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20代後半独身女オタクがシン・エヴァで卒業できなかった話

※この記事には『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』のネタバレを含んでいます
※自分語りの部分が多いので純粋に映画の感想だけを求める人は読まない方がいいです
※誹謗中傷はおやめください

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観に行った。
前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の公開から8年と4ヶ月。シリーズ第1作目であるの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の公開から数えるなら実に13年半。私は、この日が来るのを楽しみに待っていた。

私にとって、エヴァは特別なアニメだ。中学生の頃にエヴァにハマってから現在に至るまで、漫画・ゲーム・映画…様々な形で展開されるエヴァという作品を楽しんできた。振り返れば、常に青春と共にあったアニメと言っても過言ではない。私をディープなオタクに染め上げたアニメ、それがエヴァだ。私もこれまで様々なアニメを観賞してきたが、エヴァほど思い入れの深いアニメは他にない。

公開初日の朝、劇場に足を運んだ私はかつてないほど緊張していた。気持ちの整理がまだ出来ていなかったのだ。続きを楽しみにしていたのは事実だが、これでエヴァが終わってしまうと思うと怖かったし、内容についての不安もあった。エヴァほど物語の終着点が読めないアニメもそうないからだ。
だが、結局のところ、私には観る以外の選択肢はなかった。ファンとして結末を見届けなければならないという謎の使命感があったからだ。

指定した席に座り、館内が暗くなってスクリーンに本編映像が映し出された時、初めて緊張や不安よりも期待が上回った。待ちに待ったエヴァの続きが今ようやく始まったのだと胸が高鳴るのを感じた。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の上映時間は約2時間半。エヴァシリーズとしては過去最長の上映時間だ。この情報が発表された時、ネット界隈がざわついていたが、それでも私は2時間半なんて余裕だろと思っていた。何なら3時間超えてもいいとすら思っていた。
だが、実際に観てみると流石に「長い」と感じた。シートの座り心地の良さに定評がある(当社比)劇場を選んだのにも関わらず、最後の方はケツが痛くなった。あと、劇場内が暑くて厚着をしてきた事を死ぬほど後悔した。飲み物を買わなかった事もあり、クレジットが流れる頃には水分の事で頭がいっぱいだった。まさかトイレよりも暑さで死にそうになるとは思いもよらなかった。あの劇場、空調どうなってんだ。

長々と前置きをしたが、肝心な映画の感想はというと「なんとも言えない」というのが正直なところだ。決して面白くなかった訳ではない。だが、好きか嫌いかで分けるなら残念ながら私は後者寄りだ。ここからはかなり自分語りが入るが許してほしい。

トウジとケンスケについて
彼らが生きていたのは良かった。ただ、彼らが外見的にも内面的にも立派な“大人”として成長していた事が、私には少なからず衝撃的だった。トウジはいつの間にか同級生のヒカリと結婚して一児の父親になっていたし、ケンスケは加持さん似の逞しい男性になっていた。あの軍事オタクなケンスケがアスカの裸を見ても動揺する事なくさらっとタオルをかけてやっていたのは驚きだった。

特にトウジの変わりっぷりは凄い。子持ちというだけでなく、医者になっているのだ。村の住民から信頼を寄せられているし、完全に心を閉ざしてしまっているシンジに対してもひたすら優しい。声をかけても返事をしない、用意した食事にも一切手を付けない、ただ部屋の隅で縮こまっているだけのシンジに対してヒカリの父親がキレていたが、トウジは一度もシンジに対してキレなかった。完全に大人である。あの短気でやんちゃなトウジはもういないのだと悟った。
ヒカリも同じだ。赤ん坊にお乳を飲ませるその姿は慈愛に満ちていて、雰囲気や台詞から彼女が良い母親であるという事が容易に推測できる。彼女はトウジに愛されていたし、彼女もまたトウジを愛している事が分かった。とても幸せそうな夫婦だった。そこに私の知っている2人の姿はなかった。

私はこの時、3年前に結婚した友人Aの事を思い出していた。男勝りな性格で、結婚なんて自分には無縁だと言っていたA。彼女とは小・中・高と同じ学校に通った気心の知れた仲で、学生時代は随分と一緒に遊んだものだ。社会人になってからもその関係は変わらず、色んな所に二人で一緒に出かけた。彼女の隣は居心地が良かった。この関係がずっと続くと思っていた。あまりにも波長が合いすぎて、彼女だけはずっと変わらずにいてくれるんじゃないかと心のどこかで期待してしまったのだ。
でも、彼女はいつの間にかパートナーを作り、あっという間に結婚してしまった。今では一児の母親だ。そこに私の知っているかつての彼女の姿はない。家族が増えて幸せそうな彼女を見る度に感じるのは、どうしようもない寂しさだ。

