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荒木源希氏レクチャー「“Hands-on” approach──手で思考する」

本稿は、2021年12月14日に東京大学建築生産マネジメント寄付講座主催のレクチャーシリーズ「つくるとは、」の第五回「つくる設計者」における、荒木源希氏(アラキ+ササキアーキテクツ/モクタンカン代表)による講演(研究・活動紹介)の内容から構成したものになります。

私は2004年に大学院を出て、就職できず半年間のフリー期間を経て、設計事務所に勤めました。2年半ほど働いた後に退職し、また半年間くらい沖縄でテント暮らしをしたのちに、アラキ+ササキアーキテクツという事務所を始めました。佐々木夫妻と僕の3人が代表の設計事務所です。
 設計事務所を始めるときに、僕たちの特徴って何だろうと考え、設計方法論を最初につくりました。それが、「状況から発見する」「手で思考する」「根拠ある判断を積み重ねる」の3つなのですが、今回は主に2つめの部分の話になると思います。積極的に手を使って、ドローイング、模型、試作などを制作し、思考の幅を広げ、頭で考えたことと手で考えたことを融合させて、一つの形ある建築をつくろうとしています。

「つくること」に興味を持ったきっかけ

すごく生活感ある写真ですが、これは実家のダイニングテーブルです。6人家族で4人掛けのテーブルを使っていたのですが、自分が小学生のときに「いいかげん狭いだろう」という話になって、親父とホームセンターへ行き、三六判の集成材を買ってきて、カットして乗っけたらすごく便利になったんです。こうやって自分で何かをつくると、生活がすごく変わるという経験が、結構強烈に残っています。

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もうひとつは、中学生の図工の授業でカセットテープボックスをつくる課題が出たときのことです。木の小口をやすってきれいにすることに熱中してしまい、毎日のように放課後になると図工室へ行き、ひたすら木をやすりがけしていました。この2つの経験が、ものづくりの道へ進むきっかけになったのかなと思っています。
 それから少し飛んで、大学4年生のときには、2002年日韓サッカーワールドカップを大学の中でみんなで楽しく見れる場所を同級生とつくりました。大きなキューブを展開すると、片側がスクリーン、片側がバーカウンターになるといいうものです。学校の中のスペースを借りて、みんなでビール飲みながらワールドカップを楽しみました。

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就職して現場監理へ初めて行ったとき、13メートルもの鋼管杭が10本も20本も地面に打ち込まれるのを目の当たりにして、「この杭は、今日この地面に入ったら、もう二度と出てこないんだ」ということに愕然としました。このときの「建築とは後戻りのできない影響を地球に与える行為で、設計とはそれに関わること、責任を持つことなんだ」という感覚も、今の僕のベースにあるのかなと思ってます。
 その事務所を辞めて、半年のテント生活も終わった後に、ちょうど佐々木夫婦が展覧会の会場設営の仕事をやっていて、誘われて一緒に断熱材を体感するようなソファを作りました。写真は、僕がトリマーを使って断熱材の図面記号を加工してるところです。事務所を始めて最初の仕事では、時間もあったし、僕が溶接が少しできたこともあり、レストランのテーブルと椅子を自分たちで鉄で製作しました。

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self-build期──設計から施工まですべてを手掛ける


アラキ+ササキアーキテクツの最初期を、「self-build期」と名付けてみました。この頃は本当に工事を全て請け負い、設計から施工、監理まで、全部を担って活動してました。
 こうしたことを意識的に取り組んだ最初の物件が《Akubi》という、小さなパン屋さんです。設計としては、「状況から発見する」ということをいつも考えているので、地域、立地、動線といった状況を読み取り、人を呼び込むような形の庇と壁が、反対から見ると隣の自販機や電話機と並んでパンのショーケースのように見せて、街に馴染んでいくデザインというのを考えてました。
 当時は本当に現場のことを何も知らず、日曜日にもかかわらず申請を出さずに解体工事を始めて、管理人さんにめちゃくちゃに怒られたりしました(笑)。次の日からはネクタイを締めて掃き掃除から始めるようにしたのですが、そんな状態からのスタートでした。
 この時は、設備屋さんから左官屋さん、家具屋さんまで、全部分離発注をして、自分たちで監理をしました。佐々木たちと塗装をしたり、フローリングを張って、それをお客さんが確認をして、という感じで、何から何まで自分たちでやりました。

