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根本的なはなし

誰かに届けようと思わない。

どんな思想もどんな作品もどんな活動も、誰かに伝えよう、誰かに届けようと思わないで、ポンと出す。
届けるんじゃなくて、出したものが引っぱってくると思ったほうがいい。
それに興味がある人は、必ず見つけ出して向こうからやってきてくれる。
だからポンと出すだけでいい。

私も世の中も結果を求めすぎていた。

なにか行動を起こすとき、「何のためにそれをするのか」から考えることで、そこから自動的に出ていると思っていた。
しかし、いつしか自分のパターンに陥って、どうすれば、こうすれば、ああすればと考えている。

だって、ピカソは自分の作品を売り込むために策略を打ち続けた。
ルソーは周りに勝手に絵を送ったり、国王に直談判の手紙を送った。
彼らはどうすればについても考える。

しかし、決定的に異なるのは、
その人達は、ある、から始めていること。
ピカソもルソーも自分も作品も素晴らしいと確信していた。

私はどうだろうか。
実績がない、専門性がない、仲間がいない、社交性がない、ギャルじゃない(笑)、知識がない、技術がない、軸がない、視野が狭い、家族がいない、力がない、未来がない、箔がない、誰にもなにも知られていない。

ないをあるに変えたくて、必死で「どうすれば」と考えていた。
こんなまま死ぬなんて惨めすぎると思って行動していた。
これが前提で動いているうちは、ない結果しか受け取れないに決まっているのに。

では、"あるから始める"とはどのようなことなのか。

まだクセに埋もれていろいろと見失ったり思い出したり、掴みかけていると思いたい私は、とりあえず、誰も何も知らないここで、ただ出す、ということをやってみようと思う。




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