それと同じ寂しさを、私は成長したシンジの友人達を見て感じていた。
母親になったヒカリは、母親になった友人の姿と嫌でも重なる。トウジもヒカリもケンスケも、みんな人として、あるいは親として立派に生きているのだ。それぞれが様々な困難を乗り越える事で逞しく成長していた。成長していないのは、14年間眠っていた事で一人だけ14歳のまま時が止まっているシンジと、この13年半何も築き上げて来なかった私だけだ。いや、13年半どころじゃない。私は今まで何をしていた?何を成し遂げた?私の人生って何?私だけが何も変わっていない。考えれば考えるほど死にたくなる。周りはこんなにも変わっているというのに。

ミサトについて
母親になったと言えばミサトもだ。いつの間にか加持さんとの間に子どもを設けていた。正直、「お前もか」と思った。Aも、ヒカリも、トウジも、ケンスケも、ミサトも、みんな私の知らない間に家族が増えている。喜ばしい事なのに、素直に祝福できない自分がいる。みんな昔のままでいてほしいと思ってしまう。エゴもいいとろこだ。 
恋愛、結婚、出産。私はそのどれもに興味が持てない。原因は色々あるが、一番は育ってきた環境によるものだと思う。でも、世間一般の“常識”から外れて一人で生きていく覚悟や強さは、私にはまだない。「私はこれでいい」と割り切って独身生活を謳歌していても、ふとした拍子に本当にそれでいいのかと、もう一人の自分が訴えかけてくる。結婚しない、子どもを産まないという選択に対して、常に後ろめたさのようなものが私の心に巣食っているのだ。

他人を愛し、愛されるという事。憧れが無いと言えば嘘になる。でも、恋愛に興味が持つ事ができない自分にはあまりにも高いハードルだ。到底叶えられそうにないし、もしかしたら一生叶わないかもしれない。だからこそ、私に出来ない事を平然とやってのけるAや今回の映画のキャラクター達に対して複雑な心境を抱くのだろう。憧れは、時に嫉妬へと変わる。要はコンプレックスを刺激されるのだ。今回の映画は今までのエヴァシリーズの中でも特に分かりやすく「愛とは何か」や「幸せとは何か」を説いていたような気がする。正直、見ていて辛かった。

CGについて
納得できないと言えばエヴァVSエヴァのシーン、あれは一体何なのだろうか。意図的にそうしているのかもしれないが、CGのレベルがPS3のゲームのようで萎えた。最終局面なのに全然緊張感がない。私にはギャグにしか見えなかったし、実際にちょっと笑ってしまった。ラスボス(ゲンドウ)との対決でまさかこんなアホみたいなアクションシーンを見させられるとは思ってもみなかった。
リリスの頭も酷かった。ミドリが「変!」と言っていたが、変どころの話ではない。CGのクオリティが著しく低いのだ。エヴァVSエヴァといいリリスといい、全体的にチープなのだ。他のCGのクオリティがなまじ高いだけにそこだけ浮いて見える。誰かが10年前のニコニコ動画みたいなクオリティだと酷評していたが、本当にその通りだと思った。

映画の後半は私から見たらQよりも酷いと感じるものだったが、好きなシーンや良かった点も勿論ある。リツコがゲンドウに対して躊躇いなく発砲するシーン(旧劇では逆にゲンドウに撃たれていた)や、シンジに殺意を向けるミドリ、サクラの葛藤、シンジを守るミサトなどあの辺の展開は純粋に良かったなと思う。Qで別人のようになってしまったミサトがシンジと和解し、最後は髪を下ろして一人ヴンダーに乗り込み、命と引き換えにシンジに槍を届けるあのシーンも好きだ。(槍の仕組みはよく分からないが)
シンジとゲンドウが電車の中で対話するシーンも個人的には良かったと思う。シンジの元に槍が届いた瞬間、ゲンドウがあっさり退場するのも引き際を弁えていて良いなと思った。
そして何より一番グッと来たのがユイの登場シーンだ。親が子どもの身代わりになるという展開そのものはベタだが、まぁまぁ感動的なシーンだったのではないかと思う。

…からの、あのオチで私は心底がっくり来てしまった訳だが。

ラストについて
ところで私には苦手なキャラがいる。真希波・マリ・イラストリアスである。単純に、キャラが好きじゃない。マリは劇中でよく歌うが、それすらイラッとしてしまう。正直なところ、今回の映画のラストは私からしたら「は?」の一言である。まさか破で登場したぽっと出のキャラクターにシンジが持って行かれるとは夢にも思っていなかった。エヴァのヒロインと言えばアスカとレイだ。それ以外は認められないし、今後も認めるつもりはない。

