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宝塚までのディスタンス ③望海風斗さん篇

望海風斗さん主演の『ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)』は衝撃でした。望海さんのマシンガンに心を撃たれたのです。望海風斗さんを好きになりました。その過程で、宝塚歌劇との距離がゼロになり、さらに心に深くしみこんでくるまでの物語です。過ぎた日々を全て抱きしめ記憶のかなたによみがえるONCE UPON A TIME IN TAKARAZUKA。

①沼が広がる

明日海りおさんの退団公演で滂沱の涙を流し、されど自分は宝塚について何も知らないという「無知の知」を思い知らされたわたしは、退団翌日2019年11月25日から明日海さんを起点に宝塚歌劇団の探究を始めました。

七海ひろきさん愛&全組応援型の友だちが教えてくれるジェンヌさんのお話を聞き、認知の領域すなわち"沼"が徐々に広がります。知れば知るほどに深みにはまり、もっと知りたいという望みはとどまる所を知りません。芸名と愛称、誰と誰が同期?は難問でしたが、エピソードがあると覚えやすいのです。こんなに勉強したの何年ぶりと思うほど勉強して知識を吸収しました。少しずつお名前とお顔と魅力がわかるようになってきました。楽しい!

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さらにわたしには頼りになる教科書があります。明日海りおさんのメモリアルブックです。

2003年から退団までの歌劇・宝塚GRAPH・公演プログラム他からの抜粋記事が掲載されているのです。辞書並みの文字情報量で、内容の濃さ、これで税込3300円はお得以外のなにものでもありません。この書から明日海さんの芸に対する意気込みを知るとともに、ふんわりゆるゆるさに心が溶け、明日海さんにとって大切なひとたちとの関係性を植物が水分を吸収するように思う存分に吸い込んで心に花が咲きました。宝塚クリエイティヴアーツ様ありがとうございます。

多くの方のなかでもとりわけ気になる方がいました。
同期生であり雪組トップスターである望海風斗さんという存在です。

②それはキャトルレーヴ宣伝部長から始まった

(1)アンドレ
望海さんを望海さんとしてわたしがきちんとお芝居を見て認識したのは2019年11月23日です。『ベルサイユのばら~フェルゼン編~』の放送を観たときです。加入したてのスカイステージの放送をリアタイしながらLINEに書いたわたしの感想を貼っておきます。もう二度とこのような目線で観ることもないからです。わたしは『ベルばら』は何回か観てたのでつっこみ気味に観ていたのですが、それでも「だいもん」さんの存在感は光っていました。お芝居の上手さ・声のよさ・歌の上手さ・華やかさ・自分の生を全うしていく姿が心に残りました。

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(話が脱線します)
わたしはベルばらは、オスカルがひざまづいてアンドレの腰に抱きつくところ(そんなことしなくて立ったままガシッと抱き合っててほしい)など所々の演出が様式美すぎて苦手だと思っていました。すると友だちは「長谷川一夫さんの歌舞伎的な演出を受け継いだ様式美なのです」と教えてくれました。このあとフェルゼンさまの孤軍奮闘ぶりを観ながら解説してくれたのです。
・お芝居の題材は西洋でも演出は日本物風なのが宝塚らしさ
・逆に和物ショーは、西洋のリズムでやるっていうのも面白いところ。4拍子、三拍子のステップで日舞踊るとか(笑)西洋音楽で日舞やる!ってのが不思議といい感じ
・いろんな意味で和洋折衷なんです
などの解説は初めて知ることばかりで、様式美も楽しむものなんだとわかりました。こんなに熱く語ってくれてうれしかった。
宝塚がお好きな方は本当にいろんなことを惜しみなく教えてくださいますよね。宝塚ファンとしてのぴよぴよ期に頼もしい友だちがいてくれてよかったです。ひそかに師匠と呼んでいます。

(2)キャトルレーヴ宣伝部長
再び望海さんに出会うのは「キャトルレーヴ宣伝部長」としての姿でした。これは望海さんがキャトルレーヴのおすすめ商品をマイペースに紹介しているだけの番組なのですが、それがとんでもなく面白いのです。

