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諦めさせているものはなんだろう

「いいなぁ、被写体になれる人」

短いツイートが目に留まった。いいねをしようか。それとも「被写体になるのに許可も条件もありませんよ。」そんなことをリプライしようか。迷った。迷った挙句、何もできずにこのnoteを書いている。

ツイートの主は女性。おそらく20代。つい先日、とあるイベントでお会いして少し会話を交わした。どういう思いを含ませてそのツイートをされたのか定かではないが、私では被写体になれない。諦めが滲み出ているように思えた。

彼女はどうしてそう思うんだろう。
何がそう思わせたんだろう。

被写体になるのに条件があるとすれば「写りたい。」その気持ちがあるだけでいいと私は思っている。撮って下さい。と言われれば基本的に断らない。岩井田さんの撮るお写真が大好きなので!なんて言われたらどこへでも駆けつける。


”美しくなきゃ。可愛くなきゃ。かっこよくなきゃ。細くなきゃ。。。”

SNSを眺めているとそれはそれは見目麗しい方々が写ったものが、濁流のように流れては去っていく。それはそれで。

ポートレートへのきっかけなんて”一度撮られてみたかったから”、”知り合いのあの人があんな風に写っていていいなと思って私も”そのぐらいで十分なんですよ。

私は、目の前にいる人と向き合い寄り添って、楽しく写っていられるよう撮れ!と教わりました。撮影したものは100%その人の為で、他者の目を喜ばせようとは思っていない。(お仕事は別。)

容姿の整った人は誰が撮っても…。と、初心者の頃、一緒にカメラを学んだ男性が話した言葉がずっと頭から離れない。橋本環奈はオートで撮ってもそれなりに写るさ、そりゃ。撮られ慣れてるし見せ方わかってるし、自分の良い角度わかってるし。そんな内容。確かになと。

撮られ慣れていない方に喜んで貰えるような写真が撮れてようやくポートレートが撮れます。だと思っている。

あのツイートをした彼女にも「撮られてみようかな。」と思って貰えるような懐の深い人間になりたいもんだ。

なんですと!?お気持ち感謝します!!