シンジに至ってはもはや「誰?」状態である。「胸の大きい良い女(cv:神木隆之介)」って、お前さては新●誠監督のところから来たシンジだろ。成長したっていうのは分かるけど、せめて…せめて声だけは変えてほしくなかった。ていうかこんなに長い間エヴァという作品に貢献してきて最後の最後で主役交代させられる緒方さん可哀想すぎないか。私だったら多分キレてると思う。
因みに映画を見終わった後に読んだ考察でシンジ=庵野監督、マリ=安野モヨコ氏(庵野監督の妻)説があるという事を知ったが、そんな事はどうでもいい。マリエンドなんて冗談じゃない。作中でも大して絡んでなかったのに、どうしていきなりこの二人なんだ。解釈違いもいいとろこだ。これならマリとアスカがくっ付いた方がまだ納得出来たかもしれない。

思えば今回の映画はカップリングの嵐だった。トウジ×ヒカリ、ケンスケ×アスカ、カヲル×レイ、シンジ×マリ…ぶっちゃけ、トウジ×ヒカリ以外は全て解釈違いだったと言っても過言ではない。私はヒロインだったら綾波レイが一番好きだ。ポカ波が一番好きだが、今回の映画で黒波も好きになった。およそ人間らしい生活を送ってこなかったであろう彼女が村で普通の人間達と同じように生活をする内に人間らしい感情を芽生えさせていく。そんな彼女を見てほっこりした。今回の映画で唯一癒やされたのが黒波のシーンだ。(だからこそ、黒波まで消えた時は絶望したが)
レイには報われてほしかったが、私が求めていたのはカヲルくんとくっ付く事ではない。私は、レイにはシンジの隣でポカポカしてほしかったのだ。

アスカだってそうだ。28歳のアスカと14歳のシンジがくっ付く事に無理があるのは分かる。分かるが、シンジの事が好きだけど素直になれない、いわゆるツンデレなアスカが私は好きだった。確かにケンスケは良い男だと思う。28歳のアスカにはシンジよりも断然お似合いだろう。頭では分かっているが、心がどうしても受け付けない。今回、アスカの中でシンジが過去の男になってしまっているのが分かり切なかった。LRS派の私でこれなんだからLASガチ勢はお通夜状態なのではないかと思う。
全てを丸く収める為にこういうカップリングにしたのは分かるが、私的にはそもそも全員くっ付ける必要あったか?と思ってしまうのだ。私の理想は漫画版が一番近い。あれにレイとカヲルくんを加えたシナリオだったらまだ救われたかもしれない。でも、そうはならなかった。だから、この話はここでお終いなんだ。分かってはいるが、納得はできない。

映画の評価について
正直、今回の映画は分かりやすく賛否が分かれるのではないかと思ったのだが、予想に反して好意的な感想が多く目に付いた。どの感想を見てもみんな「ありがとう」だの「さようなら」だの「スッキリした」だの似たような事ばかり書いてある。そうか、みんなあの映画でエヴァの呪縛が解けたんだなと思った。すっきり卒業出来た人が心底羨ましい。私だって、出来る事ならすっきり卒業したかったし、「素晴らしい映画だった」と手放しで喜びたかった。みんなと一緒に高揚感を味わいたかった。宇多田ヒカルのOne Last Kissを聴いて思わず涙ぐむくらい感傷に浸りたかった。

でも、私のようなひねくれオタクには無理だった。全然スッキリ出来なかったし、また「置いていかれた」と思ってしまった。この映画を観て「良かった」と言える人は心身ともに立派な大人で、守るべき存在がいて、他人の成功や幸せを心の底から喜べる良い人達なんだろうなと思う。今の私には無理だ。大人アスカに「ガキね」と唾棄される人間、それが今の私だ。
私にとって、エヴァは特別なアニメだった。今だって、別に嫌いになった訳じゃない。でも、映画を観てから急にエヴァが遠くに感じるのだ。大好きだったのに、取り残されてしまった。今はOne Last Kissを聴くのも辛い。

私は他の人達と違って映画で自分の気持ちにケリを付ける事が出来なかったから、こうして感想を書いている。自分の気持ちと向き合い、ありのままを文字にして吐き出したら少しはスッキリするんじゃないかと思って。
肯定派の人達から見たら自分は「可哀想な人」なのかもしれない。だが、分かってほしい。感じ方こそ違えど否定派だってエヴァに対する想いの強さは肯定派と一緒なのだ。そこに違いはないと私は思っている。
今はまだ前向きな気持ちにはなれないし、「ありがとう」や「さようなら」といった言葉も出て来ないが、どういう形であれエヴァが完結した事は確かだ。とりあえず、こうして生きている間に完結を見届けられた事は少なからず幸運だったと思っている。今はそれで良しとしよう。

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