スカイステージの再放送でこの番組(たぶん1番下の最新作のもの)を観て、わたしは望海さんの爽快なまでの宝塚オタクっぷりに感動しました。弁舌爽やかで歯切れが良く、頭の回転の速さに、タカラヅカへの愛情深さと、いたってまじめなのにどこかほんわかとした鷹揚さと唯一無二の独創性を感じられて、楽しいひとだと思いました。最初はもの珍しさで笑っていたのに、気付くと表情ひとつひとつを食い入るように見ていたのです。

(3)「Brilliant Dreams+NEXT」

こちらも入手して、日記で天海さんに話しかけていたという「天海さんもそんなことある?」の名言を知りました。望海さんは、自分をひけらかすことも飾ることも隠すこともなく、相手にもいつも優しくて、なにごとにも好奇心旺盛でポジティブに受けとめて自然体で笑っている姿が周りを幸せな気持ちにするのです。こんなにもピュアなひとがいるだろうか。仏様かな。天使かな。世界の至宝。ずっと見ていたくなりました。夢中になってあそんでいるこどもをみて心洗われるような気持ち。見ていると元気になるのです

(4)「タカラヅカスペシャル2018 Say! Hey! Show Up!!」

2020年1月1日。スカイステージで放送していた「タカラヅカスペシャル2018」を観ました。
明日海さんが望海さんのことを「あやちゃん」と呼んだ!ふたりで紅ゆずるさんにつっこまれてる!かわいい!明日海さんと望海さんがデュエットしてる!歌う姿が美しいかっこいいすてき!くるんと回って肩をこつんとした!いっぺんで明日海さんと望海さんの並びのとりこになりました。

このとき望海さんの美しさにも魅了されたのです。
キャトルレーヴ宣伝部長やトーク番組でみせる飾らない素顔のなかにも垣間見えたすべてを真摯に取り組む姿勢、一音の妥協も許さないし一音のずれもない技術的な歌のうまさもさることながら、言葉ひとつひとつの意味を大切に届けようとする心の深さ、歌うことが好きだという情熱と喜びを感じさせる歌声の深み。鼻梁の高さと彫りの深い顔立ちの白皙の美貌、目のきらきらとした輝きにひきこまれました。


笑ってる場合ではなくなりました。
観なければ、とにかく観なければ。

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③観なければ後悔する!

望海風斗さんの魅力の海にわたしが流れ着いたちょうどその時、元旦から始まったばかりの宝塚大劇場雪組公演を明日海りおさんが観に行ったとの情報をTwitterで得ました(オープンにしていい情報なのか分かりませんが、この情報の影響力が大きかったのです)。

宝塚大劇場・雪組公演 『ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)』

わたしは震撼としました。必ず、望海風斗さんを絶対に観に行かなくてはならぬと決意しました。わたしはチケットの買い方がわかりません。買っていただいたチケットと貸切当選チケットで暮らして来たのです。けれどもどうしてもこれは観なければならないと感じたのです。しかしチケットはもうありません。

宝塚は退団という掟があることを痛感したので、今観なくては一生観られなくなり、後悔することを自覚したからです。いつ何が起きるかわからないと言われていました。だから、観に行かなくては。何の話かとか内容で決めている場合ではない、とにかく望海風斗さんの舞台を観なければならぬ。その一心でした。立ち見でもいいのでとにかく観たいから一緒に行ってくれませんか。そう師匠にせがみました。朝早く並ぶこと、寒さ対策も教えてもらって、一緒に並ぶことになったのです。こんなことをするのは生まれて初めてです。

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(今は当日券販売はありません。かけがえのないチャンスだったと思います。)


④雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』(2020年1月23日)

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初雪組の日は雪ではなく雨でした。午前8時に着いて列に並びました。もう相当の人数の列ができています。前に並んでいる方に伺いましたが、その方も初めての経験のようで戸惑いながら並んでらっしゃるようでした。買えるのか…? 小林一三先生の銅像をみつめながらすごします。師匠こと友だちも来てくれました。

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100番以降でしたが、立ち見席をとることができました。よかった。話しかけた方も取れてよかったですねとあいさつしました。一期一会のご縁。いろんな方に助けられています。

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立ち見の立ち位置を確保しました。
師匠が一列目の手すりゲット!!ありがたい。ありがたい。
雪組マークを観て感無量です。
わずか2ヶ月でわたしはここまで来てしまいました。
自分の行動力の根源がわからないまま衝き動かされています。

始まりました。

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冒頭、何の話かなと思いながら(何も知らずに来たのです)観ています。

