豊田市の鴛鴨城などに行ってきました。
連休は仕事がありましたが、雨が上がりかけたタイミングで、ぶらっと豊田市のお城、鴛鴨城と若林城へ行ってきました。
(愛知県に住んでるから、松平のお城は行っとかあかんな)というスタンツでだいたいは回っています💪
途中知ったのですが、名古屋から岡崎方面へ走っていった道は、平針街道(岡崎街道とも)と言って、家康自らが晩年整備した道なんだそうです。看板がありました☺️
(お餅食べたのかは知らんけど〜💦)
若林城は1499年に築かれた本多四郎左衛門親平の居城とされます。彼は安祥城主松平宗家4代親忠より諱字を賜わったとされます。1504年廃城(えっ、短っ!)
城趾の円楽寺は微高地で城趾の雰囲気だけは感じられました。瓦に本多家の立ち葵の紋がみえました。
鴛鴨城趾は高速道路の豊田JCに近く、畑や工場がある中にポツンと小高く小さな公園になっています。鴛鴨松平氏初代から三代まで約100年間の居城です。
三河松平氏三代目・信光は岩津に進出し岩津城を拠点にして、西三河一帯へ勢力拡大をはかりました。松平のゴットファーザーですね。(この岩津城もとてもいい山城です)
信光は鴛鴨城へも攻め入り落城させその子親光を初代城主として住まわせました。その後、二代親康・三代親久が継承し、四代忠久は徳川家康の命により、酒井正親の附人として西尾城へ移った。ということです。三代親久の死去により鴛鴨城は廃城となりました。
鴛鴨松平氏菩提寺の隣松寺は、三河一向一揆の時家康方の本陣になったそうで、彼が戦勝祈願したというお稲荷さんがありました。このお稲荷さんに松平広忠が安産祈願し、竹千代が無事産まれたとも言われてるそうです。
ここには家康に寵愛され後に徳川四天王となった榊原康政の祖父・清長と父・長政の墓もあります。康政の母は鴛鴨城主二代・親康の娘なんだそう。また家康四男の福松丸(後の清洲城主となった松平忠吉)の養母として献身した四代・忠久の娘、於美津の墓、忠吉の墓もあり、これらがとてもよく整備されています。
行きは爆走してきた私ですが、水溜りや畦道を歩いて靴がずぶ濡れでだんだん気持ち悪く、帰りは電車で帰ることにし、三河上郷駅を目指しました。
駅近くには三河一向一揆の一向宗側の上野上村城趾(榊原康政生誕地の石碑)がありました。前にも行ったことがあったけど、先ほどの隣松寺とすごく近かったです。
三河一向一揆、三河三ヶ寺だけでなくて広い範囲で対立、戦があったんですね。
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