2021年3月12日HEAD研究会ビルダーTF主催 山口博之氏レクチャー
本稿は、2021年3月12日にHEAD研究会ビルダーTF主催で行われた山口博之氏(建築意思)によるレクチャーの内容を要約したものになります。
私が代表を務めている建築意思では、設計だけでなく施工まで手がけていて、工務店といった方がしっくりくるような活動をしています。私自身は、2001年に京都精華大学の建築専攻を卒業した後、設計事務所に勤めたことはなく、現場で大工修行をしたり、自分で小屋を造ったり、家具を造ったりして京都府で過ごしていました。その後、2006年に沖縄県に移住し、自分の設計事務所を始めました。
現在は、年に2棟から3棟ほど住宅を中心に手がけていて、スタッフは設計が2名+1名応援スタッフ、現場の大工が2名+1名の、総勢4、5名で動いています。今回は、沖縄に移住してからのプロジェクトをいくつか年代順にご紹介します。
岩とガジュマルの家(2007年)
まずは、沖縄県での活動を始めるきっかけになったプロジェクトです。当時、沖縄県の建物の90パーセント以上がRC造で建てられており、木造住宅を建てるための建材、プレカット、Z金物などがなかった中で、材料調達に関して木材屋と相談しながら建てた住宅です。職人に関しても、京都府から友人の大工を呼んで、墨付け、加工、建て方、外部・内部の造作まで自分たちでやりました。
高志保の家(2015年)
続いても住宅で、庭師の夫と陶芸家の妻のための住宅兼事務所兼陶芸の工房です。このプロジェクトでは、セルフビルドで家を造りたいという施主の要望に対して、素人が家を造ることを条件とした時に、どんな建築になるかをテーマに設計しました。
まずは、安全第一。高所作業を避けるために、平家としました。
2つ目は、どこでも手に入る材料にすること。ホームセンターで普通に買うことのできる材料を条件としました。
3つ目は、単純なディテールとすること。屋根は波板トタン、内外装壁仕上げは杉板の竪張り。釘を打っていけば仕上がる、そして単純作業の積み重ねで作れてしまう。一見複雑な構成に見えますが、取合いは同じ納まりになっています。
4つ目は、使用する道具を絞ること。工具は丸のこぎりとインパクトドライバーに絞り、ノミやかんななどの大工技術を必要とする道具は使っていません。
5つ目は、設計の段階で決めすぎないこと。設計段階においての図面は1/100とし、詳細図は作成しませんでした。あとは現場打ち合わせの中で、その場でスケッチを描いて決めました。
セルフビルド建築の5原則です。
長浜の家(2016年)
続いては、沖縄本島の中部、読谷村に建てた住宅です。左右の白いコアは在来構法で、材はプレカットです。そこにH形鋼をはわせて、その上にインドネシアで加工した小屋を載せる構成になっています。
ここでは、インドネシアで手刻みのプレカットをすることを考えました。この小屋の材は全てインドネシアで加工したものを持ってきて組み立てられています。海洋アジアの北端に位置する沖縄にとって、同じ海洋アジアの南に位置するインドネシアの建物や植生、風景は、国内他県のそれら以上に親近感を感じさせます。沖縄を日本の南端の小さな自治体と捉えるのではなく、熱帯、亜熱帯の海洋アジアの群島と捉えた時に何ができるかをテーマとしました。海洋アジアの本場、インドネシアから建築を学ぼうという試みです。
インドネシアには、いわゆる流通材というものが存在しないので、まず木材の買い出しから始める必要があります。丸太を購入し、製材屋で挽いてもらい、乾燥させるという流れをとります。建具なども、日本のように木工機械が発達していないので、一つずつ微妙に形が異なっていますが、それが味になっていると思います。
アトリエドゥカティ(2017年)
続いては、アトリエドゥカティという染色家のアトリエです。作業をするために十分な広さの平場を確保するため、7.2メートル×9.1メートル、つまり4間×5間の無柱空間が必要でした。それだけの大空間をローコストで実現するという課題に対してここでは、平行弦トラスを採用することで回答しています。
この構造体は、柱材として最も流通している105角の4メートル材を使い、一般的なプレカット工場でできる加工を施し、接合部に市販のZ金物を用いて作られています。特別な技術に頼ることなく、既存の技術を組み合わせて実現するための選択です。プレカット加工技術をはじめとした、在来構法の文脈の中で発展してきた既存の技術を結集し、トラス構造にまとめ上げる試みです。
