はかき捨てだ」、とCDの音源を真似して口に出してみると、今までの人生で口から出たことのない音が出て、面白かった。
絵本のキャラクターが「うん」を「Sure」と言っていて、その言葉を実際にわたしも言えたのが、楽しかった。
でも、どうしてもRの音をCDで聞いたみたいに出せなくて、日が暮れた後の帰り道に小声で練習しながら帰った。
「うん」を違う国の言葉でも言ってみたいな、と自転車を押しながら一人で練習していたのだった。

わたしはまたたく間に知らない言葉の世界にのめりこみ、先へ先へと教材を進め、「もっと難しい教材もやりたい」と先生に噛みついていた。

そうして2年が過ぎ、わたしは中学生になった。
もちろん、勉強では英語が文句なし、いの一番の得意教科だった。

新しいことだらけの激動の中学1年生をようやっと終えたころ、夕飯の後のリビングで、母が突然わたしと妹に告げた。

「パパ、インドに転勤になったけど、どうする?」

社会人になったいま、父と母の動揺は想像するに難くないが、子どもの頃のわたしももちろん混乱した。

どうする、って何?とぐちゃぐちゃの頭で何とか聞くと、父だけを単身赴任者として送り込むか、家族4人で移住するかの選択肢があるらしい。綺麗好きの母は、当然父だけをインド送りにしてどうにか事を済ませよう、という目をしていた。

ところが当のわたしは、英語を勉強し始めていたから、きっと知らない場所に行ってもどうにかなるだろうと思っていた。

それどころか、きっと「うん」よりもたくさんの知らないことが待っていて、楽しいんだろうなと思っていた。

「んじゃ、一緒に行こっかな」

と、中学生のわたしは、父だけを単身赴任させる気でいた母と、それを甘んじて受け入れる覚悟を決めた父を、スーパーに行くときみたいな軽い返事で更なる混乱とカオスに巻き込んだのだった。

それからインドで過ごした2年半は、やはり刺激的で、楽しくて、辛くて、信じられないことばかりだった。

最初の半年は学校の先生の言っていることがさっぱりわからなかったので、授業中は空を見ながら瞑想していた。
そして先生になじられ、クラスメイトにもイジられていた。
でもそれもわからなかったので禅状態を保っていた。

やはり思春期の女子というものはおしゃべり好きなもので、クラスの子の一人と意気投合し、毎日放課後タピオカを飲みに行くようになってから、わたしの英語力はめきめき上達した。
月日が経つにつれて、徐々にほかのクラスメイトとも打ち解けて、インド人だけでなく、アフリカ、韓国、中国から来た同級生とも会話できるようになった。
押せ押せのインド文化に揉まれて、日本に帰国する頃にはずいぶんと人と怖がらずに会話できるようになっていた。

小学5年生の時くもんに行ったからといってすぐに英語がペラペラになったわけではないけど、知らない世界に飛び込む楽しさを知って、はるか異国の地でたくさんの友達を作ることができた。
そして、英語を学んで色々な人と話してみて、世界は自分が身構えていたほど大きく怖いものではないことがわかった。
これらの記憶は大人の私の自信にも繋がって、今では国際的な職業について毎日を楽しく忙しく過ごしている。

知らないことは知る楽しさに気づけたのは、くもんで初めて英語を口に出したあの日だったと思う。
あの時くじけずにくもんに通い続けて本当によかったと思っている。

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