プロローグのあとに舞台が暗転。
ひとりの男が中央に佇んでいます。
ほぼ何も知らないわたしでも、このひとは「雪組トップスターの望海風斗」だと分かるようになっています。拍手もたいへんわかりやすく親切です。

たばこを吸っている。煙を吐く。

は…
わたしはたばこは苦手です。
でも、闇に煙を漂わせながらたばこを吸うこのひとはかっこいいのです。

歌を歌います。
その歌声の、なんと深みがある声。タカラジェンヌは女性のはずなのに。望海風斗は女性ですよね。ああ、耳から入ってきた音に心がしびれます。ぞわぞわっと鳥肌が立ち身体におこる反応にうろたえているあいだも望海風斗さんが朗々と歌い上げています。ああ。

すると、舞台脇からざーーーっと男たちが出てきます。
これも男じゃなくて女性ですよね。そうは見えない。
このときの音楽がすばらしくかっこいいのです。
灰色の男達が踊ります。もうひたすらかっこいい。揃ってます。
すると望海風斗さんが、マシンガンをかまえて歩いてきます。
そしてダダダダダダダダと撃つのです。

満面の笑みを浮かべてマシンガンを撃つひとをわたしはこの目でリアルで生まれて初めて観ました。

映画では観たことがあります。でも舞台は、目の前にひとがいるのです。そのひとがダダダダダダダダと撃ってくるんです。
正気の沙汰じゃないです。撃ちながら歌ってる。
その歌がまた艶があって色気があってかっこいい。
オペラグラスでおっかけて観ていると、前に出てきた瞬間に望海風斗さんの視線がわたしのところまで飛んできて、目が合った気がしました。ひゃぁっ。すごく嬉しそう。いきいきとしてる。こんなギャングなのに。歌舞伎に色悪という言葉がありますが、まさにそれです。

ずっと見ていたい。このひとがずっとそこにいててほしい。
このひとが何をするのかずっと見ていたい。ただ見ているだけでいい。
いきいきと歌い踊り、ちらっとこちらを見るその美しいまなざしがあればいい。この凛々しい望海風斗さえいたら世界は満たされる。

心震えながらそう感じたのです。追っかけながら。


物語は進みます。
「皇帝と皇后」というヌードルスとデボラがうたう歌を聴いて泣きそうになりました。これは絶対に叶わない夢だというフラグがバシバシ立っていてせつなくてたまりません。せつないのに、このふたりが夢を信じている姿がいとおしくなってきました。始まって十数分しか経っていないのに物語に引き込まれています。
心にするすると自然に流れ込んで来る要素がたくさんあるのです。そうさせるのは当時のアメリカに入り込ませる美しい音楽と舞台装置、素晴らしい衣装、望海さんと真彩さん、雪組のみなさんの演技力のおかげだったのだと思います。

第一幕のラスト。

ヌードルスはデボラに迫るものの拒絶されます。このシーンは甘い空気からピリッと緊迫した空気に変わっていくのが肌感覚として突き刺さるようではらはらしました。ボタンの掛け違いで頭に血がのぼってどうにかしてしまいたいヌードルスの気持ちもわかるし、でも好きなひとにこんな風にされるのはいや!というデボラの気持ちもわかるから。

愛は枯れないと歌い上げながら薔薇を投げ散らかすヌードルス。
ソファにすわって天を仰ぎます。

幕。

はあああああああああああああああああ
と手すりにすがりながら膝から崩れ落ちてため息が出ました。
こんな舞台観たことがありません。こんな俳優観たことがありません。
望海風斗さん。凄かった…と師匠と語り合うようなひとりごとのような断片的なことばを洩らすのが精一杯です。

第二幕。
こんなせつない話があるだろうか。
決して勝てないひとたちの物語。
きらびやかで華やかで、自分には遠いと思っていた宝塚歌劇で、こんなにも切ない、心に突き刺さる物語を見せてくれた。みんながせつなくてたまりません。

SNSに書いた言葉です。

望海風斗さんの歌に心を掴まれ、若い希望を歌う場面で早くも涙。煌びやかな表の世界と血に染まる裏の世界の間で何かを得ようともがく男のやるせなさが胸に沁みました。真彩希帆さんの気高さ、彩風咲奈さんの鋭敏さ、朝美絢さんの情の深さ。哀しく、最高の舞台でした

