葬送のフリーレンの響くとこ

占い師は魔法使いじゃない。DTP作業者も魔法使いじゃない。フォトショ職人も魔法使いじゃない。全部私です。

それでも「葬送のフリーレン」を見ていて、ハッと気付かされる事は多いです。
まず、フリーレンの在り方は私の理想なのです。
フリーレンは頑張った等ちゃんと褒めてあげます。シュタルクが竜を1人で倒した時も、フェルンとシュタルクが断頭台のアウラの配下ドラートとリーニエを倒した時も、ザインが大人として振る舞っている事も、偉いぞ、と褒めてあげていました。
思ってることはちゃんと言葉にしないと伝わらない。本当に、そうだと思います。

僧侶のザインを仲間にしたいけれど「いまさらそんな事を言われてももう遅い」と断られますが、フリーレンは昔の自分の姿とザインを同じと感じていて
「私は今の話をしているんだよ」と言います。それは魔族と戦わなくなって500年も過ぎてしまったフリーレンに、勇者ヒンメルがかけた言葉でもありました。この一言、今の自分の状況で言われて一番「うっ!」ってなる言葉。もう遅いは言い訳ですね。

かつての勇者一行の仲間の僧侶ハイターは酒好きで、仲間からも「生臭坊主」とよく言われていました。今の仲間のザインもギャンブル、煙草、お酒を嗜む「破戒僧」です。なのに二人とも僧侶の素質は抜群なのです。僧侶の特性の一つ、呪いに効きにくい「女神の加護」がありますが、ハイターもザインも周囲が呪いにかけられる中、全く効かないで居られるのです。女神様に対する信仰心の強さでしょうか?僧侶の魔法は魔法使いとは違い、女神様の残した聖典に、暗号化という形で書かれている呪文を使います。魔力の源は同じでも、呪文の体系が違います。僧侶は僧侶の才がある者がなる職業で、信仰心は後付ではないでしょうか。では、僧侶の才とは何でしょうか?
私は、「好きな物を我慢しない心」かもしれない、と思っています。自分の気持ちに素直に従う事が出来る、それが「僧侶」の才であり、だからこそ得た豊富な経験から、人の悩みを聞いたり、許したり、傷を癒やす役割を担ったりして人々に尊敬される存在になるのでしょう。
僧侶らしくないと思われるような者こそが、僧侶として高い能力を持つのは、そういうことなのかなと私は思っています。
それをふと感じて、心のワクワクに従って行動すると神様に愛されて運が良くなるって本当かもな、と改めて考えさせられました。
因みに、ザインが年上のお姉さんが好きなのは、小さい頃両親をなくしてお兄さんに育てられたからかなあ、ってふと思ったりします。

全然関係ないけど、1級魔法使い資格試験編って、ハンター試験みたいだなーって。担当さんがやらせたかったのかなーって。2次試験とかも結構長くなったんで、3次試験はナシでゼーリエに決めてもらって早く終わらせたかな、とか思いました。

後半グダグダでした。
でも満足。

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