見出し画像

東野唯史氏レクチャー「ReBuild New Culture」

本稿は、2021年11月10日に東京大学建築生産マネジメント寄付講座主催のレクチャーシリーズ「つくるとは、」の第四回「つくる×材料」における、東野唯史氏(ReBuilding Center JAPAN代表)による講演(研究・活動紹介)の内容から構成したものになります。

僕は1984年生まれで、2003年から2007年まで、名古屋市立大学で建築を学んでいました。学科にはいろいろな分野のデザイナーが先生としていたのですが、グッドデザイン賞の審査委員長をされていた川崎和男先生もその一人で、1年生の最初の授業で、「お前らはデザインで世界を良くしろ」と言い放たれて。「デザインを勉強すると世界を良くできるんだ」と18歳の僕は思い、そのまますくすく育っていきました。
 卒業してから3年弱の間は、ディスプレイデザインの会社に勤めていました。広告的な要素が強い空間デザインが主で、3日間の会期後には全部捨ててしまうような、消費されるデザインをしていました。年間100件くらいのデザインができたので、このときの経験や身につけたスキルは今でも生きていると感じています。

その後、2010年から1年間、世界一周の旅に出ました。旅に出る大きいきっかけが、『Design for the Other 90%』というニューヨークで開かれた展覧会でした。世界人口の10%の人しかデザインの恩恵を受けていなくて、残りの90%の人にデザインが何をできるか提案するという内容のものでした。その中で一番感動したのが《Qドラム》というプロダクトで、水道がなく遠くの川まで水汲みに行かなければいけない地域で、子供一人でも50リットル以上の水を運べるようデザインされたウォータータンクです。こうしたデザインをするには、そもそも社会課題を知らないとできないということに気づき、日本から西廻りに出発して、世界40カ国くらいを巡りました。旅の途中、アフリカの孤児院でボランティアをしたのですが、パソコンもプリンターも電気もないような場所で、CADやキーノートがないと仕事ができないデザイナーは本当に役立たずだなと実感して、ちゃんと地に足をつけて、自分の腕一つで人のためになれるデザイナーになろうと決めました。

画像1

画像2

《Nui.》を通して現場との向き合い方を知る

帰国後の2011年1月、26歳でフリーランスのデザイナーになりました。展示ブースみたいな消費されるものではなくて、できれば10年、20年と長く残っていくようなものや、リノベーションみたいなものをやっていきたいと考えていました。ですが、実績のないデザイナーに仕事なんてこないので、自宅をDIYで改装することから始めました。50平米、総工費20万円と超低コストで、友達にもいっぱい手伝ってもらい完成したのが《メヂカラハウス》です。このプロジェクトでメディアに出させてもらえる機会が増えました。

画像3

一番大きい転機になったのは、2012年に頂いた、東京の蔵前にある《Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE》というホステルの仕事でした。クライアントワークでリノベーションをしたのはここが初めてだったのですが、1,000平米のビルを1棟まるごと頼まれて。「このチャンスを逃したら自分のデザイナー人生終わりだ」という思いで取り組みました。この現場では本当にいろいろやらせてもらって、当時一緒につくった大工さんたちと今話しても、「あんな現場はもうできないね」と口を揃えて言うくらい、みんなの熱量がすごいプロジェクトでした。

画像4

画像5

この後、ReBuilding Centerの方向へと向かっていったのも、このときの大工さんたちの影響が一番大きかったです。一応、僕が《Nui.》のデザイナーということになっていますが、ラウンジは細かい図面は一切描いていなくて、大工さんたちが勝手に決めたところがすごくたくさんあるんですよ。メディアには、デザイナーや設計者ばかりが出てきて、職人さんたちはなかなか出てきません。ですが、彼らは自分でデザインし、材料を集め、つくることができる。みんないろいろなことができて、デザインができることだけじゃ強みにならないとこの時に思ったんです。それから、僕もちゃんと手を動かして、自分のデザインを現場で実現していくような人になろうと思いました。

