ただ「ある」ということ。

大晦日、祖父が他界した。

82歳になる直前だった。

6年間寝たきりだった祖父は、家族に見守られながらこの世を去った。

元気な頃の祖父は甲子園や都市対抗野球に出場するなど、とってもパワフルな祖父だった。

死ぬ間際でも、看護師さんからは「普通は持ち堪えられないですよ。とても心臓が強いんですね。」と褒められていた。

褒められると満面の笑みを浮かべていた祖父はさぞ嬉しかっただろう。

祖父がもう長くないと聞いたのは12月の18日ごろだった。不整脈が始まったと。

まぁでもそんなすぐ亡くなることはないだろうと思っていた。

その週の土日に母に連れられイオンモールに行き喪服を買いに行った。
さすがに気が早すぎるだろうと。

その時は
おじいちゃんに対して失礼ではないかとも感じたが、娘である母はなにか感じ取っていたのであろうかと今ならなんだか考えてしまう。

29日の夜、前日に仕事納めだった私は寝だめでもしようとすぐに布団に入りすっかり夢の中だった。

夢の中をうつらうつらしてたら、母が「不整脈がひどいって、明日の予定できなくなるかもしれないから。」と血相を変えて私を揺さぶった。

寝ぼけた私は「うん、うん」と夢の中なのかよくわからないまま、そのまま眠りについた。

翌朝、母は家にいなかった。

わたしは何を焦っているのかと、祖母が不安な気持ちで事を大きく拡大しているのではないかと、そんな思い込みを利用し計画通り、山梨へ日帰り温泉に行った。

2時間半をかけて山梨県中央市のみたまの湯へ車を走らせていた。

雄大な甲府盆地に新雪が積もった八ヶ岳、北岳を眺めるお湯に心を落ち着かせていた。

温泉施設内のレストランで、鳥モツ丼を頼み食欲も満たされたところで、少し血糖値でも落ち着かせようと休憩室に入る。

温泉に入った客が大広間に寝っ転がったり、スマホをみたり、まるで正月の実家かのような雰囲気で知らない他人が思い思いに時間を過ごしていた。

わたしも山を眺めながら、ふと母のことを思い出す。

「どんな状況ですか?」

「とりあえず今は落ち着いていますが、明日か明後日にはとのこと。今から来れますか?」

もうすっかり落ち着いていた心臓が物凄い心拍数になる。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?