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水野太史氏レクチャー「焼き物からデザインを考える」

本稿は、2021年11月10日に東京大学建築生産マネジメント寄付講座主催のレクチャーシリーズ「つくるとは、」の第四回「つくる×材料」における、水野太史氏(水野太史建築設計事務所/水野製陶園ラボ代表)による講演(研究・活動紹介)の内容から構成したものになります。

京都工芸繊維大学の3回生のときに、文化祭で仮設的なカフェをつくりました。当時所属していた、美術部のメンバーのほとんどが建築学科とデザイン学科の学生で、みんなで意見を出し合いながらカフェを設計・施工しました。既存のRCの部室の中に、京都市の美術館で不要になった展示用のパネルなどでつくったボックスが挿入されたような構成になっていました。ボックス内がお客さんの入るエリアで白い空間に、RCの躯体とボックスの狭間がスタッフの働くエリアで赤い空間になっていて、白い空間にある床から立ち上がった筒の上にお盆を架けるとテーブルになるというデザインでした。学生時代にみんなでぶつかり合いながらつくり、3日間だけではありますが営業をして、その売上で施工費を賄うという経験は本当に楽しくて、原体験として自分の中に残っています。

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休学して地元常滑で建築家としての
第一歩を踏み出す

3回生からの4回生に上がるとき、2年間休学をして、祖母が持っていた常滑市の土地に《本町のテラスハウス》という集合住宅を設計しました。2005年に中部国際空港ができるのですが、その少し前のことで、当時はデベロッパーが空き地を見つけては営業をかけて、よくあるデザインの賃貸住宅をたくさん建てていました。僕の祖母の土地でもそうした計画が進んでいるということを知り、建築学生としてそれを容認してはまずいんじゃないかと思い、どうしても自分に設計させてほしいと親戚に頼み込みました。親戚からは猛反対にあったのですが、結局2年間大学を休学して、名古屋の設計事務所に丁稚奉公的に通いながら設計を進め、事業計画をつくって銀行に融資を頼みに自ら足を運びました。なかなか融資を得るのが難しかったのですが、ようやくある農協が融資をしてくれることになり、事業を進めることができました。

地方では、大きな駐車場ができて、その周りに2–3階くらいの大きいボリュームの建物が住宅街にいきなり建つことがよくあるんですね。でもそうした建ち方って古い町に対してすごく暴力的で、昔から住む人と、新しく住む人のコミュニケーションも上手くいかないだろうなと思うんです。そういった形式ではない建ち方を模索して、RCの長屋という案にたどり着きました。地方だと大人一人につき一台の車がほしいので、南北に駐車場を設けました。敷地に高低差があったので、それを使ってスキップフロアみたいな形にして、最上階には屋上テラスをつくりました。窓からはいろいろな角度の景色が見えるようにして、住んでいる場所の環境をよく感じられるような設計にしました。

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このとき、僕の祖父が始めた水野陶製園という会社でつくった陶製レンガの在庫が大量にあり、これを使ってほしいと頼まれて、仕方なく使うことにしました。学生のときは無機的な素材に憧れがあって、土着的なイメージのあるレンガはあまり使いたくなかったのですが、使ってみるとこれがすごくよかったんですね。在庫のレンガやタイルだけでなく、特注でお風呂のタイルや部屋番号のプレート、集合住宅の表札もつくりました。学生時代は、将来は東京に行って設計事務所をやりたいと思っていたのですが、この仕事をきかっけに、のちのち地元常滑と水野陶製園にかかわっていくことになります。

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また、銀行から融資を得たという話もしましたが、祖母が高齢なので、僕が連帯保証人になるかたちで貸してもらいました。このとき約7,000万円くらいの融資を受けたのですが、学生の自分にとってはぞっとする金額でした。だから必死でいろいろ考えて、オープンハウスのときに知り合いの陶芸家にスタイリングしてもらったり、チラシをつくって地元のお店に配ったりして、なんとか人を集めて入居してもらうことができました。その後も、相場の家賃よりもやや高いにもかかわらず、想定よりも高い入居率を維持していて、事業としてもすごく上手くいったと思います。