画像6

2014年からは、妻と一緒に「medicala(メヂカラ)」というユニットで活動をしていました。北は宮城県気仙沼市から、南は大分県竹田市まで、いろいろなところに数カ月住んで、現地で材料調達して、その時出会った職人さんたちや、各地から来てくれたお手伝いさんたちと一緒につくっていくみたいな働きをしていました。

今は10件くらい同時進行で設計をしているのですが、このときは現場に住み込みだったので1件ずつプロジェクトを進めていました。こうしたやり方を選択していたのは、いい空間をつくるためには、現場で図面を描き、施主とのコミュニケーションも長時間とり、現場の隅々まで意識をいき届かせ、1件ずつ全力を注ぐ必要があるという考えからでした。2016年に長野県松本市にある《栞日》というブックカフェを手掛けたのちに、僕たちは長野県諏訪市で「ReBuilding Center JAPAN」という古材屋さんを始めました。

古材・古道具カルチャーを根づかせる
ReBuilding CenterJAPANという試み

日本の今の課題は、人口減少が起きていることです。人口減少に伴い全国の空き家率が13-14%くらいになっていて、これらがどんどん解体されている状態にあります。それらから出てくる廃材のほとんどは再資源化されているのですが、そのほとんどがチップになって合板になっていたり、バイオマスエネルギーの熱源になっていて、古材として再利用されているのは本当にごくわずかです。
 ReBuilding Center JAPANでは、解体される家から古材や古物を買い取り、店に持ってきて販売をしています。僕たちはこの一連の活動を「レスキュー」と呼んでいます。ただ不用になった物を引き取るだけでなく、きちんと店頭に並べ、価格を付けて販売をして、次の担い手につなげていくという行為まで含めて、レスキューの定義としています。全体の95%くらいは家主さんから直接依頼いただき、レスキューに伺っています。

画像7

画像8

ReBuilding Center JAPANのベースになっているのは、アメリカのオレゴン州ポートランドにある、ReBuilding CenterというNPO法人です。彼らは、コミュニティの強化と、地域資源の循環を目的としていて、これらを通して貧困層の就業支援を行っています。僕らは日本の社会課題から始まっているので成り立ちは違いますが、空き家を解体したときに発生する古材が、必要としている人の手に渡って再利用されることで、ゴミを減らし、森を守り、気候変動に対してもポジティブな影響を与えられるのではないかと考えて活動しています。

このような考えでレスキューを始めたのですが、やってみると、家主さんが「レスキューしてもらってよかった」「気持ちが軽くなった」というようなことを言ってくれました。誰も、先祖代々住み継いできた家や、自分が苦労して建てた家を進んで壊したいわけじゃない。さまざま事情があるなかで、せめてその材料を必要としている人に届けてくれて嬉しいというふうに言ってもらえることが、僕たちのモチベーションにもなっています。そうした気持ちを僕らもお客さんに伝えたいと思い、古材一つずつ、食器一つずつに「レスキューナンバー」というものを付けています。これは、「この古材・古道具はどこのお家からやってきて、そのお家はこういうお家で、どういう人が住んでいました」といったことが書いてある、「レスキューカルテ」と呼んでいるメモと対応していて、お客さんがものそれぞれのストーリーを知れるようになっています。

画像9

レスキューの対象エリアは基本的に車で1時間圏内と決めているのですが、現在までのレスキュー件数は1,400件くらいになります。毎月30–40件らいのペースでレスキューしている感じです。しかし、日本では毎年8万5,000棟の空き家が解体されていて、そこから出る産業廃棄物量が138万5,000tに上ります。それからすると、僕らのレスキュー件数ってすごく少なくて、全体の0.0043%しかレスキューできていない。今の規模が100倍になっても、全体の1%もレスキューできないんですよね。だから僕らは巨大な古材屋さんになるのではなくて、ノウハウをシェアしていって、みんなが古材屋さんを運営していけるような状況をつくっていこうと決めています。実際に今、「SUPPORTED by リビセン」という、ReBuilding Center JAPANみたいなお店の開業をサポートする取り組みを始めました。古材屋さんとか古道具屋さんって、ノウハウを本で学ぶこともなかなかできないし、教えてくれる人も少なかったりするので、僕らがちゃんと教えて、参入障壁を下げていきたいと考えています。