わたしは望海さんに心を深く撃たれていました。すべてが貴いのです。声、歌。表現の深さ。気品の高さ。微笑をたたえ目を伏せる時の眦の艶っぽさ。髪に手を沿わせる仕草のかっこよさ。かっこよすぎて苦しい。

望海風斗さんがすてき
深く響く声
心つかむ歌
役柄の表現の深さ
薔薇に埋もれても気品の高さ
微笑をたたえ目を伏せる時のまなじりの艶
髪に手を沿わせる仕草のかっこよさ


書かずにはいられない!なぜひとは言葉を書くのでしょうか。想いを胸に秘めていると苦しくてたまらないからです。とにかく言葉を身体の外に出さないと重くて苦しくて歩くこともできないのです。

舞台は一期一会だと思いました。
今日望海さんが舞台に立ってくれていること
今日舞台を観る機会を得られたことに心から感謝しました。

こうして、わたしは、望海風斗さんに恋に落ちたのです。

望海さんの作品をもっと観たくて、『ドン・ジュアン』『ファントム』『エリザベート』『星逢一夜』と次々に観ていきました。
スカイステージで『ファントム』の放送がありました。
師匠に送ったLINEです。

スカステでやってたファントム見ました。
つらい。もう涙。つらい。つらい。美しすぎてつらい。
歌声が天まで響き渡るのに、地に足をとられてしまう悲劇性に胸がいっぱいです。望海風斗さんもうここでも切ないわ上手いわつらいわ最高だわしんどすぎます。まあやさんも美しいわ天使の歌声だわ切ないわ
つらーーーー
だいもんを検索しすぎて降りる駅を乗り過ごしました。ファントムCDを買うか迷っております。もうきっとこの後キャトルに行ったらだいもんカレンダーを買うんですよ。明日海さんだけにしておきたかったのに!好きすぎてつらくなるのに!

⑤2度目の観劇で宝塚の舞台はみんなでつくるものだと知る(2020年1月30日)

『ワンス』は大好きな作品になりました。傑作なのです。あまりにも好きなので、翌週の1月30日も当日券の列に並びました。9時20分に着いて立ち見席2列目の位置につけました。

ひとりぼっちだったので思わずツイートに書かずにはいられなかったこと。

どんなエンタテインメントにも言えることですが
本気の本気の生の舞台のひとの熱と声は心に届く
とりわけ宝塚歌劇の場合ずっと一緒に生きてきて
役どころの物語に絡む度合いこそ異なるけれども
脇役も端役も存在しなくてみんな必死に生きてる
それが心をうつのです

宝塚歌劇のことをわたしは誤解していました。
ひとりのトップスターが王様のように支配的な存在として君臨していて、ほかのひとたちはトップスターを輝かせるために服従しているようなイメージをどこかで持っていた気がするのです。それは全く違っていることに気付かされたのです。今までは退団のひとのことばかりに意識が集中して、組全体のことはよく見えていなかったのです。

宝塚はトップスターがいるだけでは成立しないのです。みんなで作っていく総合芸術なのです。下級生であっても、明日のスターとして育てるために毎日毎日成長させていこうとする「学校」だったのです。どんな若いひとにも小さい場面でもきらりと輝く時が用意されています。望海さんのことをみるだけでなく、多様な場面での生徒さんたちのいきいきとした姿をみるのも楽しいと感じるようになってきたのです。
目立つ目立たない、台詞があるなしの違いはあるかもしれない。
けれど、みんなその役を懸命に生きています。「端役」はいないのです
これはわたしにとって、人生に端役はいないということなんですよね…と胸にしみることでした。

映画やTVのように映像で編集されることもなく、毎日舞台の上でその役を生きることでどんどんと深まっていくことができる。しかも観るひとも回を重ねるたびに味わいが深まっていく。それが舞台の醍醐味であることをわたしはこの作品で初めて知りました。

