我慢するなら、せめて納得したい。

そりゃあ我慢せずに生きられたら良いけど、そんなに毎日都合よくいかない。

でも、何かに耐え続けるって、辛すぎる。

そればかりか、「自分ばっかり我慢しているのに」と他の人を恨めしく思ってしまう。

人を恨んだところで、むしろ気分が悪くなるのは自分なのに。

どうしたもんか。

状況を変えられないのなら、我慢の意識を少しでも変えられないだろうか。

我慢は我慢でも、納得のできる我慢にできないか。

「我慢しても意味がない」と思ってしまうと、どうしてもしんどい。

「耐えることで得られたもの」があるのなら、それをちゃんと認識するのが大事だと思う。

「これのために頑張った。よかった、我慢した甲斐があった。」

そう思えたら、ちょっとだけ、頑張れる。

もし、どうしても「我慢の価値」を見いだせないとしたら。

それなら、無理に見つけなくても良いかもしれない。

今はまだ、気づいていないだけかもしれない。

誰かが、自分の代わりに見出してくれるかもしれない。

未来の自分か、他の誰かに委ねてしまって、「きっと価値はある!」と思ってしまえば良いと思う。

それだけで、少しは納得できる、かも。

それなら、「価値を見出す事」自体は大して重要ではないと思う。

少なくとも、「価値なんてない!」と自分で決めつけてしまうのは勿体ない。

そんなことしたら、本当に価値がなくなってしまいそうだから。

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