運はないけど楽しく生きるのさ
ついてるけど、ついてない人。
自分は若干、病弱なところがある。
幼い頃は3時や4時に嘔吐して、その度に病院へ連れて行ってもらっていた。理由は幼いから分からなかったし、この歳まで聞いてもないので不明のままだが、胃腸が弱いのだと思う。今も肉の食べ過ぎや、果物によって残念なことになる。美味しいからと食べたくて食べた結果、体がついてこないだけだ。労わってはいるつもりなのだが、残念な話だ。
あと、鼠径ヘルニアや水疱瘡、おたふく風邪にもなった。しかもそれぞれ、餅つき大会、クリスマス、とある劇を観ることと、イベントに全部被った。なんて不運!
そして自分は早生まれなので、誕生日の時にインフルエンザになったり、ならなくても学級閉鎖だったりしがちだった。
さすがに一年間で全部あったというほど不運ではないが、こちらもまた残念である。
ただ自分が何かの行事に出れない度に、先生が当日にイベントの配り物を届けてくれたり、友達が家の前まで来てお見舞いをしてくれたり、本当に恵まれている。
親、先生、友達。
自分は周りの人に恵まれていたから、不運だったが、不幸とは思わない。
さて、劇を観るなんていつでもできるとお思いになった人もいるかもしれない。これからするのは「走馬灯がしょうもなくていい」でほんの少しふれた話だ。自分が芝居が好きだと気がついた大きなきっかけなのだ。皆さんが忘れないうちに早く話してしまおう。
観られない。演じられない。悔しい!
これは小学生の時の話だ。
一応名前などは伏せて話をしようと思う。
自分が住んでいた地域にはとある偉人がいた。彼は江戸時代の人物で、年貢を下げるために命をかけた人だ。
その人の人生を地元の3校で回しながら毎年演じているのだ。演じるチャンスは6年生にしかないが、全員が出れるわけじゃないと思う。
さあ、勘の良い方はお分かりになったと思うが、自分の学年は3年に1回しか回ってこないその劇が回ってくる学年だった。
そして、さらに勘の良い方は見抜いたと思うが、自分は3年生でおたふく風邪になって直接観ることが叶わなかった。2週間の欠席中に何もかもが終わってしまった。
そしてそして、自分は5年生と6年生の間の春休みに引っ越した。当然だが演じることはできなかった。
自分でも驚いたことは、仲間たちの勇姿を見に行かなかったことだ。もちろん、県外へ引っ越したので遠かったこともあるが、何より舞台に立てないことが悔しくて行けなかったのだ。
この時は芝居を愛してることに気が付かなかったが、とても悔しかったことが不思議だった。
肝心な時に万全だったことは少ない
スポーツをしていると、多かれ少なかれ怪我はするものだと思う。ただの擦り傷の場合もあるし、重傷度に差はあるし、頻度も人それぞれだろう。
自分は中学生の時は擦り傷ばっかりで、高校生ではドクターストップがかかるような怪我ばかりだった。
特に高校の自分の代になってからは酷いもので、ずっとどこかしら痛かった。
入学したてでまず肘をやった。あとは大体足だ。足首の捻挫はもはやお友達ぐらいたくさんやった。そして利き手の方の肩を怪我した時はもう終わったと思った。
でもこんなに怪我をしたのに大会を欠場したことはない。自分は試合が好きで、本当に最高の時間だったのでその時間を失わずに済んだことは幸せでたまらなかった。
運はないけど、追うものがあるから良い。
まあラッキーな出来事もあるのだが、比較するとやっぱり自分には運がないと思うことの方が多い。ちょっとついてないなと思うだけで済んでいること自体がラッキーで、上手くいかない人生の方がが面白く彩られるのかもしれないと考えることもある。
実際、エピソードトークには困らないし、周りとは違う経験をしたのだと前向きに捉えることができている。
そして、今の時代の若者は演技に個性がないと言われることが多い。その点では少し運がなくて、思っていたルートを進めなくて都合が良かった。ポジティブに受けすぎなのだろうが、悲しい思い出として考え始めたら涙が止まらなくなるので、こう捉えるしかない。
だからこれからも、盲目的で幸せに夢を追うために、思い通りにいかなかったり、都合が合わなくなってしまったりすることを前向きに、今後に意味を生むものと考えて生きていく。
そう、自分には運はないけど楽しく生きるのさ。
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