2年間の休学ののちに復学し、《本町のテラスハウス》の現場監理をしながら、並行して卒業設計を進めていました。こうした経験をしたことで、将来は設計だけでなく、自分の手を動かしてつくることもしたいと考えていました。卒業後は、親族の持っている空き家を賃貸にする企画をつくり、前の物件で覚えた事業計画のノウハウを使って説得をし、一軒家を半年かけて改修して賃貸にしたりしました。

その後は普通に就職しようと思い東京に移り住み、1年半くらい設計事務所をアルバイトで渡り歩いていました。東京で働きながら、「ここは自分の居場所じゃないな」というふうに感じていて、地元常滑を敷地にした卒業設計をちゃんと完成させようと思いつくったのが《TOKONAME REPORT 2010》という作品です。2007–08年のときにつくったもので、2010年の常滑に向けた提案になっています。

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集合住宅を実際に設計してみて、建った後は建物の魅力や町の魅力で集客しなければいけないことに気づき、自分の住んでいる常滑市が住みたくなる町になるためにはどうしたらいいかということを考えて、都市計画をつくりました。常滑はもともと終着駅で文化が溜まる場所だったのですが、中部国際空港ができることで通過駅になり、立地学的には名古屋と空港のベッドタウン化という現象が起きていました。デベロッパーもこぞって宅地開発を行い、昔からある常滑の風景をつくっていた古い工場とかが壊されていて、町の資源としての景観が失われていました。そこで、常滑の特徴的な3つの要素──「空港」、空港手前の大きな埋立地「りんくう町」、常滑で焼き物が盛んだった地域を産業遺産的に観光地化した「やきもの散歩道地区」を再度位置づけるような提案をしました。やきもの散歩道地区は常滑駅からすぐ近くにあり、地元の人は普段は行かないのですが、外からお客さんが来たら観光に連れて行く場になっています。このやきもの散歩道地区を生活拠点にするような建築を提案することで、ヨーロッパでいう旧市街と新市街みたいな2つの異なる魅力のある町ができ、それらが相乗効果で全体の魅力をより高めてくれるのではないかと考えました。

焼き物から良い空間デザインを考える

常滑という場所は焼き物の町で、やきもの工場や煙突が町の風景になっています。坂道の擁壁がB品の土管で作られたり、道がB品の割れた陶器で舗装されていたりしています。そうした自分たちの町でつくったもので、町がつくられているということがよく見える場所です。僕は今、この地元常滑市に住み、この場所を中心に設計活動をしています。

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水野陶製園は祖父が1947年に創業した会社で、その中で水野陶製園ラボという活動もしています。東京で働いているときに、地元の友人から自宅の設計を頼まれたことをきっかけに常滑市に帰ってきました。ですがそれ以外にあまり仕事もなかったので、おじが継いで経営していた水野陶製園で、陶の可能性を切り拓く「水野陶製園ラボ」を始めました。ラボは3つの活動を軸にしています。

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1つめは「技術の活用」で、社内にある膨大な釉薬や陶土の試験サンプルやノウハウを活かした活動です。焼き物を使った新たな表現の実験をしたり、アーティストの杉戸洋さんのタイル作品の制作をお手伝いしたり、建築家からの依頼で特注タイルを製作したりしています。2つめは「資材の活用」で、在庫が山積みになっていた透水レンガの売り込みをしてきました。今では品質を認めてもらえて、多くの建築家に活用してもらっています。3つめは「空間の活用」で、水野陶製園の中の空間を活かす試みをしています。レンガ敷きワークショップを行ったり、これはまだ手を付けられていないのですが、空き家になった旧社宅の活用を考えています。

