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キャリアも資産も1つより2つ、2つより3つがいい

藤原和博さんの、100万にに1人の人材になれば1000万円から1億円の年収は約束されるという有名なプレゼンに思わず膝を打つ。藤原さんは30台までに100人に1人の人材になり、40、50台に1万人に1人の人材、そして最終的には100万人に1人の人材を目指せという。そのためには1つのスキルだけではなく、複数のスキルの組み合わせで勝負するといいと説く。
1つの専門分野でトップに立つのは超難関だが、そこに別の分野のスキルを持ち込めば1万人に1人の人材になる確率は高まる。
自身のキャリアのスタートはスポーツカメラマン。美大3年でプロとなり、卒業後も専門誌のカメラマンとして世界のスポーツイベントを撮り歩くこと10数年、その世界ではそこそこ意識される人材に。ところが、自身もそうだったが、回りを見渡たしても、十分な収入を得ている同業がいないことに気が付いた。このままでは尻つぼみと、撮影だけではなく自ら企画を立て大手雑誌社に売り込み、原稿も書くようになった。そのおかげで講談社ホットドックプレス、文藝春秋ナンバーの創刊に携わる事が出き、専門誌時代とは比較にならない幅の広い分野での仕事を得ることができた。カメラのスキルに企画と執筆のスキルを足し込んだおかげだ。その後、編集、デザインのスキルも磨き、さらにアメリカで出会ったDTPというパソコンによる出版の仕組みに興味を持ち、その分野を深掘り、一時期は日本のDTPの父とまで呼ばれることになる。そのおかげでヘットハンティングされて某ベンチャーに。これが39歳で、たぶん1万人に1人ぐらいの人材になっていたのではないか。そのベンチャーはあえなく倒産となるが、そのキャリアのおかげで秋葉原の風雲児とも呼ばれた方から出資を受け、倒産1カ月後には新会社の創業に辿り着いた。その会社を24年経営、5年前に区切りをつけて現在の自分1人の新会社へと辿り着いたわけだ。
カメラマンという職業、世界を回ることもできたし、それなりに楽しかった。が、いかんせ労働と対価のバランスが悪すぎた。そこで他のスキルを加えることで、生き馬の目も抜く出版業界を生き延びた。さらにパソコンのスキルが加わって、会社も立ち上げた。まさに複数の芸が身を助けくれた。
しかし、その出版業界も年々シュリンクすることを感じで、見切りを付けた。そして、引退するにはまだ早い、と資産運用を軸に新たな経済活動をスタート。そこにもキャリア同様、複数のファクターを組み合わせて負けない仕組み作りがあったのだ。それを教えてくれたのが資産デザイン研究所の内藤忍さん。直接教えを請う前から資産の運用はしていたが、アセットアロケーションという考え方に基づいて運用開始したのは内藤さんのコンサルを受けてから。日本語でいえば資産分散。昔の言葉でいえば「ひとつのバスケットにすべての玉子をいれではいけない」というやつ。金融資産を以下の6つに分けてその割合をコントルールするという大原則。すぐには達成できないが、理想のアセットアロケーションに向けてコツコツと投資を続け、ライフステージに合わせて変化させていく。

・現預金
・国内株式
・国内債券
・海外株式
・海外債券
・その他

例を挙げれ現預金20% 国内株式・債券35%、海外株式・債券35%、その他(貴金属、REITなど)10%と自分に合った割合を決めて分散していけばいい。なぜ国内だけではなく海外も加えるのか、というところがポイント。為替の変動に対抗するため。円安、円高どちらに突き進むかなど、素人の我々に分かろうはずもなく、ならば円と外貨を半分づつ保有していたら自律的にバランスが取れるという考え方。キャリア同様、円だけではなく、外貨というもう1つの要素を加えて負けない仕組みを作っていくわけだ。ライフステージに合わせての変化については、またの機会に。
ところで資産運用×ペアダンス×料理というスキルの組み合わせで、俺って100万人に1人ぐらいになってない? それにしては稼ぎはないなぞ(^_^; つまり求められるキャリアじゃないのかしらん。くじけず修行いたしましょ。

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