舞台の内容の方は、先週に続き2回目の観劇で物語世界に馴染んだこともありますが、ヌードルス、デボラ、マックス、キャロル、ジミー、それぞれの心情がより深い声と演技と歌で表現されて、役が心の底までしみ込んで生きていると感じました。
貧しさから抜け出そうとギャングになる男の子達と、ショービジネスを夢見る女の子。望海さんと真彩さん、彩風さんは子どもから壮年までひとりで演じきります。ずっと見守ることのできる醍醐味。
マックスを演じる彩風咲奈さんの表の強面のかっこよさと内側のか細く顫えるデリケートな心とのアンバランスさ。そんなマックスに心底惚れてしまっていること自体が悲しみの種と思えるけれど好きなひとをひとは選べないものだという運命のような儚さを漂わせる朝美絢さんのキャロルの美しさ。マックスが逃げこむ先の事務所で闇に浮かび上がるジミーの陰影の濃さ。ジミーはこの表も裏もある人びとの物語の中でとびぬけて悪党です。彩凪翔さんはこのジミーを品を崩さず人懐っこく優しい顔を見せつつ、それだけに底無しの怖さがある人物として見事に造型していました。誰が欠けても成り立たない人間ドラマです。みんな「少しは幸せ」かもしれませんが、誰とも分かちあえない孤独を抱えています。

でも夢が泥にまみれても、手が血に染まっても
愛を求めて生きる登場人物たちが愛おしいです

積み重ねた想いが交差して、ドラマを全て見届けた後は苦みと馥郁たる余韻を残すのです。最高で上質の作品だと改めて感じ入ったのです。

⑥望海さんが好きすぎて苦しくてたまらない

1月30日の終演後、何ひとつ考えられず、そのまま帰ることもできずに、宝塚大劇場併設のキャトルレーヴで商品やカスタマイズCDのパンフレットや舞台写真を見ながらひとり2時間過ごしました。人波も引いて静かできらきらしたお店の中には望海風斗さんの歌がずっと流れていて、頭も心も全身全霊にしんしんと望海さんの歌が染み込みました。
望海さんの歌無しでは生きていけなくなりそうでした
CDと舞台写真と書籍を買いました。

舞台を観てしまうと、観る前よりも観ている間よりも、望海風斗さんのことが思い出されて忘れられなくてぐるぐる考えてしまうのでした。あの歌声、豊かな音域の広がりに心も包み込まれて安心するし、どこか新たな地平まで心が運ばれていく気がします。ずっと聴いていたい。

スーツを自在に着こなし、翻る裾まで心の行き届く気品ある美しさ。
劇場を完全に支配する気迫と凛々しい歌声。
オペラグラス越しに望海風斗さんの視線を真正面に受けとめた瞬間を思い出して、望海さんが構えたマシンガンで撃ち殺されたみたいだと思いました。
各種レビューを見て褒められているとわたしも嬉しくてありがとうございますと言いたくなるところまできました。

一方で望海さんが頭を抱えたり天を仰いで悲しみ苦しむ姿に心が震えてしまうわたしは罪深いと感じたりもしました。

罪深いといえばこちらの話もさせてください。
とてもひとには言えない。

望海風斗さんは大人の余裕あるキスが魅力です。
『ワンス』では真彩さんと作り上げた数々の美しいキスシーンがありますが、観る度に情感が深まっていました。特に銀橋では、キスの直後に唇に笑みを湛えてデボラを陶然と見つめる表情に、キスの甘い感触をたのしんだり溺れたりする感覚が陽炎のようにゆらめいて見えて凄絶でした。何を見ているのかわからなくなります。こんなのを観ていいのだろうか。

望海さんのことが心から離れられなくなりました。
明日海さんとの魂の片割れのように思えるのです。
邪魔にならないように朝の5時半に投稿しまくったツイートです。
狂気

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2月3日の千秋楽は残念ながら観に行けませんでした。たまらなくなって仕事帰りに宝塚まで走ります。こんなに好きなのに。片想いが過ぎる。


⑦2月17日

2月17日に退団会見がありました。ショック過ぎました。

仕事先の辛辣ヅカオタお兄様が「世界一遅すぎたよ…。退団するひとばかり好きになるのはよしなさい」と言ってくれました…優しい…優しいのか…

いろんなことが起きて自分でもわからないほどの衝撃でふらふら生きてた時に観たのが宝塚花組の明日海りおさんの舞台でした。その美しさと完成度を高めるために身を削るほどに舞台を作り上げるストイックさに浄化されていたのでした。その同期で同志である望海風斗さんの歌とお芝居の情熱に生きてる喜びを感じていたことを改めてかみしめました。

穏やかな表情を浮かべる望海風斗さんの中に、薔薇の花束をかなぐり捨てる激しさと一輪の薔薇を拾い上げる優しさが同居しているのです。たとえ陽の当たらぬ道を進む役柄の人物だとしても希望と信念を舞台の上に存在させます。のびやかで美しい歌声で世界は美しいと心の底から感じさせてくれます。

