見出し画像

他者を嫌いになるということの本質を考える/嫌いレベル1〜5解説/健康的なプライド


フォロワー様のとある記事を拝見させていただき、なるほど、わかるなーーとインスパイアされたので本投稿を書くに至りました。

「嫌い」にもレベルがありますよね。
レベル1から5くらいまであるんじゃないかな。
レベル別にあーだこーだ書きます。
少々批判的に書いていますが、私が批判される側になったことも今まで何度もありました。
(ク○ビッチ時代)
今はましにはなったとしても、これから先私が嫌な奴にならない保証などどこにもないし、生理前なんかは5分置きに嫌な奴になってる。

そして嫌いになるってどういうことなのか
私なりに考えてみました。
反省と改善への祈りの気持ちを込めて。


どうぞ気軽な気持ちで読んでください。



レベル1・フンダッ!!プンッ!


これはまだ可愛らしいですね。

この人と合うなと感じる部分があったり
尊敬できるから交流してきた。
少し関係が温まった段階です。
半熟卵の段階。ポーチドエッグね。


……


この人ならわかってくれるかも
この人なら聞いてくれるかも
きっと、、きっとこの人なら!!!!
(硬く拳を握りながら)

という期待を綺麗に裏切られた時
生じる感情ですね。

そもそも期待するのが間違いだと、近年は"チラホラ"聞くこともありますが、期待や理想があるからこそのワクワク感もあるわけです。
ちっとは期待させてくれや、味気ない、とも思う。対人関係の醍醐味の一つとも言えます。

この"チラホラ"話が言いたいことは
期待すること自体は悪くない、
けれども、相手にかけた期待が叶わなかった時に怒りをぶつけるんじゃなく、自分の中で完結できるようにしましょうね。もしくは相手に聞いてみましょうね。
ということなのだろう。

仲良くなったようで、ろくすっぽ対話ができていないのがレベル1。


レベル2・イラッ…(押し黙る)


これもまだ可愛らしい方だけど
終わりへの第一歩目と言える。 

人気ラーメン店の卵ぐらいの段階。
絶妙な硬さと柔さの黄身が美味しそうな
あれです。

……

レベル1をね、パッと出せる人は良いんですよ。
良く言えば感情表現豊かな人です。短気でわかりやすいし、そこまで怒ってないことも多い。

レベル2は、多少相手に対して譲歩したり我慢してきたと感じている人に起こりやすいのではないかと。聞き上手、質問上手、正直屋、協調性のある方に多い。

我慢する方が悪い、我慢してると思ってること自体おかしい、何様なんだ!と言う人も近年チラホラ出てきましたね。

こういうこと言う人は、自律している?とも言えますが、だいたい我儘で傲慢です。25年身一つで集めた私のデータが言っています。(信頼と実績)
平穏に過ごしたいエンジェル達はこういうタイプにぜひ気をつけてほしい。
※我慢が美徳と思いすぎも我儘で傲慢かも

相手の話をまず聞ける人、嘘をつけない人、意見を聞いた上で譲歩できる人、質問できるあなたは優しい。
その上で一つアドバイスを言わせて。。

エンジェル達、普段から他者と距離を取りがちじゃないですか?あまり踏み込まないようにしよう、ネガティブなことは極力言わないでおこう、とどんなに心がけていても、相手によっては通用しないのが現実。イラッとして押し黙った様子を見て、察しの良い人は気付くけど、感情面が鈍感なトロールタイプやスーパー自分大好きっ子さんは一生気付かないか逆ギレしてきます。

(優しい振りしてヒステリー起こすエンジェル被れのデーモン閣下もいるが)

生態がどうあれ、どんどんつけ上がって迫って来る人相手に、自分はどの段階でどのような手段を取るか、己が納得できる方法をあらかじめ考えておくのが得策です。

いっときでも精神を蹂躙されたと感じたのに、結局何も言わないまま終わるのは、モヤモヤが残るばかり。どんな形でも良い、一発かましてやるのが一番です。そのままでいると非常に厄介なパーソナリティが出来上がる危険性も。それは他人には何も言わずじまいだけど、家族や恋人などの近しい人にめっちゃ八つ当たる内弁慶タイプです。
コワイコワイ。

直接言えないならばテキストでもいい。
周囲の人に言ってもいい、頼ってもいい。
言葉が得意でなければ、周りに人がいる状態でほっぺたを引っ叩くのもアリです。
「命を奪わないだけましと思え」
というマインドセットを一瞬持ってください。
相手が一番恐れていることや
コンプレックスを刺激してください。

まったく褒められたやり方ではありませんが、
この際結果は気にせず、一度思う存分復讐することをお勧めします笑
※相手が暴力やストーカーしてきそうな人なら、こんなことやらずに迷わず逃げてくれ

相手と同じ土俵に立つなとかなんとか
賢しらなことを言ってくる人には
「私はあんたみたいに御立派じゃない」
と皮肉を言ってやれい。ゴーゴー!

