50代のおばさんがうつ病になりました。③
救急車騒動の翌日。
どうやら、ママに負担をかけすぎはいけないと、子ども同士で話しあったようで、長女が自分たちのお弁当を用意することになった。
「少しでも長く寝てね」優しい娘よ、もっと前からやってくれても良かったよね、なんて思ったりする。
さて、救急車で運ばれた脳外科に再受診しなければならない。まだなんとなくフラつくし、なんとなくボーっとして、なんとなく胃もたれもする。昨日の今日だ。それもそうだろう。
仕事は全てキャンセル。アルバイトも休みをもらい、そして、寝たきりの母に電話を入れる。
ここで少し母の話しをしておこう。母は我が家から15キロほど離れた場所でひとり暮らしをしている。
癌が進行してひとり暮らしに難しさが出てきたので、私が母の家に越してきてしばらく一緒に暮らそうか、と提案したが、頑なに母はそれを拒否した。「誰にも迷惑をかけずに死にたい」これが口癖のようになっていた。
母の気持ちもわかるし、できるだけ尊重もしたいので、行政のお知恵をお借りして、ケアマネジャーさんに繋げて頂いた。
ケアマネージャーさんが母に必要な介護を判断してくださり、週に2回のヘルパーさん、週1回の訪問看護師さん、月2回の訪問医師の先生に来てもらえるように契約をすることができた。
この時、リビングに介護用ベッドを入れるため、モノで溢れていたリビングの片付けをし、いらないモノを数日かけて処分した。
モノのない時代に生まれた母。モノを捨てることには抵抗のある世代だ。また、工夫好き手芸好きときている。母は、頂きもののお菓子の箱など、立派な誂のものをさらに布などを貼り自分好みに変身させる。それらにちょっとした土産ものを入れて友人に贈ることが好きだったのである。そのため、大量の空き箱、布地、手芸屋さんを開けそうな手芸道具に囲まれて暮らしていた。
台所に至っては、古い缶詰が大量に出てくるし、少量だけ使った乾物類、冷蔵庫内も中途半端な調味料でいっぱいだった。
スーパーで水漏れ防止にもらえるビニール袋も大量に保管して取っておいてある。食材から汁がこぼれていたであろうビニールまでしまってある。衛生的に使うことを憚れる。
とにかく捨てるなんてもったいなくてできないのだ。しかし、そのモノに対する執着は病気によりあっけなく薄まり、どんどん捨てて良いと許可が出た。
私はどんどんゴミ袋に捨てた。毎度45Lの袋が5袋ぐらいになる。ゴミ収集日まで室内にゴミ袋を放置したくないので、その都度ゴミ袋を持って帰って、自宅のゴミ収集室に捨てた。マンションという集合住宅の住みやすさを実感するのだった。
無事、介護用ベッドをリビングに入れることができ、母は壁をつたって自力でトイレも行けるようになった。
私が「ケアラーという肩書きを持つ」と以前に書いたが、24時間付きっきりで母の介護をしてるわけではない。時間のある時に行って世話をする程度。実際に付きっきりでされている方に鼻で笑われてしまうだろう。
しかし、この母の介護体験が私をうつ病の発症のきっかけのひとつになったとは思う。
ケアマネージャーさんを紹介してもらってから介護ベッドの搬入、また家庭ゴミの個別回収の申請に至るまで、時間を作って母の家へと出向き、打ち合わせやら契約やら顔合わせなど、怒涛の如くとはこのことといった具合だった。正直、あまり記憶にないのである。ケアマネジャーさんが良い人だったから良かったが、全てケアマネージャーさんの言いなりで動いていた。
とてもタイトなスケジュールを組んでベッド搬入までの一連の計画が無事済んだ。
この辺りから滋養強壮剤を毎日飲むようになった。疲れが溜まりに溜まっていて、寝ても疲れが取れやしない。
母には、もちろん私が体調を崩してしまったことを言わない。母は自分のせいで娘が体調を崩したと考えるに決まってるから。
仕事が休めずそちらに行けない、とウソをついた。
ケアマネジャーさん、ヘルパーさん、訪問看護師さんと連携しているので何かあれば連絡があるはずだ。
でも、誰もいない間に何かあったら?という心配から、自分の体が自由の時はできるだけ母の家に行くようにしてるのだ。
母は「大丈夫、大丈夫」とか細い声で言っていた。
枕元に携帯電話を置いて寝ている母。か細い声ながら電話口に出てくれるだけでも安心する。
とにかく、今日は再診してもらいここのところの不調について相談してみよう。
突然の強い目眩、突然の強い頭痛、そして慢性化した疲れ。この疲れが元凶ならば、どうしたら疲れが取れるものなのか。医師に尋ねてみたい。医師なら最善の治療法、または解決法をご存知のはずだろう。
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