望海さんの舞台をもっと早くもっとずっと観たかったです。
何よりも心震えるのは軛から解き放たれて喜びに満たされる瞬間の表情です。『ファントム』でクリスティーヌの歌を聴いた瞬間、渇いた大地に雨が降り注ぐように喜びが全身を駆け巡るエリックの表情のみずみずしさに感動しました。こんな表情をみせてくれるひとは世界中どこにもいません。

私「望海風斗が退団する!」
母「いつか退団するとわかってたじゃない」
私「つらい」

違う、そう、違う。そう、人生は続く。望海さんの人生は望海さんのもの。そう、分かってる。望海さんの男役の美学は永遠に刻まれる。分かってる。分かってるけど、退団したら、もう観られないなんてつらすぎるのです。

⑧東京宝塚劇場(2020年2月22日)

奇跡的に友だちがチケットを取ってくれたのです。心から感謝しています。

あまりにも緊張しすぎて観る前から動悸がして、劇場の目の前に泊まっているのにホテルを出るのが遅くなりました。先に席に着いて待っててくれた友だちの顔をみてほっとして泣き声が出ました。開演を知らせる望海さんの声を聴くだけで胸が詰まりました。でも始まったら、退団のことは観ているうちに忘れていました。忘れさせてくれました。

【内面からにじみ出てくるかっこよさ 】
3回目だと、望海さんの細やかな演技にも気付けるようになりました。子ども時代はくるくる動く利発な瞳と弾むような歩き方、青年期はスーツの背中のしわとポーカーフェイスの下でたぎる感情、壮年期の深い微笑は弥勒菩薩に見えて、知性や人間性と結び付いた身体の変化を演じ分けていました。
かっこよさは内面からにじみ出てくるものだと改めて思いました。

【望海さんの手の美しさ】
柚香光さんが綺麗と言った通り、望海さんの長くて繊細な指と節の美しさにときめきました。帽子のつばにかけたひとさし指に意志の強さを感じ、デボラの頬にそえるときの手は優しく、ショーで唇に指を添えたときはそのコケティッシュな魅力にくらくらして、指先まで魂が宿る男役の美しさでした。

【男役の美しさ】
観始めたばかりの程度でこんなことを書くのは恥ずかしいのですが、おもいきって書きます。
宝塚歌劇の男役の美は、男性のまねをすることでも王子様的な姿に変身することでも型をただ踏襲するだけでもなく、女性として生まれた自らの身体の個性を見きわめて美を探求し、その美を支える確固とした哲学を持って舞台の上で生きつづける総合芸術なのだと体感したのです。

バレエを習っていたときに常に言われた「天上から垂らした糸に吊られるようにまっすぐ立ちなさい」という言葉は、幼い私には操り人形のようなイメージしか持てなかったのですが、天と地を意識することで自らの身体を俯瞰する視点を持つことの大切さを教えようとしてくれていたのだと今さら気付いたのでした。

望海風斗さんが踊る姿は、軸のゆるぎなさに驚きました。軸の揺るぎなさは体幹がしっかりしていることであり、その安定感が落ち着きにつながり、その落ち着きが男役としての美を支えています。軸というものを大切にしていることを感じました。伸ばした手足を軸に戻すときのキレがとてもいいと感じるのです。ピンッてはねながら足を戻すところが好き。

彩風咲奈さんは、軽やかにいきいきと踊っています。足が長くてかっこいいというだけでなく、自ら踊ることによって今生きていることを実感するタイプのダンサー特有の踊ることが大好きで「幸せ」を感じて、とても気持ちがいいのです。
男役の方々だけでなく娘役の方々も体幹がしっかりされています。宝塚のかっこよさと美しさは努力の結晶だと感じました。

【ストイックさ】
昔は、かっこよさなんて見た目だけだと思っていたわけです。かっこよさを構築することがどれだけ困難か全く分かっていなかったのです。
美を構築することに寄せるストィックな努力、それを支える信念、好きだと想い続ける情熱、支え合う仲間の存在。男性がそうであるように女性もどんなにもかっこよくなれるのです。

