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趣味人間万歳!【プロレス編】(11)第二次UWF②

新生UWFはプロレスに数々の革命を起こしました。ちょっとまとめてみましょう。

月1回、大会場での興行

従来のプロレスは全国を「巡業」し、連日各地で試合を行うスタイルをとっていました。一か所で続けて試合をしても飽きられてしまう、ということなんだと思います。
しかしUWFはギリギリの戦いを行う為選手のダメージが大きく、連日試合を行うにはムリがあり、試合間隔を空ける必要がありました。(他の格闘技では常識)それならば、と、月1回、大会場に絞って大会を開く方式を取りました。
結果的にこれがプレミア感を生み、UWFのブランド力を上げることに繋がりました。

テレビ中継を行わず、ビデオ販売を主軸に

第一次UWFからの問題であったわけですが、UWFにはテレビ中継がありませんでした。「プロレスはテレビが付かなければ成り立たない」というのが当時の認識で、実際第一次UWFはそれで活動停止に追い込まれたわけですが、
しかしこの当時、すでにビデオデッキがかなり普及していました。
UWFはテレビ放映の代わりに大会ごとに試合を収録し、ビデオにして販売しました。UWFのブランド力もあって、この作戦は成功しました。

大会のショーアップを充実

UWFの試合は従来プロレスにあった「エンタメ性」を完全排除したことにより、地味な試合展開になることが多くありました。
それならば、と、正味の試合以外の部分の大会進行でエンターテイメント要素をふんだんに盛り込みました。
派手な照明やスモークなどはUWFがプロレス界で初めて導入しました。
また、試合前に全選手がリングに上がる「全選手入場式」もUWFが本格的に始めました。
この時に流れるBGM「UWFメインテーマ」は、ファンの脳裏にしっかりと刻み込まれたのでした。

全試合シングルマッチ

UWFは「格闘技の基本は1対1である」との考え方から、従来プロレスの花形であった「タッグマッチ」を排除しました。
選手数が少なかったからという理由もあったでしょうが、これも従来のプロレスとの差別化の象徴となりました。

試合の厳格化・ルールの策定

反則を一切認めないという、スポーツであれば当たり前のことを曖昧にし、それが面白さでもあった従来のプロレス。しかしUWFはあくまで「プロレスはスポーツである」との考え方のもとに、従来のプロレスにあった「5カウントまでの反則では試合を止めない」という習慣を一切断ち切りました。
新日本から来たばかりの船木優治(誠勝)がボブ・バックランドとの試合で、コーナーからドロップキックを放ち、即反則負け(ロープブレイクを聞かなかったから)を言い渡されたことなどは象徴的な出来事でした。
そして、これまた従来曖昧にされてきた「ルールの明文化」を実行。
ちなみに試合会場でも「UWFルールブック」が販売され、ファンにも周知されました。もちろん僕も買いましたよ。しっかりした装丁の本でした。

3カウントフォールの廃止

これまたプロレスの象徴でもあった「3カウントフォール」による決着を完全廃止しました。「格闘技はKOかギブアップによってのみ試合を決する」というUWFの信念に基づいたものです。
これにより、UWFはプロレスの格闘技化をより進めることとなりました。
現在のプロレスでもたまに特別ルールとして「3カウントフォールなし」の試合が行われることがあります。フォールをなくすことでより緊張感を生む効果がありました。

ロストポイント制の導入

「倒されても倒されても、立ち上がるのがプロレスラー」とはどこかのプロレスラーの言葉ですが、しかしギリギリの打撃戦を行うUWFにおいてフリーノックダウン制で試合を行えば、選手のダメージが大きくなってしまいます。
ここがプロレス団体の悲しい性でして、例えばボクシングなどで「ケガで出られません」となれば「しゃーないな。ほな別の選手で」となりますが、少ない選手数で「団体」という枠の中で試合を行うUWFとしては、どんなにダメージが大きかろうと、1か月後の次の大会には出てもらわねば困るのです。そこで考え出されたのが「5ノックダウン制」でした。
3カウントフォールをなくした代わりに、回復困難なダメージを受ける前に勝敗を決してしまおう、というものです。

さらにロープエスケープについても検討がなされました。
従来のプロレスルールではいわゆる「逃げ放題」で、寝技の多いUWFにおいてこれでは攻め手側が不利になってしまうことが問題になりました。
そこでロープエスケープに一定の制限を設けようということになり、
3回のロープエスケープ=1回のダウン
と数えることになりました。つまり、15回エスケープしたらそれで負けになってしまうわけです。

こうして「ロストポイント制」が誕生したわけですが、これが観る側にとっても緊張感を生みました。4ダウンを喫した選手が攻め込まれたりすると「次倒れたら終わりだぞ!堪えろ!」と応援したりするわけです。
そして余談ですが、会場にはバレーボール用の電光得点掲示板(赤と青の数字が出るやつ)が設置され、ロストポイントをリアルタイムで表示するようになっていたのですが、
試合開始のゴングと同時にこの掲示板に0-0の表示が点くのです。個人的にこの瞬間の高揚感はすごいものがありました。にくい演出でした。

・・・とまぁこういった感じで、UWF解散後も後々語り継がれる「UWFスタイル」が出来上がっていったわけです。

UWFの最大の功績は何かと言ったら、僕は「ファンの格闘技を見る目を育てた」ことにあると思います。

実際にはUWF以前にも総合格闘技的な競技は存在しました。日本拳法や大道塾、柔術もこの時代の遥か昔から存在していました。しかしそれらはあまりにマニアックな存在として、表舞台、そしてプロレスファンに浸透することはありませんでした。

それをUWFは抜群の知名度とエンターテイメント性をもって、プロレスをリメイクする形で「格闘技」を構築し、プロレスファンの間に広めていき、それが後のPRIDEやUFCを始めとするMMAの隆盛へと繋いでいったのだと思います。

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