自分は鏡に何を映しているんだろう。

鏡は悪夢の象徴だった。

悪夢を見ると必ず鏡が出てくる時期があった。
そして、その鏡はいつも一歩通行の移動手段だった。鏡に近づくと自分の体は一度、狭間に溶け込みまた自分の形を取り戻して次の空間に存在した。そしてどの悪夢も夜に朝日が昇るまで逃げたり抗ったりしていた。鏡は逃げ場であったが新たな恐怖の始まりだった。
おかげで自分は今でも時々、鏡が水面のように感ぜられることがある。

朝と夜は別人が映る。

自分は中学生の時に母からルーティンとして鏡を見ることを勧められた。それから、どんな日でも毎朝それだけはするようにしている。忘れ物がないか、何か予定を勘違いしてないかなど様々なことを鏡の自分に問う
そして答えを自分の瞳に求めてみるのだが、朝でも夜でも酷い目のクマが嘲笑うように見えるだけだ。
自分には朝の自分の方が疲れて見える。夜の自分の方が明らかに眠そうなのに、朝の方が笑顔が気持ち悪いのだ。
誰だって人と会うのは多少なりとも疲れるだろうが、自分は人と会わないと人格を維持できないみたいだ。

鏡は正直者だ。

「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰?」
鏡に話しかけるといえば浮かぶのはこの台詞だ。
自分は影が差した顔を鏡に映したことがあるが、今でも醜かったなと思い出す。比較することに躍起になって自分が優れてると感じなくては自己肯定が出来なかった時期だ。
結局、あの女王もそうだったが、身を滅ぼすのは鏡の自分に理想を押し付けてしまうことだろう。望んだ姿で鏡に映らないのは鏡を見てない間の自分のせいであって、誰のせいでもない。もちろん、鏡のせいなんかでもない。

今日も鏡を見る。ただの自分だ。

幸いなことに家の鏡は液体にはならない。つまり、ただ姿を写すだけで、新しい場所に連れて行ってはくれない。一瞬でも悪夢に揶揄される現実の脅威から逃れることができないのだ。
夢じゃなければ向き合わないと行けないらしい。

そして、今夜もクマが酷い。目の下が真っ黒だ。でも、口角が上がっている。良い人に巡り合ったのだ。今日も良い日で自分は頑張ったのだと胸を張って言える。
自分は少し良い人になったみたいだ。

最後に、自分は今日もただの自分だ。飾らないで生きれた。考え方が違っても、自分にない才能を持っている人に出会っても尊敬できた。
認める強さが鏡に映っていた気がした。

さて、あなたは鏡に何を映す。

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