むぎのこ共同保育園(2018年)
こちらは私が初めて手がけた公共建築です。アトリエドゥカティの考え方を発展させてさらに大きな空間を実現しています。木造の保育園なので、準耐火建築物の燃え代設計が求められる中、木材の現しで12.74メートル×9.1メートルの無柱空間を、120角の材料のみで構成しています。天井全体で一体となる小屋組になっており、白い面全てに筋違をランダムに入れることで成り立たせています。
EMT Farm Project ブータン(2020年)
これはコロナが流行する前に関わっていたプロジェクトです。独立行政法人国際協力機構の草の根技術協力事業というもので、沖縄県のとある養鶏農園の優れた養鶏方法をブータン王国で広めようというものです。広めるための試験農場を造る計画があり、試験農場の設計担当のプロジェクトメンバーとして参加しました。
その養鶏方法は、鶏舎の造りがとても重要なポイントになっています。しかし、それをブータン王国で広める上では、鶏舎が特別なものであっては駄目で、普通の農家が自分たちの近くの町で手に入る材料、金物で造れるように仕様を考える必要がありました。そこで現地に赴き、木材や金物の流通、規格、構法のリサーチを行いました。
町の工場で売られている金物や材料を調べ、規格寸法などから設計を決めていきました。軸組は、日曜市場で建てられている東屋の軸組を参考にし、礎石に柱が載る構成で、材料も100角とその半割でできています。木材は、トラックの荷台に載る最大長さ10フィート、波板トタンの規格幅2フィートから寸法を割り出し、設計をまとめていきました。
小谷の家(2021年)
続いての住宅では、茶室の制作が求められました。ある程度お茶のルールに則らなくてはいけませんでしたが、沖縄県ではいわゆる数寄屋建築をできる大工も材料も見つけることは難しいです。もちろん京都府から専門の大工を呼んでくればできるとは思いますが、そこまでの予算もなければ、そこまで求められてもいない中で何ができるのかが課題でした。
京都府に、裏千家の又隠という4畳半の茶室があります。最もオーソドックスな間取りとされているこの茶室の写しを、沖縄県の材料で造ることを考えました。
まずは材料探しから。床柱、相手柱は、自ら山を歩き、見立てをし、採集しました。床框、落としがけは、沖縄に自生する木を扱っている木工家に依頼。土壁の土は、近くで道路工事をしているユンボのおじさんに。天井の網代は、竹細工のおじいちゃんに。といったように、茶室を構成する一つ一つの素材を、自分の足で野山を歩き、探し、発見し、採集しました。
設計は、又隠の図面を元に現場で行いました。ベニヤ板で1分の1のモックアップを作成して、それにのこぎりを入れながら光の具合を決めていきました。
小さな家(進行中)
最後に今進んでいるプロジェクトです。友人の陶芸家が家を建てなければならなくなったがお金が全然ないということで、設計をとにかく簡略化しようと始まったタイニーハウスのプロジェクトです。
施主との話し合いの中で描いたスケッチをそのままスタッフに投げて、その1週間後には確認申請を出しました。あとの納まりや窓の位置などは、大工と施主を交えて話しながら、現場で決めています。
おわりに
建築という行為において思想や思考を独占する人。これが仕事を始めた当初の私にとっての建築家像でした。自分で考えたことを、自分で作りたかった。そのために大学卒業後、大工修行を試みました。
しかし今では、どこからが設計でどこからが施工なのか溶けてしまい、何が竣工なのかも曖昧になっているようです。独占するのではなくむしろ、計画・設計に余白を残し、現場で起こることを受け入れながら、変わっていくこと、変えられていくことに興味を持っています。
その土地の風景、大工の理のある意見、お施主さんの何気ない言葉。それぞれの言語を建築として翻訳する人。これからは、翻訳者として、「媒介者」としての建築家像を描けたらと考えています。(了)
執筆:櫻川廉(さくらがわ・れん)
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻権藤研究室修士課程/東京大学工学部建築学科卒業後、同大学院に進学。現在、権藤研究室に所属し、住宅構法の研究を行っている。