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三重県の采女城に行ってきました。

お盆で法事などもあり、おばあちゃんちの裏山とザックリ繋がりの采女城に行ってきました。
かれこれこれまで数十回は行ってますが(私は)飽きないこのお城を紹介します☺️
采女城は史跡指定になっていないのだそうですが、遺構はおそらく完存している平山城で、独立した9つの曲輪があり、程よく整備されています。

城趾のポストに置かれたパンフレットより

采女城は大坂五人衆の後藤又兵衛基次で知られている播磨後藤氏の一族の城だそうです。
鎌倉初期、おそらく承久の乱で武功のあった後藤伊勢守基秀が采女の地頭職を与えられ、移り住んで城を築きました。


登城口にある城趾碑

室町時代から戦国時代にかけては北勢四十八家の中にあり、300年余りにわたりこの地を統治しました。
砦などの臨時の城、合戦用の城も臨場感があって好きですが、長く使われてきたお城は個人的にとても惹かれます。各曲輪はよ〜く削平されて広く、大きな井戸がありますし、各時代にアップデートして、曲輪をリフォームしてきたのだろうと思え、歴史の重みも感じます。

1567年織田信長の侵攻に際し果敢に戦ったそうですが、玉砕・廃城となりました。複雑な虎口、曲輪間の深い空堀、横堀を見るにつけ、その際に防御を固めたのだろうな、と推測してしまいます。
私が今超手軽にお城を楽しむことができるのも、このお城の比高の低さのお陰なんですが、織田軍により城下一帯を焼かれ、この低さ故に大混乱になってしまったそうです。
麓の川向こうの菩提寺も織田軍に焼かれたというから、混乱しないほうが無理でしょうけれど。

後藤氏は領民にとても慕われ、親しまれていた領主だった様で、城下が活気付いていた事を偲ばせる、橋などの地名がいまだに残っています。

お城ゆかりの地名についての案内板

廃城後もちょっと近寄りがたい聖地的な雰囲気で扱われていたのか、前述したように比高がとても低いし、周りは果樹園や霊園などになっているにもかかわらず、奇跡的に手付かずになっています。
おばあちゃんにも
(あそこには野犬がおるから、子どもは行ったらアカン)と言われていました。
(野犬って💦)と思いつつも、行くことはなく、私も裏山に登ってもいつも反対方向へどんどん足を伸ばしていてノーマークでした😅ちょっと残念ですけど。
おばあちゃんの脅しみたいなも💦ある意味城趾を守ることに繋がっていたのかもしれません。(キツネはいるけど、野犬はいませんけどね😅)
そのお陰か、縄張り図通りの遺構がのこっています。

主郭にある大きな古井戸には落城にありがちな、お姫様が身を投げたお話がともなっています。

とても大きな古井戸。落城悲話が伴います。

夏場は虫も多く薮になっていて、6.7.9郭へ脚を伸ばすのはちょっと難しいですが、9つの曲輪はそれぞれが深い堀切などで独立した形態、土橋で連携をとっています。

主郭と8郭間の堀切。キレッキレです。


5郭6郭間の堀切。


馬出し的な出撃ポイントがついているような8郭。


主郭は虎口も桝形になっています。


主郭と2郭間の空堀。広大です。


特に重厚な土塁で囲まれている主郭。

真夏の今日は(ちょっと主郭と8郭間の堀切だけ見てこよう)と思ったのについウロウロしてしまい、気づけばムダに長い髪が蜘蛛の巣にコーティングされていました💦それにやはり草が茂りすぎて、良さがあまりアピールできませんね💦
けど、やっぱりいいお城でした❤️

草の実がすごいお城なので、秋はお城から降りてくると半身くっつき虫だらけになっていたこともあったので、真冬に行かれるのが一番おすすめです。
ちなみに采女の地名は、(采女さん=古代、朝廷に仕えて天皇の食膳の奉仕をした女官)がここからよく輩出された、とか雄略天皇に仕えて才女っぷりを発揮した采女がここの出身だったとか等聞いたことがあります。

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