ReBuilding Center JAPANは今、20代から50代までの、13–14人のメンバーでやっています。「ReBuild New Culture」という言葉を僕らのスローガンにしていて、経営理念には「次の世代につないでいきたいものと文化をすくい上げ、再構築し、楽しく、たくましく生きていける、これからの景色をデザインしていきます」と書いています。僕は楽しくたくましく生きていきたいなと思っていて、古材を循環するのはそのための手段という感じです。
 また、僕たちが古材を扱っているのは、懐古主義的なことではなく、これからの地球や地域の未来を考えているからです。そうした考えを伝えるために、エネルギー負荷の少ない断熱エコハウス《リビセンエコハウス》をリノベーションでつくったり、MUJI新宿の内装を返品された家具を用いてつくったり、古材使用率が高く、普通の新築にも合うようなデザインのプロダクト開発など、さまざまな活動をしています。

画像10

画像11

「二度と同じもののない」設計を楽しむ

最後に、最近手掛けた空間デザインを3つ紹介して終わりたいと思います。ひとつ目は山梨県南アルプス市の、《こくりや》という、オムライスが有名な食堂です。ここのリノベーションでは店の形はいじらず、もともとあったカウンターや変な形の天井に古材を張ったり、他の空き家を解体したときに出てきた土壁の土を混ぜた漆喰をお施主さんと一緒に塗ったりました。僕は既製品を使うのがすごく苦手で、建材のカタログも持っていません。なるべく新建材を使わずに、どこで買ったか分かんないものでつくる。でも、なぜその材料を使って空間をつくったのかはきちんと説明ができる。そこにストーリーがあれば、デザイナーもお施主さんに提案を共有しやすいし、お施主さんもお客さんに話すことができるので、そういうことを大切にしています。

画像12

西荻窪の《たべごと屋のらぼう》という居酒屋さんでは、以前から使われていた椅子の座面などを使用して、変わったデザインの壁面をつくりました。他にも、椅子の汚れをきれいにやすってもう一度使ったり、新しい天板と以前使われていた脚を組み合わせてテーブルをつくったりしています。新しい空間をつくりつつ、常連さんが訪れたときに前のお店の面影を感じられるデザインを考えました。

画像13

同じく西荻窪にある、本の読める店《fuzkue》は、おしゃべり禁止のブックカフェみたいな所です。本を読むことに最適化されたお店で、ここではオーナーお気に入りのメーカーの椅子を使ったり、リサイクル建材を壁に使っているのですが、それ以外は古材を張ったり、左官したり、オリジナルで建具や家具をつくったり、フリマサイトなどで買った家具を使ったりしています。

画像14

これらの現場は、最初に話した《Nui.》と一緒で、二度と同じものをつくることのできないようなものが多いです。そのときに手に入る建材や材料、家具や照明器具が、たまたま奇跡的に一致してできている。「がんばっている現場にはいい流れがあるよね」とみんなで言いながら空間づくりをしています。僕は材料ってカタログから選ぶものではなくて、なければ調合してつくればいいし、そのものの本質をきちんと知っていれば、その幅を広げることができると考えています。たとえば、漆喰もいろいろな既製品がありますが、中身は消石灰とスサ(つなぎ)とツノマタ(接着剤)です。下地にくっつく理屈が見えてくれば、スサの中に、わらやコーヒーかすといった異素材を配合比率の何%までなら混ぜてもいいというのがわかるようになる。ものの理屈を押さえて、イメージができたら、あとはアイデアがあれば、表現の仕方はいろいろ変えられる。そこが楽しいんですよね。この空間のためにそこまで考えてつくりました、となって喜んでくれない人はいませんし、それが嬉しいからこうした活動を続けられています。


構成:和田隆介(わだ・りゅうすけ)
編集者/1984年静岡県生まれ。2010–2013年新建築社勤務。JA編集部、a+u編集部、住宅特集編集部に在籍。2013年よりフリーランス