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料理は男を自由にしてくれる(かも)

料理を作る事ができれば、自由の幅が広がる。たとえば夕食が出てくるのを待つ必要がない。自分のペースで作る自由が手に入る。材料さえ揃えておけば、好きなときに好きなものがいただける自由も。しかもほぼ原価でだ。外食に使っていた金額が財布に残り、それを使う自由も手に入る。Uber Eatsは便利かもしれないが、原価に70%乗っていると思うと食欲も失せる。。
うちの場合、なによりいいのが、かみさんから料理の呪縛を解いてあげたこと。こちらの料理の腕を認めて以来、家での食事の準備で手が抜ける。さらに出かけるときに食事の用意をする必要もない。かみさん、年数回海外旅行するのが趣味だが、不在中、こちらの食の心配は一切なし。かみさんの心にも自由をあげた、というわけだ。そのおかげでこちらも堂々と羽根を伸ばす自由を甘受できていたりして。
料理を習い始めたのは2002年の1月、年齢でいえば生まれて半世紀の50歳のとき。
前年2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロのその日に50になった。8月に高校に入学した息子と渡米、ロサンゼルスからサンフランシスコまでムスタングのオープンカーでドライブ旅行して帰国した直後だった。
潮目が変わる、というのだろうか、これをきっかけに世の中の流れが大きく変わるに違いない、俺も変わらないとこの先大変なことなるという思いに捕らわれた。何をしたらいいのか。そうだ、これまでの延長線上にないもの、むしろこれまで苦手と思い込んでいたものを体験してみようと、理詰めというより延髄反射的に選んだのが次ぎの3つ。社交ダンス、ボーカルトレーニング、そして料理である。世の中の変化に到底対抗できるものでもなし、なぜそうなったかはよく分からない(^_^;
とりあえず会社の近くにすべて教室がある、というぐらいか。で、それから19年目の今、どうなったか。ボーカルトレーニングは完全撤退したが、社交ダンスはサルサ、キゾンバにシフトしたが胃楽しく踊り続けている。そして料理は柳原料理教室に通い続け、近茶流懐石料理正教授の看板をもらって、自身の料理教室を主宰するまでに。
ダンス、料理がここまで継続したのは、両方に共通して「新しい若い友人たち」との出会いがあったからではないか。その若い仲間から、自身のこれからを考えるさまざまは刺激とアイデアをもらった。
我が人生のテーマ「今日のご飯・明日のお金」の今日のご飯はまさにこの19年年間の修行があったからだが、継続のモチベーションは、「料理を覚えて自由になった」と実感したことが大きい。俺たちの年齢だと、一緒に暮らす爺さんから「男が台所にはいったらいかん」と教えられたご同輩も少なくないはず。その結果、食事は出されるもの、食べるものであり、作るものではなかった。その結果が、50歳になって、みそ汁も作れない家では役立たずの中高年に成り果てた。お袋が煮干しや鰹節からだしを取っていたが、こちらは眺めるだけ。それがどういう効用があり、みそをどのタイミングで加えるかなども知らずじまい。
その俺が今では築地、豊洲に仕入に行き、月に1度ではあるが和食をお教えするまでになった。かみさんも楽になったし、俺も自由になれ、さらに料理を振る舞う友人たちにも喜ばれるという、まさに関わる人全員ハッピーにできることって、料理の他、なかなか思いつかない。
不思議なもので、和食を通じて料理の技術を学ぶことで、洋食、中華、菓子作りなども出来るようになってきた。鰹もさばければ、パテドカンパーニュも作れ、たまにシフォンケーキも焼ける、ってちょっとかっこいいかも、と自画自賛。
人生にはステージがある。その後半のステージの相棒として料理は最高のお友達。そのときのために、今からぼちぼちと包丁を持つ機会を増やすのがお勧めだ。男子よ、厨房に立とうじゃないか。

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