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趣味人間万歳!【作曲・演奏編】(11)これで職業音楽家??

25~6歳ぐらいの頃だったと思います。
新卒で入った会社を辞め、フリーランスになりました。

これが原因ではないのですが、大阪日本橋の電気街に通勤していたのが、バブルがはじけ、会社がコスト削減に走りはじめ、事務所が大正区の埋め立て地にある倉庫の中に変わっていました。

なので未練はありませんでした(笑)

近くのパソコンショップでアルバイトをしつつ、パソコン教室の講師でしのいでいましたが、やはり不安定で、こらもうちょっと収入を増やさないかんなと思っていました。

そんな頃、世の中では「携帯電話」なるものが登場しました。これはかなり衝撃的な出来事でした。

そして携帯電話が普及するようになると、着信音を好きなメロディに設定出来る「着メロ」なるものが話題になりました。

最初の頃は単音、もしくは3和音で、携帯電話本体でポチポチ入力するスタイルだったのですが、これが8和音ぐらいになってくると、パソコンでプログラミングし、ファイルを電話機に転送するようになりました。

そう、やっている事はまるっきりDTMです。

そしてインターネットを見て、この着メロデータが売買されていることを知りました。

と、いうことは、そのデータを作成する人がいるわけです。

読みは当たりました。
「着メロデータ制作者募集」の記事を見つけました。

「これや!」と思いました。

早速応募。トライアルを経て採用が決まり、着メロ制作業務を始めました。

打ち込み作業自体は、8和音程度ならさほど難しくはありませんでした。
いわゆる「耳コピ」作業が必要になりますが、これも細かいところまで再現する「完コピ」の必要はなく、8和音に収まるよう簡略化することになります。

むしろ、この簡略化の作業によりアレンジ力が鍛えられ、とても楽しかったです。

初めてのギャラが振り込まれた時は、感慨にふけっていました。

「これって、音楽で稼いだってことだよな?」
そう言い切れるのかどうかはわかりませんが(笑)そう思うようにしました。

そこから毎日毎日、耳コピをして打ち込みをする作業に明け暮れました。

最初の頃はかなり単価が高く、これ一本でも生活出来るぐらいでした。

またこの仕事の面白いところは、知らなかった曲からお気に入りの曲が増えることです。

たとえばこの曲は着メロのお仕事で知った曲ですが、初めて聴いて衝撃を受け、今でも大のお気に入りの曲です。

正直、天職だなーと思いました。


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