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次は、2009年の5月頃に完成した《STOUT new ladies shop》というショップの内装です。ここでも「状況から発見する」ことを中心に設計をしつつ、前の現場で見つけたかっこいい壁の下地を使って什器をつくるなど、現場での経験を設計にフィードバックしたりもしました。この現場はICSカレッジオブアーツの学生と一緒に作業をしていて、ICSの工房でなるべく作り込んでから現場に搬入しました。
 古材の足場板を使った棚は、小口をカットすることで、無垢材の古い面と新しい面の両方を見せる仕上げにしたり、アンティークの扉をぶった切って使うなど、素材も探求しながら、設計・製作・現場を進めていきました。

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“Hands-on” approach期──設計を主軸に、つくりながら考える

 このくらいまで来た時に、はたと「あれ、僕たちは何をしたかったんだろう?」と思うようになりました。というのも、施工をしていると設計する時間がなくなるという状況に陥って、「僕たちは設計がしたかったんじゃなかったっけ」と強烈に思うようになり、そこから少しずつ動き方を調整していきました。この頃のことを、「self-build期」に対して、「“Hands-on” approach期」と言っています。
 この時期の一番の変化は、事務所の中に工房を作ったことです。事務所の中に製作環境を整えることで、「つくりながら考える」ということができないかと考えました。

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それが2010年くらいのことで、この頃に事務所で初めてとなる新築住宅《松竹台の家》の依頼が来ました。108平米の変形敷地に、2世帯7人+犬猫2匹の住む住宅の設計で、限られた面積にどうやって大人数の居住スペースをとるかが課題でした。
 できた家は、ボリュームを3つに分けて、間に三角形のガラスの空間を挟むような形になっていて、床の高さも地面の高さに合わせて変えています。こうすることで、すごく近くにいるんだけど、人と人の感覚的な距離感が変わって、みんなが一つの空間で生活できるんじゃないかと考えました。この建築で住宅建築賞を頂きまして、自分たちの考えていることがちゃんと人に伝わるんだな、ということが実感できたプロジェクトでもありました。

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2軒目の新築《城山の家》は、鉄の職人さんとどっぷり一緒にやってみたプロジェクトです。いつもお世話になっている鉄の職人さんの工房で、鉄の強度から無垢棒の揺れ方、下地と塗装の具合など、いろいろ確認していきました。現場も一緒に入って、階段のささら、庇のフレーム、薪ストーブの遮熱板、手すりといったものを、ひたすら鉄の職人さんと一緒につくりました。

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《網代の家》は、施主から「自分が可能な限り建築の作業に関わりたい」「建築の成り立ちを知りたい」という意思表示をもらったプロジェクトでした。木材は施主の親戚のシゲルちゃんが住んでる山から切り出して、製材し、友人の家具工場で乾燥させてから現場へ運びました。かたや事務所では、施主と一緒にできるよう、施工しやすく見た目もよくて強度も十分な壁の張り方をスタディしたりしていました。また、現場の土を使ったレンガづくりも試行錯誤し、現場でお施主さんと仲間と一緒にレンガをつくり、薪ストーブの周りに積みました。その他にも、籾殻を断熱材として使いたいという施主の希望を受け、施工・管理しやすい壁の設計を、モックアップをつくりながら行っていきました。
 この家は2013年に完成してるのですが、その後も施主が自分で倉庫や農作業の休憩小屋をつくったり、僕らも依頼されて勉強机や三和土、ウッドデッキをつくりました。施主と一緒に、今も進化してる家です。