涙が出そうになりました。
雪組さんの舞台を観ていて、こどもの時のバレエ体験が昇華されるように感じたのです。ずっと封印してきたのです。でも観ていると、踊ることの楽しさや喜びが身体のなかに蘇ってくるようなのです。いろいろあって閉じ込めてしまった「バレエが好き」というピュアな気持ちが、望海さんと雪組さんの舞台を観て解凍されて、心が解放された気がしたのです。
わたしは踊るのが好きだったし、きらびやかなのも華やかなのも大好きだったのです。バレエを始めたのもきらきらした世界が大好きだったから。大好きだったことを忘れていたけれど、本当は大好きだったんだと思い出せたのです。バレエも好きでした。くゆらし先生にいじられて悲しかったけど、バレエそのものは好きだったんだとやっと認めることができたのです。


見終えた後のツイートです。

すべての登場人物がいとおしかったです。

お芝居の神様、望海風斗さんに出逢わせてくださってありがとうございます。出会いが遅すぎたことを嘆いてたけれど、今日の東京宝塚劇場の舞台を観ることができた事に心から感謝いたします。舞台の上の望海風斗さんが望海さんであることを忘れて、或る男の人生を共に生きることができて幸せでした。

新幹線で帰りながら泣きながら書いたツイートでした。書かずにはいられなかったのです。

その直後に日本と宝塚歌劇に起きたいろいろな出来事についてはここでは割愛します。とにかく祈っていたし、3月22日の大千穐楽の生中継をかたずをのんで見守りました。

https://hochi.news/articles/20200318-OHT1T50133.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter


⑨望海風斗さんと真彩希帆さんのハーモニー

出会ってくださってありがとうと伝えたくなるおふたりの『ワンス』のお芝居について書いておきたいのです。

貧しいユダヤ人少年役の望海さんと、女優をめざす少女役の真彩さんが互いの夢を歌う「皇帝と皇后」の歌の場面があります。
最初に観た時はこの夢はきっと叶わないと直感して切なさが胸にこみあげて涙がにじんできました。けれどその切ない歌は、2回、3回と観るたびに「夢を叶える」という自信に満ちあふれた歌へとかわっていったのです。

また、望海さんのヌードルスと真彩さんのデボラの関係性は、初見の時はヌードルスの愛の深さの方が際立っていました。けれど回を重ねるごとに役が深まっていて、2度目よりも3度目にはデボラも彼のことを愛しているんだとわかって、より一層この物語の切なさが胸に染みました。


夢のために恋をあきらめたはずなのに夢が叶った瞬間に孤独をかみしめることになるデボラはひとり泣きます。口元を引きぴんと張り詰めた頬に零れるひとしずくの涙の美しさ、人前では弱みを見せない芯の強さ、弱みを見せられない臆病さ、銀橋で観たわずか数秒のお芝居で矛盾にみちた人間らしい想いをあふれる寸前で押しとどめながら美しい歌をうたう真彩希帆さんの清麗で端正なお芝居に心うたれました。

好きなのは数十年ぶりにヌードルスと再会したときの驚きの表情です。心の奥底に仕舞い込んだ愛が一瞬ふわっと花開くようなときめき、流れ出てあふれてくる思いに戸惑い寸前のところで抑えようとしてたちすくむ表情、今の自分の状況をとっさに思い出して彼には決して知られたくないと感じておびえる表情。一筋縄にはいかないひとの心の機微、歳をとっても薔薇の花びらように傷つきやすい感受性の鋭さを、真彩希帆さんは繊細に変わる表情で伝えてくれました。

望海さん演じるヌードルスは、決して絶望しても倦んでもいないけれどあきらめることを知ったこその落ち着いた余裕をみせています。それとは対極的に、真彩さんの演じるデボラのよるべのない不安さがなおのこときわだちます。

互いに夢を語り合い夢は叶うと信じてきらきらと目を輝かせていた少年と少女が、地の果てまでたどりついた先は、互いに視線をかわすことさえためらうあまりにも遠い隔たりでした。
穏やかに表の顔は平静を取り繕いながら、過去と現在が渦巻いて波打ちざわめく内心のありようをすかし見せるというお芝居を、このおふたりはごく自然に演じてみせていました。
演じるというよりは「生きている」という表現をこのおふたりは好んで使いますが、まさに、2時間半という時間で、ひとりの人生を丁寧に生きてみせてくれたのです。

