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才能は持ってるだけじゃダメ の巻(これ、いま流行りの、マルトリートメントじゃないっすか⁉21)

どうも、こんにちは。ゴンベーでございます。
 
なんですか、最近は、「ギフテッド」の子どもを、
政府が支援するって話が、出ているようですね。
具体的な支援は、もう始まっているのでしょうか。
 
まあ、いいことっすよね。
特に、日本みたいな「同調圧力」の強い国では、
ちょっと変わった子は、生きづらいですからねぇ。
 
「他の子と同じでない自分はダメなんだ」と思いこんで、
劣等感や無価値観にさいなまれながら、
「ここにいるのがバレないように」とひたすら息を殺し、
そのまま社会のすみっこで一生を終えた才能が、
これまでにどれほどあったのやら。
 
ギフテッドであるなしにかかわらず、子どもというものは、
おそらくは、伸びしろのかたまりでしょう。
 
その伸びしろが、伸びていくのか、潰れるのか。
それは、周りの大人たちの接し方に、かかっていると思います。

 
以前、新聞で、とある高校の運動部の監督の
インタビュー記事を読みました。
 
その内容は、ざっとこんな感じでした。
以前の自分の指導方法では、部員たちの才能をつぶしていた。
指導方法を徹底的に見なおし、自分が接し方を変えたら、
部員たちの能力がぐんぐん伸びていった。
 
部員たちの素養や才能が変わったわけじゃありません。
これまでと同じ部員たちが、監督の接し方ひとつで、伸びていったんです。
 
いやぁ~。恐ろしい話っすね。
たった一人の大人の接し方によって、たくさんの部員たちが、
その伸びしろをつぶされてきたってことでしょ?
 
その過去については、取り返しがつきませんが、
せめて、この監督さんが、自分の間違いを認め、
自分自身を変えるだけの誠実さを持ち合わせていて、よかった…。
それだって、なかなかできることじゃ、ありませんもんね。
 
ところで。
高校運動部の監督は、高校の3年間しか、関わりませんね。
高校生ともなれば、それまでに親や周囲の大人たちと、
15年前後は接してきています。
その15年で才を伸ばされ自己肯定感を育まれた人もいたでしょう。
 
し・か・し。
これが、まだ自我の芽生えもない、物心もつかないうちから、
何年も何年も子どもに関わる「親」であったなら…?
 
その子の人生、潰れますね。
 
ギフテッドであるかなしかにかかわらず、その子も、
「自分はダメなんだ」と思いこんで、劣等感や無価値観に
さいなまれながら、「ここにいるのがバレないように」と
ひたすら息を殺し、そのまま社会のすみっこで
一生を終えることになるでしょう。
 
運がよければ、人生の途中で、その子を地獄から救い出してくれる
誰かとの出会いが、あるかもしれませんが。
そんなラッキーが、どれほど転がっているものか。
 
本当は、こういう記事で、「他人の才能を伸ばす方法」
なんかを、書けるといいんですけども。
 
ゴンベーには、才能を伸ばす方法は、わかりません。
一度も、体験したことがないもんで。
 
その代わり、潰す方法なら、めっちゃ詳しいですよ。
散々、やられてきたもんで。
 
そこで、才能をつぶす方法を、以下に記しておこうと思います。
子どもの才能を伸ばしたい方は、反面教師にしてください。
子どもの人生をつぶしたい方は、どうぞそのままお使いください。
 
その方法は、ごくごくカンタン。
 
子どもの全てを否定する。
これだけです。
 
子どもの好きなものは、すべて否定してください。
好きなテレビ番組も、好きな音楽も、好きなキャラクターも。
 
子どもがゲームが好きなら、ゲームを否定しましょう。
好きなアニメは、内容だけでなく、主題歌やエンディング曲まで、
隅から隅まで、けなし尽くしましょう。
 
ちなみに、Z家の「父親」は、ゴンベーが友人に勧められて借りた
アニメのエンディング曲を、「やっぱりチャゲアスの歌は良くないな!」
と、けなしていました。
歌ってるの、チャゲアスじゃなかったんですけどね。
けなすにしても、聞き分ける耳くらいは、必要ですな。

 
子どもが自分の意見を言ったら、長時間、軟禁状態で、
「そんなことを考えているやつは頭が悪い!」などの罵声と共に、
反対意見を押しつけ続けましょう。
子どもに反対意見を飲みこませるまで、軟禁をといてはいけません。
子どもが、一人の人間として、自分の意見を持つことを許さず、
罵声怒声で脅しつけて、「親」の意見に従わせましょう。
 