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少し話は飛びますが、500万年前のこの地域に東海湖という古代湖があって、焼き物で有名な常滑や瀬戸、多治見はみんなこの湖の底や沿岸に位置していました。この頃に山で浸食によって削られた岩とかが粉になってこれらの地域に堆積し、現在、陶土として使われているわけです。僕は普段から原料の粘土に触れているのですが、これらは人間がここに住み始める前からあったものなんだと、マクロなスケールの時間を感じています。一方で釉薬は分子レベルでの化学反応の表出で、すごいミクロな世界のことも同時に想像しながら、日々製作をしています。

常滑市役所新庁舎陶壁プロジェクト

最後に、最近設計したものを紹介して終わりたいと思います。《SEVEN STORIES》は、民泊とマンスリーマンションの2つの事業からなる宿泊施設です。7部屋それぞれ別のデザイナーが手掛けるというプロジェクトで、このうちの一室を僕が担当しました。もともとが集合住宅で、水回りはいじらずに、それ以外に手を加えて宿泊施設にするというものでした。各部屋は愛知県の伝統産業みたいなものをコンセプトに設計すると決まっていて、僕は最初からタイルを使った設計をしてほしいと依頼されていました。それを受け、200角のタイルを200mmグリッドに乗せる形で配置し、壁や天井は全部シルバーに塗ったデザインを提案しました。また、1–4人まで宿泊人数が変わるということだったので、1つだとベンチになり、4つ組み合わせるとベッドになり、スタッキングすれば棚になる木製のユニット什器をつくりました。グリッドに配置したタイルは部屋をレイアウトする際の目印にもなっていて、これはうちの古い工場でも使われていた、床を塗り分けてゾーニングするデザインをモチーフにしました。その他にも、スタッキングできる棚のアイデアは工場で使う台やパレットを、シルバーの塗装は窯に使う耐熱塗料をイメージしてデザインしました。

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《常滑市役所新庁舎エントランスの陶壁》はプロポーザルコンペで水野チームが1位を取り、製作をしたものです。テーマは「未来」だったのですが、未来を考えるためには過去を考えないとダメだろうと思い、土の持っている強さみたいなものを感じられるような陶壁を提案しました。地には原土をイメージさせる陶板を使い、45度に振られたエントランスの動線に合わせて陶板をギザギザにすることで、右からは茶色の土しか見えないけど、左からはカラフルな絵が見えるようなデザインになっています。同級生のアーティストと一緒にデザインを練り上げ、「太古から変わらぬものと、受け継がれてきたものと、そして未来」というタイトルを付けました。

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制作過程では、常滑の土を実際に掘ってさまざまな選り分け方を試し原土の表現を模索したり、5分の1の模型をつくってスタディをしたりしました。原始的な製作をしている知り合いの陶芸家の穴窯にサンプルを入れて焼いてもらったりもしましたが、穴窯でつくると味わいが全然違ってきて面白かったです。陶壁には、常滑の未来の地図のようなものを中心に、伊勢湾の空と海、常滑の瓶、飛行機といったものが描かれています。また、常滑は粘土質なので非常に水はけが悪く、雨が降るといたるところに水たまりができるので、そうした風景もモチーフにしています。

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押出成形機を使って制作した山型の陶板を乾燥させるのも大変で、ふちから乾燥してひび割れないように、ふちにラップを巻いて中央から乾燥させる工夫も都度考えて行いました。図案は細かく分けて製作図をつくり、くっつけたりバラバラにしながら、刷毛やエアブラシなど、いろいろな手法を使って釉薬を塗っていきました。釉薬の感じと、焼いた後は全然違うので、イメージをしながら塗らなければいけないのが焼き物の難しいところです。水たまりの表現はガラスを溶かして再現しています。工場で組み立てて、高いところから何度も確認をして、焼成に入りました。実際に現場で組み立ては終わり、12月のお披露目を待つばかりです。

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構成:和田隆介(わだ・りゅうすけ)
編集者/1984年静岡県生まれ。2010–2013年新建築社勤務。JA編集部、a+u編集部、住宅特集編集部に在籍。2013年よりフリーランス