こんなに愛し合っていても時間と選択と運の巡り合わせで結ばれなかった二人の愛の物語を、望海さんと真彩さんが大切に生きてくれました

結ばれなくても愛したことに変わりはないのです。
結ばれなかったからこそ愛の純度は保たれ、このふたりはおそらく命が尽きる日まで互いを忘れることはないと思えました。

望海さんと真彩さんのお芝居はその波長がぴったりと合うのです。望海さんと真彩さんがおひとりで歌われる時も舞台の上でまばゆい光が発するような気持ちになるのですが、おふたりが愛の歌を歌うと世界じゅうの花が輝く光の中でいっぺんに咲くような心地がしました。

望海さんの隣に並ぶのは真彩さんしかいないし、真彩さんの隣に並ぶのは望海さんしかいない。お互いの存在のかけがえのなさを、望海さん真彩さんお二人とも大切になさってお互いをみつめながら歌う姿をみるたびに、嬉しくて涙が出るのです。この世で唯一無二の存在にめぐりあえた幸せは存在すると信じられて本当にうれしいのです。

望海さんと真彩さん。ふたりでいるから一人では見られない景色を見られたと語り、ふたりで一緒に終われるのなら本望だと相手に伝えられるほどにふたりでひとつで、さらに高め合えると信じているふたりの魂の響き合いを、どんな言葉で呼べばいいのかと考えこんでいたけれど「愛」としか呼びようがないのです。そのようなおふたりの姿を見届けられることが幸せだと感じるようになったのです。

⑩もういちど望海さんのこと

生まれて初めて観た『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の望海風斗さんが正気の沙汰じゃないほど美しくて凜々しくてかっこいいと思ったのはなぜなのか、未だにうまく説明できません。
立見席でも視線が飛んできて目が合うと感じることが実際有り得るのかもわかりません。
けれどマシンガンを撃ちながら歌う姿をオペラグラスでおっかけていたら、銀橋で微笑む望海さんの視線がわたしに飛んできて目が合った感覚がありました。銃を撃ち命を奪う破壊的で暴力的な場面のはずなのに、生きる喜びに溢れてて、心に命の弾を撃ち込まれた気がしたのです。

「望海風斗」が歌い踊り、ふとこちらを見るまなざしにはなぜあんなにもひとの世の行き着く果てをみつめるような透徹感があるのでしょうか。それでいて今この刹那を生きる喜びが身体の内から湧き起こる陶酔した表情もみせるのです。多層的で両極に揺れ動くひとの心のゆらめきを望海さんはその一瞥に込めるのです。

望海さんは、役の人生と音楽を緻密に組み立てる「ロゴス(論理)」、我を忘れるほど全て晒け出す「パトス(情熱)」、誠実さと宝塚愛を感じさせる「エトス(信頼)」、この三つの要素を完璧に備えているのです。だから望海さんが舞台で演じる男の人生は深く心を動かし、歌は魂に響くのです。

2020年はつらい1年で、特に7月以降わたしにとってはつらいことがいろいろありました。ごはんを食べられなくなるようで、何も観られなくなったときも、唯一、望海さんの歌う「すみれの花咲く頃」「さよなら皆様」だけは聴くことが出来ました。ほんとにあのときは望海さんの歌声に救われていたのです。

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多くのひとと多くの作品との出会いによって、宝塚歌劇はわたしにとってかけがえのない大切な世界となりました。

七海さんはひとの柔らかなあたたかさを教えてくれるひとです
明日海さんはこの世の果てまで連れて行ってくれるひとです
望海さんはこの世で生きる底力を与えてくれるひとです
そんなことも感じるのです
小林一三先生ありがとうございます。

そんなことある?というようなことがたくさんあって、ここまで来ることが出来ました。日々たくさんのひとの言葉で気付きを与えてもらっています。なんだかとてもまじめなことばかり書いてしまうのですが、とにかく嬉しくて楽しいのです。2020年は怒涛のようにいろんなことがあって激しく落ち込んでいろいろめげたりもしても、いつも宝塚が掬い上げてくれました。

だからこれからも宝塚を観て、
望海さんと雪組さん、
花組・月組・星組・宙組のみなさまの舞台も観ていきたいです。
宝塚を前にすると、ピュアピュアな幼子の気持ちになれるのです。
幼子のような心があれば誰にでも天国の門は開かれる。
聖書に書いてあります。
心からそう思います。天国の門が開きました。
ありがとう宝塚。
愛してるよ宝塚歌劇。

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