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趣味人間万歳!【プロレス編】(15)FMW②

FMWの想い出をいくつか書こうと思います。

やはり一番印象的だったのは、1990年9月20日 奈良県立橿原体育館。現在の橿原公苑体育館ですが、地元奈良での開催ということで「これは行かねば!」と意気込んでおりました。

ただ、この日は前日に大きな台風がやってきていました。場合によっては大会中止ということも十分考えられました。「払い戻しになったらどうやって手続きするんだろう?」とか考えていたのですが、中止の発表はなく、とりあえず会場に向かいました。

会場に入り、2階席に行きますと、アリーナにはすでにイスが並べられていまして「あ、やるんだ。」と、思ったのですが・・・

その中心にあるべきものがありませんでした。そう、リングです。

「ん~?これから組むの?」と思い、リング組み立てが見られるのはそれはそれで嬉しいなぁとか思ってたんですが、いつまでたってもリングを組み立てる様子が見られません。そうしているうちに開始時刻を過ぎました。

大仁田さんがマイクを持ち「すみません!台風でリングトラックが到着していません!」え~~~~!と、一瞬は思いましたが、まぁそういうこともあるか。と、納得はしていました。

「こりゃあサイン会とかでお茶を濁して終わりかな?」と思ったところ「リングなしでやります!」後に伝説となる「FMWノーリングマッチ」です。

現在でこそ、インディー団体で「マットプロレス」は頻繁に行われていますが、当時僕の記憶ではそれまでそんな事例は無かったと思います。
その衝撃は大きいものでした。ロープワークの無いプロレスってどんななんだ?!不満よりも断然ワクワクの方が大きかったです。

それでも大仁田さんと荒井リングアナは土下座をして観客に詫びました。それを「そこまでしなくていいのに・・・」と思いながら観ていました。

早速「試合場」の準備が始まりました。確か女子の里選手とか前泊選手らがマットを並べる作業をしていましたが、最初、マットを2枚重ねで敷いていました。それを誰かの指示で1枚づつに並べ直しました。

そらそうでしょう。初めてのマットプロレス。「こんなマット1枚では受け身なんか出来ない」と思ったのでしょう。

マットを敷き詰めて作った「試合場」は、正方形ではない、なんだかイビツな形をしていました。

それでも試合は始まりました。各選手すごく苦心していました。

戸惑っていたのは観客も同じでした。なんといっても場外乱闘。
通常の場外乱闘は1)相手をリング下に落とす。2)自分もリング下に降りる。 というプロセスを経て始まりますので、お客さんも「わー!来たー!」と心構えが出来るのですが、

ノーリングマッチでは普通の試合展開の中で「うりゃー!」と相手を飛ばすといきなり場外戦が始まるのです。油断も隙もありゃしません。

メインは大仁田厚とミスター・ポーゴがタッグで対戦(それぞれのパートナーは失念してしまいました。ポーゴはグラジエイターだったかな?)したのですが、大仁田さんが滅多打ちに会い、完全にKOされてしまいました。

動けない大仁田さんは、試合場となっていたマットを担架にして外に連れ出されました。僕をそれを追いかけて会場外に出ました。
どうやら救急車を待っているようで、やがて救急車が到着し、大仁田さんを乗せてサイレンを鳴らし走り去っていきました。

そこまで見届けてから、会場を後にしました。
「すごいモンを見たな・・・」と、しばらく興奮が収まりませんでした。

「いくつか」と書きながら1大会でめいっぱい書いてしまいました(笑)続きは次に書こうと思います。

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