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【読書感想文1】祝祭と予感

2019年に、当時公開された「蜜蜂と遠雷」という映画を観て、
ついでに原作も読んでみた。

「祝祭と予感」は、「蜜蜂と遠雷」のスピンオフ的な短編集だ。

「蜜蜂と遠雷」のヒロインの相手役的存在、
”マサル”のイケメン王子っぷりに心奪われていた私は、
この作品をミーハーな気持ちで購入した。

自分が好きな本に出合うと、読み終わったときに、
満足感と同時に一抹のさみしさを感じるけれど、
この6つの短編は、心の隙間にちょうど良くフィットしてくれた。

王子(私は勝手にそう呼んでいる)マサルと、その師匠であるナサニエル・シルヴァーバークのお話「竪琴と葦笛」は、王子ファンとして心を掴まれ、
「蜜蜂~」では既に故人となっている巨匠・ホフマンと、風間塵の出会いを描いた「伝説と予感」は、温かくて眩しい光の中にいるような心地よさを感じた。

中でも特に心に残ったのは、作曲家・菱沼忠明のエピソード「袈裟と鞦韆(←「しゅうせん」「ぶらんこ」とも読む?らしく、つまりブランコのことらしい。難しい漢字だなぁ…。)であった。

「蜜蜂~」の映画は、正直そこまで好みではなかったものの、
作品内で演奏された、《春と修羅》という楽曲がとても胸を打った。
小説内での《春と修羅》の描写も合わさって、
菱沼忠明という人に対しては、「この作曲家すげーな」と、尊敬・畏怖・興味の念が湧いていた。

今回読んだ短編集では、菱沼氏の奥底にある温かさと、
彼の教え子である小山内健次とのエピソードに、
喉の奥が詰まるような、にがくて苦しい気持ちを感じた。
こうして《春と修羅》が生まれたのだという事実に、至極納得がいった。

私は雪国出身で、鬱と自殺率が高いことが理解できるような、寒くて暗い冬を過ごしてきた。
それが嫌で、もうあの場所には帰らないと決めているが、
雪国育ちの気質なのか、自身の性格か、
音楽も芝居も文学も、辛い環境を耐えて耐え抜いて昇華されたような、
重たい作品がしっくりときて、
暖かい国の音楽に憧れを抱きつつも、北欧の作曲家の音楽が体の深いところに響く。
小山内健次の故郷が東北地方なのも、私がこの作品にシンパシーというか、
信頼を寄せることができた理由のひとつかもしれない。

辛い、悲しい、苦しい経験をした者の方が良い作品を生み出すことができるとは、もちろん思わない。
しかし、人が高い壁にぶち当たり、言語化できない苦しみで満たされた時、
それを吐き出すすべのひとつが芸術であり、
それが人の心を揺さぶったり、信じられないほど美しかったりすることは、
往々にしてある。

《春と修羅》に、私は嵐を感じる。
それは、一見穏やかに見える人物の心中が、本当は悲しみや怒りで荒れているような、表面化しない嵐。

もしかするとその”嵐”は、菱沼忠明の中のざわめきでもあるのかもしれない。

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