見出し画像

命日

今日1月14日は母の初めての命日です。

ただ僕的には1年前の今日よりも、その前年、7月30日の方がショックは大きかったです。

母は大腸ガンが発覚し、手術を受けました。
手術は成功し、翌日には電話で話しも出来ました。
「お疲れさん」それが母と話した最後の会話でした。

その2日後、病院から呼び出しがありました。

術後の療養中、脳梗塞を発症。意識を失いました。
緊急手術。一命はとりとめましたが、意識は戻りませんでした。
この日が実質、母との別れの日でした。

それから6カ月、母は眠ったまま、リハビリ専門の病院に転院しました。
コロナ禍でお見舞いもままならない状況で、6カ月が過ぎました。

2022年1月13日。
ネットTV「ならなんTV」の出演を終え、帰宅し布団に入りました。

しかしその夜はやたら寒くて、布団の中もなかなか温まらず、寝付けないまま時間が過ぎました。

そんな深夜2時頃、父が部屋にやってきました。
「お母さんが危ないらしい。」

別宅に住む弟に連絡を取り、車でこちらに向かうことになりました。

弟を待っている間も、エアコンとヒーターを付けても寒さは収まりませんでした。

3時頃に病院に到着。お医者様から臨終を告げられました。

6カ月の間にある程度の覚悟が出来ていたせいか、取り乱すこともなく
「よくがんばったね」と声をかけ、母と別れました。

電気も消えた薄暗い病院の待合室で3人、葬儀屋さんを待つ時間がとても長く感じられました。

入院前、母の言葉で記憶に残っていることがあります。
「洗濯はせんでええからね」
本人は1週間ぐらいで退院する気でいたようです。
なので自分が洗濯するから、それまで溜め込んでいてもいい、ということです。
その洗濯物は結局、自分で洗濯することになるわけですが。

両親については年齢も年齢でしたから、近年は僕も「その時」を覚悟するようにしていました。
母と話しをしながら「いつかこの時間を懐かしく思い返す時が来るんだろうな」となんとなく思っていました。

ですが、それはもう少し先のことかと思っていました。
もっと年老いた、ヨボヨボの母の姿を見てからだと思っていました。

やはりこういうことは「突然」やってくるものですね。

命日といえば、去る1月10日は祖父の命日でした。

リハビリ病院に入院中、特別に面会させてもらえました。
その時の、眠る母の顔を見て驚きました。

眉毛が異常に太いのです。
その顔はまさに、祖父そっくりでした。
祖父はとても眉毛が太く、南国特有の「濃い」顔をしていました。

母は普段眉を剃って手入れしていたので、今まで気づかなかったのです。
それが手入れができなくなり「本来の」眉の太さになったのです。

「お母さん。あんた、やっぱり爺さんの娘だよ。」

今頃母は祖父、祖母、叔父に会えたでしょうか。

前にも書きましたが、
以前はもしもこの時が来たら、どれだけ悲しいだろうか、どんなに取り乱してしまうだろうか、と想像していました。

しかし実際には、茫然とはしましたが、ボロボロ泣き崩れるようなことにはなりませんでした。
僕はきっと、母がそのように仕向けてくれたのだと思っています。

母の恩に報いるには、今後自分自身がしっかり生きていくことだ、と、
この時強く思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?