子どもを取り巻くものも、すべて否定してください。
通っている学校も、友だちも、教師など「親」以外の周りの大人のことも。
その子本人だけでなく、その子の関わる全てを否定するのが、ポイントです。
 
Z家では、ゴンベーが「先生がこういう冗談をいった」と話すと、
「教師のくせに、そんなくだらないこと言ってるのか」
「やっぱり公立の教師はレベルが低いわね」等々、
総攻撃に遭いました。
 
子どもが何かしたら、ダメ出しの嵐を浴びせましょう。
そのダメ出しの内容が、意味不明でも構いません。
 
ゴンベーは、小学校の夏休みの宿題で絵を描いた際、「父親」に
「こんなもんは、小学生の絵だ!」と怒鳴り散らされました。
 
大事なことなので、もう一度言います。
小学校の、夏休みの宿題です。
 
小学生が、小学生の絵を描いたら、怒鳴りつけるんです。
 
ちなみにゴンベーは、宿題以外で、日ごろ絵なんぞ描いていたら、
それはそれで怒鳴られ罵倒されていました。
 
絵なんて全く描けない環境で、ある日突然、宿題で、小学生レベルを
はるかに超えたオドロキの絵画を仕上げられなかったら、怒鳴りつける。
これが、子どもの伸びしろをつぶし、人生をつぶす家庭の、正しい作法です。
 
いやはや、挙げていくとキリがないな~。
なにしろ、こーゆーもんは、日常的にいくらでもできますから。
 
ほんとにね、「子どもの全てを」否定するんです。
本人の能力や人格や性質など、本人に属するものだけでなく、
関わる全て・周囲を取り巻く全てを否定するんです。
 
子どもが友だちから、誕生日プレゼントをもらったら、
「そんなもんは安物だ」と鼻で笑いましょう。
 
自分が巻いていたスカーフをどこかに忘れたら、
「あなたが気づかなかったせいでなくした」と、
忘れた自分自身を差し置いて、子どもを責めたてましょう。
 
筆圧が弱くて濃い文字が書けなくても、「もっと濃く書けって
言ってるのに、絶対に言うことをきかない」となじりましょう。
たとえ子どもが、精いっぱい力を入れて書き、そのために手を
痛めたとしても、一ミリも反省してはいけません。
 
子どもがストレスで夜尿症を起こしたら、
「〇歳にもなって、まだおねしょしてる」と、
大勢の前で笑いものにしましょう。
 
子どもと他の子が、同じ委員会に立候補し、最終的に子どもが
その委員会に入れることになったら、「何で相手に譲らないのよ!」
と責めたてましょう。
 
このように、子どもの全てを、否定して否定して否定し続ければ。
 
「自分が好きになるものは、くだらないものなんだ」
「そんなものを好きになる自分は、くだらない人間なんだ」
「自分の意見はいつも間違っているんだ」
「自分は意見なんか、持ってはいけないんだ」
「他の人の言うことが、いつも正しい。
他の人の言うことを、ちゃんと聞かないといけないんだ」
「自分は何をやってもダメな落ちこぼれだ」
「文字もまともに書けないし、絵もロクなものが描けないんだ」
「〇歳なのにおねしょをして、親に迷惑をかける罪人なんだ」
「自分はやりたいことをやっちゃいけないんだ。
 やりたいことがあっても、他の人に譲らなきゃいけないんだ」
 
こういった、無価値感・劣等感・自己否定感などなど、
ありとあらゆる負の価値観・自分に対する負のセルフイメージが、
着々と積みあげられていきます。

 
才能伸びないどころの話じゃ、ねーっすわ。
才能云々以前に、自分なんて存在してる価値ないって、
そう思うようになりますからね。
 
ゴンベーは、いつも思うのですが。
才能って、持ってるだけじゃ、ダメなんすよねぇ。
 
たとえ、どれほどの素質があっても、
たとえ、輝くばかりの才能があっても、
環境によっては、腐るばかりですわ。
 
その才能が、見いだされ、伸ばされ、支えられ、守られて、
初めてモノになる。
 
才能ってのは、伸ばすよりも、潰すほうがカンタンなのかもしれません。
 
でもどうか、カンタンなほうに、走らないでください。
目のまえの子どもさんの、可能性を、伸びしろを。
その子の人生そのものを。
潰さないであげて、くださいね。
 
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。

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