年齢問わず老若男女問わず、いくら考えても
私、なんか蹂躙されてない?と思ったら、
一度エンジェル達もデーモン閣下になって事故ってみてください。後々その経験が必ず生きてきます。
人の痛みも少し理解できるようになります。
誰かの悩みを聞ける人になれるかもしれないのです。つけ上がらせてしまった罪を償うつもりで、相手に対峙すると思えば、なかなかこれも酔狂なことです。

どうか、
己の時間はFREE¥0ではなく価値があること
を忘れないでくださいね。

賢い方はこんなことせずとも切り替えて前に進めると思うので、そうではない方向けのレベル2のお話でした。


レベル3・お言葉ですが。(耐えかねて物申す)


これはもう可愛らしくない。
かために茹でた卵の段階。黄身ポッサポサ、口の中に容赦なく引っ付くあれ。

……

闘いの域に入ってきました。
国会でもない限り、プライベートでの
知的なディベートなんてのは夢の話に近い。
(国会なんかもはや議員寝そうになってる)

知的に見せかけて、ただ自分の踏み躙られた
プライドロックをなんとか再建するために
もっともらしい内容をふっかけてくる
のが実情です。

まだ2ちゃんねるの悪口大会の方が正直だと思ってしまう。。

このなんちゃってディベート大会を繰り広げても
ふっかけてきた相手は絶対に引き下がりません。
いったん終わらせようとしても、
あちら側は何が何でも自分の正しさを認めさせたい、本音を言わせたい、決着をつけたい、どこか矛盾や穴を突いてやろうと必死になって攻撃と抵抗運動を続けてきます。

これでは埒があかないので
ダメ元で正直な気持ちを言ってみましょう。


お言葉ですが私は〜だと思う、
これが気に食わなかった
なぜなら〜だから
私は〜したいorしたくない


関係を続ける気があるのなら
〜のような関係にしていきたいと思っているが
あなたはどうですか

とだいたいこんな感じで言う。
続ける気になれなかったり
相手が提案を拒否したら
ではそれぞれ頑張りましょう
と意思表示をしていきます。

そしたら相手も落ち着いてきて、
解決へ…

……なんてうまいこといくはずがなく。

ここは日本やぞ?
スイスじゃない
アメリカでもフランスでもない。

それに人間そんな器用じゃないし
単純でもない。

アメリカですら話し合いは別離を生むと数字で証明してくれてます。離婚率半端ないですよね。ロシアに次いで世界2位。

議論も自己主張もいい加減にしろ
自由の女神の鼻の穴に
ミ○キーとマックとKFC詰め込むぞ
と言いたくなってきます。((言い過ぎィ

話し合って折り合いがついたとしても
やっぱりうまくいかなかったり、
落ち着くまで待つことができずに
別々の道を歩むケースが大半なのではないか。

本当に折り合うには相当な時間がかかり
それまで結構な距離が必要なことをほとんどの人が知らないような、というか忘れてしまっているような。
すぐ元通りになんてなりませんよね。男女関係では特にここがすれ違う原因になり、大変大変。

私たちはとてもうまくいってます!
と言う人がいたらその人は相手のことを
未だ知らないことがたくさんあります!
と進言してくれていると判断してよさそう。
これはこれで雑に明るくて素敵笑

ディベート好きな人は
やはり同じくディベート好きな人と
話しした方が楽しいと思う。ハート

だいぶ末期の嫌いが進んだ状態
レベル3のお話でした。


レベル4・敬して遠ざける。(がそれでもまだあーだこーだ言ってくる)



嵐が過ぎ去ったような気がして
「やっと距離を取れる」
なんて安心しちゃダメです。

固茹で卵から生卵に戻った段階。
ちょっと力を入れたらすぐに割れて
中身は雪崩のように流れ出し
しまいにはうすい殻が残るだけ。。

……


レベル3で、折り合いの話をしました。
しかしもし相手がこれを頭の中で
合意が取れたと勘違いしていたら
再び悲劇は起こります。

折り合いと合意とでは意味がまったく違うからです。


折り合いとは、違った価値観や生きてきた環境の差から生じるお互いのWANTを、まずは知る作業だと思っています。
知った次はそれを遠くから観察し分析すること、あるいはほっとくこと、違くても共存すること、これが折り合いの本質ではないかと思うんだが。

無理して受け入れなくていいんです。
喧嘩をした翌日に
違った考えを受け入れられました!
と言う人がいたらそれはだと誰だってわかる笑
いたとしたらすでに神様レベル。

