ザスパ群馬と草津温泉
朝日新聞(2024年3月13日)の記事
>草津温泉(群馬県草津町)を訪れる観光客が今年度、大きく伸びている。過去最高だった2019年度の327万人を上回るのは確実で、360万人台に達する勢いだ。関係者は「若者世代を意識したまちづくりが奏功した」と口をそろえる。
2002年、「ザスパ草津」というプロのサッカーチームが草津町に誕生しました。その当時、温泉組合の組合長がインタビューで話していた中で、この取組を始めた動機の説明が記憶に残っています。
「温泉旅館で働く若者の給料を東京都内の基準に引けを取らないように設定するよう努力してきたが、それでも都会に行ってしまう流れが止まらない」
「彼らの話も聞いて、問題の本質を考えたが、結局、ここで働いても未来に希望がないから嫌になるようで、一生布団の上げ下げでは都会並みに給料をもらえても楽しくない。都会に行けば刺激がある」
「だから、この地域で大きな夢を育てる刺激的な挑戦が必要だと感じた。Jリーグに加盟するチームが草津にもある。一緒に働いていた仲間がスターになる。そんな未来を作りたい」
収入の問題は非常に大事ですが、それがクリア出来ても人間は満足できないとは、大昔から娯楽産業が続いてきた事実を見ても明らかです。今や、DeNAのような娯楽企業がプロ野球チームを保有しており、任天堂は堂々たる大企業です。「刺激が欲しい」とは本能に由来するようなので、衣食住が足りればどうしても刺激を求め、観光産業もその需要に応じた産業と言えましょう。
さて、ザスパ草津は地元の思いを背負って、大いに躍進を遂げていきます。その過程で見せた正に奇跡的と言えるシーンは、2004年12月16日の天皇杯5回戦。相手はJリーグチャンピオンの横浜Fマリノス。各ホームタウンの規模は、横浜市350万人に対して草津町8千人。湯もみ娘達の応援パフォーマンスが天を動かしたのか、ザスパ草津は試合の最終盤で退場者を2人出し敗色が超濃厚な絶望的展開で、スポーツ漫画のような逆転勝ちを収めます。人の営みにも上昇気流というものが作用することを見せ付けました。2005年には悲願のJリーグ加盟を実現。温泉組合の各位は狂喜乱舞したことでしょう。
しかし、その後は、2005年9月17日、運営法人の草津温泉FCが草津町から受けていた助成金500万円の返還請求を受ける不祥事や、県営競技場の利用料(14試合分)未納が発覚するなど、ガバナンスの問題が次々と明るみになります。そして成績も芳しくない中で、2013年2月1日から「ザスパクサツ群馬」にチーム名が変更されると、初志はかなり薄くなっていきます。そして遂に、ホームタウンの表記が「前橋市および草津町を中心とする群馬県全域」から「前橋市を中心とする群馬県全域」と草津町が外されるに至り、呼称も2024シーズンから「ザスパ群馬」に変わり、草津町の夢のサッカー物語は終わります。
そして冒頭の記事。草津のサッカードリームは終章となりましたが、草津町の観光は絶好調。2010年に就任した黒岩信忠町長による数々の取組、湯畑の再整備にはじまり、源頼朝ゆかりの「御座之湯」再建、棚田状に整備した「湯路広場」、湯もみ・踊りを見せる「熱乃湯」の建替え、湯畑ライトアップ、西の河原公園再整備、地蔵地区を裏草津として再整備、草津温泉スキー場の大型ゴンドラ、展望レストラン完成などなど、積極的な投資と若者世代を意識したインスタ映えする景観づくり、SNSによる発信力強化が奏功しているようです。
これを見て、ザスパ草津の挑戦と興亡はどう評価するべきなのか。意見は多々あるのでしょうが、多くの人々が「出来やしない」と考えたはずのJリーグ加盟を果たしたという奇跡体験は、地域に挑戦する勇気を植え付けた効果はあったのではないか、当時の組合長の思いは形は違えども現実化したのではないか、と私はしみじみ思う次第です。
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