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生きる目的は「罵声を浴びないこと」の巻~これ、いま流行りの、マルトリートメントじゃないっすか⁉㉒

 どうも、こんにちは。ゴンベーでございます。
 
世のなかには、いろいろな親子がいるものでございまして。
 
道を歩いているだけで、我が子に何かしらの声をかける
親御さんの声が聞こえてまいります。
 
ゴンベーが、天地がひっくり返るかというほどに驚きましたのは、
自分の子どもに「上手だね~」「かわいいね~」「あなたならできるよ」
などと声をかけている親御さん
が、実在したことです。
 
うそやろ……。それって、非実在系親とちがうの……?
しかも、わりとよく見かけるんだけど、もしかして、
そっちが多数派だったん……?
 
あと、子どもに謝っている親御さんを見たときにも、
思わず目ぇむいちまったもんですよ。
 
なにしろ、自分が育った家で、その手の「親兄妹」を
一度たりとも見たことがなかったもんですから。
 
「家庭」では、暴力や暴言を浴びるのが当たり前で、
何か起きるとすべて、「ゴンベーのせい」でした。
 
小学校のころ、鶏小屋の奥の方を掃除していて、突然、
外から鍵をかけられ閉じ込められたことがあったのですが。
長時間出してもらえず、その日の習い事に行けなかったんす。
 
「母親」は言いました。
「閉じ込められたあなたが悪い。ぼんやり掃除してるからでしょ」
「習い事は月謝払ってるのに、無駄になったじゃないの」
「よその子は、こういう時ちゃんと謝るのに、あなたは謝らない」
 
今、思うんですが、こちとら、被害者じゃないすかね?
月謝が無駄になったの、ゴンベーのせいでしょうかね?
 
この状況で「自分が謝るべきだ」という発想もなかったんですが、
それ以前に「親兄妹」が、謝る姿というのを見たことがなかったんで、
Z家には「自分が悪い時に謝る」という慣習は、存在しないものと
思ってました。
マジで。いやほんとマジで。
 
さて、世の中には、冒頭のような非実在系の親御さんもいれば、
Z家の「親兄妹」ような連中も、間違いなく存在しておりまして。
 
先日も、道を歩いていて、幼稚園生らしきお子さんに
「しめろよ!」「ちゃんとしめろよ!」と怒鳴っている
「母親」らしき人を見かけました。
どうやら、服の前ボタンかチャックが開いてるようで。
 
休日に公園など通りかかりますと、きょうだいなのか、
ご近所さんなのか、大きい子が小さい子に「死ねよ!」
などと罵声を浴びせているところに出くわします。
 
こういうのを見ると、ゴンベーは、心の奥底の恐怖心が
ワッと湧き上がってきます。フラッシュバックなのかな?
 
そして、思います。
「あの子も、罵声や怒声を浴びないために生きるようになるんだ……」と。
 
幼い子どもにとって、自分よりも体も大きく力も強く、
社会的な権力も持っている相手から、暴言を吐かれたり
大声で怒鳴られることは、とてつもない恐怖です。
 
大げさでなく、生存に直結するレベルの恐怖心を
覚える
こともあります。
 
日常的に、このような恐怖心を与えられながら育った子どもが、どうなるか。
 
日常的な判断や選択の基準、行動原理のすべてが、
「他者から攻撃を受けないようにすること」
「暴力や暴言、罵声や怒声を、回避すること」
これになります。

 
これは多分、生存本能が働くんじゃないのかなぁ。
心身への加害を極力避けようとするのは、生きものとしての本能でしょう。
 
たとえば、お菓子を選んでもよい場面があったとして。
ゴンベーが選ぶ基準はいつも、
「どのお菓子を選べば、あとで怒られないか」でした。
 
「自分が好きなお菓子はどれか」じゃないんです。
「どれを選べば、攻撃を回避できそうか」なんです。
それを、無意識に考え、いちばん安全そうなものを
選んでいるのです。
 
もしも、他の子とほしいお菓子がかぶってしまったら、
即座に譲らなくてはなりません。
ジャンケンなんか、してはいけません。
ジャンケンをしても、勝ってはいけません。
 
なぜなら、あとで「他の子を差し置いて自分がそのお菓子を
取った」なんて「親」にバレたら、恐怖が降ってくるからです。
 
幼いころにつちかわれた、こういった行動原理というのは、
無意識下に刷り込まれておりますから。
成長してからもずっと、本人が気づかないままに、
ずっとこの原理を採用している
ものでして。
 
幼稚園の園庭での「なにしてあそぶ?」から、
高校や大学を卒業した後の進路まで。
将来の夢も目標も、
「他者に攻撃を受けなくて済むもの」の中から選びます。
 
学校や職場での人間関係でも、常に
「相手の気に障らないように」と神経をとがらせてます。
だから、人間関係に疲れちゃうことが多いんすよね。
 
ちなみに、人間関係というのは、自分の「親兄妹」との
関係性を、そのまま他者にも適用しているのだそうですよ。
ゴンベーは、思い当たるフシがありありです。
 
日常の一挙手一投足、発言のひとつひとつが、
「相手が何を望んでいるか」「何と言ってほしそうか」
この思考に基づいています。
 
人生のすべてが、これを土台として展開します。
「何を言えば、どう動けば、どれを選べば、
 目のまえの相手が、攻撃してこないのか」
 
「自分の基準」は存在しません。
「自分がどうしたいか」「自分はどれが好きか」
そんな思考は、無意識下にはありません。
 
生きることのすべてが、生命の営みのすべてが、
「罵声を浴びないため」ただそれだけのために
行われます。

 
生きる目的は、罵声を浴びないことなんです。
 
ですが、ねぇ。
んなこと言ったって、「親兄妹」は、本人たちの気分次第
暴力をふるい怒鳴り散らし暴言はいてくるわけで。
 
こちらのあずかり知らぬところで勝手に機嫌悪くなって、
それを罵声怒声に乗せてこちらにぶつけてくるんすから。
回避しようがねえ――っ(≧◇≦)
 
上記の「生きる目的」は、達成されることはありません。
何をどれだけ工夫しても、相手の気分次第である以上、
無駄な努力でしかないんです。
 
話をする時の表情や目線、声音にいたるまで、
「もっと口角をゆるめに上げてみよう」
「あと少しトーンを上げてみよう」
と、相手の気にいるポイントを探りつづけても、無駄なんです。
 
ゴンベーの表情や声音なんか、相手の機嫌に関係ないんですから。
攻撃の回避とは、無関係です。
 
それでも無意識下では、この救いのない行動原理が根をはったまま
この先も「罵声を浴びないための人生」を生きていくんです。
 
疲れますよ。
 
ほんとに。
 
さて、これをお読みの方々のなかに、同じように「親」に
怒鳴られ罵倒されてきたという方はいらっしゃいますか。
「きょうだい」に、家の中でいじめを受け、「親」をはじめ
周りの大人に守ってくれる人はいなかった。
そういう方はいらっしゃいますか。
 
ご自身の行動原理、よくふり返ってみてください。
「攻撃されないこと」「自分の心身を守ること」
それが目的になっていませんか。
気づくだけでも、違いますよ。
 
そして、今現在、ついイライラしてお子さんを
怒鳴りつけ罵倒してしまう、という方はいらっしゃいますか。
 
どうか考えてみてください。
あなたのお子さんの人生が、「あなたに罵倒されないため」の
人生になって、本望かどうか。
 
それが、お子さんが生まれたときの、望みだったのでしょうか。
「誰かに怒鳴られないための人生」を全うしてほしいのでしょうか。
 
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。

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