見出し画像

そろそろα7について語ろう

お盆が過ぎ、そろそろ夏も終わりに向かっている気配をうっすら感じ始める今日この頃、みなさま如何お過ごしでしょうか?
今回もまた、雑記のような形でタイトルにもした「SONYのα7」について、2023年の今思うことを書き留めていきたいと思います。


仕事でも使ってます(マジ)

僕は初代α7を未だに仕事の現場でも使用しています。仕事仲間からは、もはや狂気を感じるとまで言われていますが、自分的には全然アリなのでいたって正気です。(かねてから、僕は初代αシリーズのファンだということを公言しているのである)
無印、R、Sと一通り使用していましたが、無印に関しては、ここ数年手元を離れていましたが再び買い戻しました。(2023年にもなって)

なぜ買い戻したのかということについて触れておくと、
1.初代の色味が好き
2.2400万画素欲しくなることが増えてきた
3.Rは画素数は必要十分なのだが、シャッター音が好きになれない

これらの理由からです。

特に、1の色味。
初代のαシリーズ(無印、R)に関しては、独特なカラーサイエンスがあるのか、撮影したデータの色味がコッテリとした発色をしてくれていると感じます。これが、個人的には好きなポイントです。
僕は普段から、ツァイスのMFレンズを多用しており、これらのレンズと初代αの相性がとても気に入っています。

AF精度の悪さ

結論から申し上げますと、僕が現在使用するレンズの大半はMFレンズのため、AF機能には殆ど頼らないので問題なしです。
とはいえ、AF対応の純正レンズを使用することもありますが、動きの激しい被写体(スポーツ、動物など)を撮ることは無いので、これでも十分なわけです。
最新鋭の機種では、高度な瞳AFでピントを外す方が逆に難しかったりしますね。(知人にα7ⅳを借りてちょっと試しましたが、おったまげました)
ですが、ここまで機械任せになってしまうと、写真を撮っているのか撮らされているのか、よく分からなくなってきたので、あまり好きにはなれませんでした。

撮らされているといえば(余談)

街でスナップなどをしていると、明らかに綺麗な光で撮ってくれと言わんばかりの状況に出くわすことがあります。僕はこの時、咄嗟にカメラを向けてしまうのですが、その瞬間に「ちょっと待て、今この光景に撮らされてないか?」と思うことが多々あります。
この「撮らされている」というのが問題で、自分が撮りたいのではなく撮らされているということが、写真撮影の主導権を握れていないような気がしてならないのです。

余談終わり

まとめ

初代α7を2023年にもなって使用している(仕事でも)なんていう人種はそれほど多くないでしょう。(僕の知る限り周囲にはいません)
それでも、何故α7を使うのかというと、単なる愛着みたいなものです。
写真を撮るという行為はカメラ無くしてはできません。カメラは自分の最も身近で信頼をおけるパートナーのようなもの。自分が愛情をもって使いたいと思えるカメラは、何であれ大切にしたいものですね。


インスタもやっております


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?