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安部公房論ーキンドル氏とねこ(安部公房初期短編集)から読解Ⅲー

安部公房論ーキンドル氏とねこ(安部公房初期短編集)から読解Ⅲー

(安部公房初期短編集)からの読解も、これで最後になる。本当は、他にも抜粋したい内容を含蓄した小説があるのだが、取り敢えずは、『キンドル氏とねこ』からの文章を考察することで、(安部公房初期短編集)の読解を、終えようと思う。丁度、この小説の半年後に、『壁』に着手する安部公房は、様々な実験を、この『キンドル氏とねこ』で、行って居る様だ。カルマという人物も登場し、非常に興味深い。つまり、『壁』以前と、『壁』以降に、分断される時の、『壁』以前の、直近の小説と、ほぼ断定して良いだろう。この小説、非常に変わっているのだが、とにかく、考察を始めるとしよう。

まず、初めのほうの箇所を抜粋する。

声もなく、すべるように、素早く後手に戸を閉めると錠まで下ろして、じっと向い合って立ったその顔は蒼ざめている。
「陰謀よ。」
キンドル氏はすぐに返事をせずに、はらいのけるように手をふると机の前にかえって、しばらく考えこんだ風をしてから、
「何んのことだかさっぱり訳が分らん。」

『キンドル氏とねこ』/安部公房

何やら、事件めいた雰囲気が漂っているが、主人公のキンドル氏は、「何んのことだかさっぱり訳が分らん。」、と言い放つ。この抜粋箇所だけを見ても、この(安部公房初期短編集)の埴谷雄高的な、鬱屈した内容とは異なり、何か新しい世界が開ける予兆が見受けられる。それは、『壁』という小説で芥川賞を取る安部公房の、いわゆる急ぎ/加速、の衝動世界である。物事を煙に巻く姿が、其の侭、安部公房とキンドル氏の接点を思わせる。また、深化した言葉で言えば、憑依、であるとか、投影、であるとか、そういった具合である。小説を読解すれば、キンドル氏は、殺人犯の疑いをかけられているようなのである。

続いて、登場する、コモン氏の台詞。

「気を静めて下さい。物事は現実の中で処理することにしましょう。」

『キンドル氏とねこ』/安部公房

「あなたが殺人犯人でないことは、誰がなんと言っても信じます。それだけは誓ってもいいですよ。」

『キンドル氏とねこ』/安部公房

どうやら、コモン氏というのは、キンドル氏の味方らしい。抜粋した箇所では、キンドル氏の身を案じて、必死に説得するような態度が見られる。急加速で、小説は切迫した状況へと転移する。何か、が始まる予感というものが台詞からは看取出来るが、この小説も未完なため、『壁』への序章くらいに捉えるのが適切かと思われるが、かなり変わった小説なのである。読みとしては、小説家として職業を持つ事が、犯罪ではない、と言って居る様にも聞こえる。安部公房の意識を語ることなく、すぐに小説は終わってしまうが、充分に、小説家としての驚くべき表現が、この小説に通底していることは、小説を読めば分かることだ。

(安部公房初期短編集)は、この『キンドル氏とねこ』を最後に、持って来ている。短編集の最後として、非常に適切な配置であろう。漠然とした、訳の分からないものに、安部公房が必死に向い合って居る姿が想像できる。これまで、(安部公房初期短編集)を読解し、方法論を探ってきたが、この『キンドル氏とねこ』程、方法論の分かりにくい、構造を持っている小説はこの小説のみである。つまり、方法論すら、分からないように、実験的に書かれており、方法論の消失=安部公房の前衛、が見られる小説なのである。この後、述べた様に、安部公房は、素晴らしい芥川賞作品、『壁』というものを書き上げるが、何かが悪く言えば狂ってしまった、良く言えば、その狂いが小説家としての独自性を生んだ、ということになるだろう。そういった意味で、『キンドル氏とねこ』は、『壁』の読解において、最重要の意味を、(安部公房初期短編集)の中で持っている、と言えそうだ。

安部公房論ーキンドル氏とねこ(安部公房初期短編集)から読解Ⅲー、もここで終わるが、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、と、安部公房論ー(安部公房初期短編集)から読解ー、として考察して来たが、非常に有益なものが得られたように思う。結句、『壁』以前の、集大成としての、(安部公房初期短編集)は、安部公房を研究するには、必須の本であると言える、という結論になった。何がどうなって、この様な短編小説が生じたかは、安部公房論ー(安部公房初期短編集)から読解ー、を読んで貰えば、少しは分かって貰えるかと思う。拙稿ではあるが、安部公房と真剣に対峙した時間を持った、安部公房論が書けた様に思う。この後は、もう、(安部公房初期短編集)の読解は行わないと思うが、何れ来る、『壁』以降の安部公房文学の考察の時に、今回の、安部公房論ー(安部公房初期短編集)から読解ー、で述べた内容を、共通項を持つ小説として蘇生させ引用することは、起こり得ることだ。例えば、『壁』の方法論を執筆する時に、『キンドル氏とねこ』を敷衍することは、充分に考えられよう。これにて、3回に渡った、安部公房論ー(安部公房初期短編集)、を終えようと思う。

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