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この頃から自分が、長い「時間」に向き合うことと、半人工/半自然のような「素材」に興味があるのかなと思いはじめました。
 「時間」のことを特に意識したプロジェクトが、《朝霞の3棟再整備計画》です。母屋の改修と、並びの石蔵と別棟を壊して、家族の遺品を管理する建物を立ててほしいという要望でした。ですが現場を見て話を聞いているうちに、家族の記憶を保存するということであれば、石蔵をアイデンティティとして残し、ギャラリーとして使うことを提案し、こうした形になりました。素材については、新築部分にも石蔵と同じ大谷石を使いたいと考え、事務所で大谷石の粉を混ぜ込んだモルタルのサンプルをつくり、それを参考に左官屋さんに洗い出しで施工をしてもらいました。

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《極楽寺の家》でも、施主と一緒にたくさんの作業をしました。先ほど話したシゲルちゃんの山に木をもらいに行ったり、フレキシブルボードを塗装して張ったり、土のレンガ作ったり、浴槽のタイルの絵付けをしたり。また、この家もつくって終わりではなくて、カーテンのフックやそれを作るための道具をつくったり、アルミを折り曲げて石鹸置きをつくったり、自分の家の地図の柄のカーテンをつくったり、施主自身が一つの長い時間に向き合うことをしています。施主が家づくりに関わることで、家づくりがどんどん身近になり、それをずっと続けていける状況をつくれているのかなと思っています。今、建築をつくるということが生活からかけ離れてしまっていますが、それをどんどんと近づけていけたらいいなと思って活動をしてます。

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時間がないので「素材」の話は少し端折りますが、たとえば、モルタルの型枠に木の破片をはめ込むことで、少し自然の木の表情が映ったものができたり、先程の石蔵でスリーブを通すために円筒形に大谷石をくり抜いたものが、自然にある不定形の石の塊とは違って見えたり、そうしたものに惹かれます。
 また、もうひとつ僕のやっている「モクタンカン」というのも、半人工/半自然的な「素材」なのかなと思っています。これは、団地のリノベーションのプロジェクトで、「鉄の単管パイプを使ってインテリアをつくってほしい」という施主のリクエストに対して、リビングとか生活空間に鉄のパイプがあるのは硬すぎるのではないかと思い、木の丸棒を使ってみようと試したのがきっかけでした。挽物屋さんに直接依頼をして作ってもらい、ワークスペースは単管、リビングはモクタンカンという家を設計しました。
 その後、2–3年経ってから、あらためてちゃんとした製品として形にして販売を始め、イベントやお店の内装で使ってもらったり、自分たちでもプロダクトをつくって発表したりしています。

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設計者が「ものをつくること」を経験する機会をつくる

最後に、教育現場での話をして終わりたいと思います。非常勤講師として教えているICSカレッジオブアーツでは、1年生に「900角のシナ合板1枚で人を支える形を作る」という課題を出しています。学生たちは工房の先生の手を借りながら、自分の手を動かしてものを作ってきます。
 2年生には「学校の中で場所を決めて、そこで過ごすための家具みたいなものをつくりなさい。素材は自由です」という課題を出しています。つくり方はさまざまで、鉄を溶接したり、FRPを使ったり、レジンで固めたり、中にはペットボトルをひも状にしてヒートガンで溶かして鉄筋を結束するという方法を考えてくる人もいて、毎年かなり面白い課題です。
 また、去年までの5年間、東京都立大学で参加型デザイン実習という授業をもっていました。期の前半はエクササイズとして、街中でのサイズ感の習得、街のリサーチ、デザインや大工道具のチュートリアルを受けます。後半はものをつくりながら寸法を考えて、設定した場所に設置をして、運用し、使ってくれる人たちの反応を見るのと同時に、他の先生や建築家に来てもらって講評をしてもらっていました。

ものを設計する人やデザインをする人が、ものを作ったことがないというのは、結構良くないことだと僕は思っています。学生時代に1回でもいいから、こういうリアルなものをつくれる場があるべきだと考えていて、こうした機会に携われているのはとれも嬉しいことです。

構成:和田隆介(わだ・りゅうすけ)
編集者/1984年静岡県生まれ。2010–2013年新建築社勤務。JA編集部、a+u編集部、住宅特集編集部に在籍。2013年よりフリーランス