真逆の意見を持ったままでいい。
折り合いとか和解と聞くと、価値観を相手に合わせるとか、相手を自分に合わせさせることだと昨今は思いがちなのでは。

私を含め人間というのはせっかちで、一刻も早く不安を取り除きたい衝動を抑えられないもの。
早く解決したい、が合意を取りたい
なってくるとなんだか気持ちの良くない
関係のまま進んでいくことになってしまいます。

合意を取りたい気持ちは
まだ相手に何かしらの敵対心や競争心を
隠し持っている状態
だと、私には思えます。

折り合った後、再び真逆の意見をこちらが言おうものなら、ムキになって反論するか自論を押し通そうとする態度が、良い証拠です。

国家間の和平条約締結とはわけが違うだろうに、人間関係ってのは。

争いの種から出てきた、もっと曖昧で人情味のある柔な新芽を、早々に摘み取ってしまってはまた争いが勃発する。
そんなことが続けば、やがて2人の土壌は不毛の地と化すでしょうな。

合意を取る前に、まずは素直になりましょうね
という話。
ごめんねとありがとう
やだといいよ
が素直に思えたり言えれば
大概のことはうまくいくはずだけど
なかなかうまくいかないね。

レベル4は嫌いを通り越し人生レベルで少し距離を置きたい状態に突入しています。


レベル5・絶縁



なぜこんなことに…?
どうして…?

もうここまできたら
生卵から流れ出た中身を
ご飯の上にサッと乗せて醤油をかけ
卵かけご飯にして食べる段階。

消化して排泄しよう。

……

私の場合ですが、ここまで関係が
複雑になってしまう相手はかなりの確率で
競争心の強い人です。

一概には言えませんが例を出すと

ハードな練習に耐えてきた体育会系の人、
ハードな勉強に耐えてきた優秀な人、
厳しく育てられた、過干渉に育てられた人、
兄弟姉妹と常に競い合い比べられてきた人、

に多いかなぁ…。

競争心は否定しません。
競争心があるから努力しようと思えるし
強く生きていける。
問題は競争心に付随するプライドの在り方だと。

健康的なプライドを持っている人は
競争に勝つこと
競争に負けること
競争をしないこと
自分が間違えること
他者が間違えること
これらが、なんら人間的価値において関係がない
のではないかと、なんとなくわかっている気がする。

不健康なプライドはこの逆です。
努力を惜しまず生きてきた人であるのに、今の自分ではダメだと常に思い、ダメな自分を写しているようなダメな他者を見ると、怒りの感情が湧いて仕方なくなる。うまくいかないと他者から責められているジャッジされているような気がしてならなくなり、最終的には暴徒化する。

もう一つ、競争心がなく健康的なプライドが育っていない人も問題です。
このような人は、競争世界に密かに憧れを持つか、過度に自信なさげになり、対等で平穏な関係をなかなか他者と築けなくなってしまいます。過剰に否定されることや指摘を嫌がります。もっと悪いことは、上記の競争心が強く不健康なプライドを持っている人から目を付けられやすく、彼らの感情のはけ口にされてしまう可能性があることです。

今を生きる人間にとって、この健康的なプライドを持つことが必要ではないかと感じます。
(私自身も育てている最中)
競争心は健康的なプライドあってこそ生き生きと輝いていくもの。
心がギッスギス状態の人が、競争を勝ち抜いて人に何かを説いても、彼らは裸の王様になり徐々に嫌厭されてしまうのではないでしょうか。

競争心や努力は個々人に合った色や形、大きさがあります。相手の意向を無視して、自分専用の努力や競争心をあてがおうとしても無理がある。その尊大さは相手が子供であれ大人であれ確実に伝わります。
自分がしてきた努力は誇れるものだ!と感じることはとても素敵です。それを発信するのも自由!励まされる人も必ずいます。

だけど押し売りはダメ笑

純粋な厚意から始まったのに、結局単なるお仕着せだと受け取られてしまうのはとても悲しいこと。拒否される理由が自分に力がないからだとする人、結構いましたが正直言ってズレてる。影響力のある人だから言ってることが他者に響くという理屈、おかしくない?
そんな理屈が存在するなら、今メディアに出てる人達、もっと健やかに生きられてるはず。
要するに、他者の意見をねじ伏せられるだけの権力が欲しい、ということかしら。
話は変わるが、いっぺん映画「グラディエーター」見て来いや。権力ってもんが何なのかわかるぞ。


何はともあれ、、他者の心を甘く見てはいけないし、自分の言動の意図がきちんと伝わっているのかどうか、常に意識しなくてはならないと思います。そこに力のあるなしは関係ありません。

孤立と孤独が違うものであるように
プライドと怒りは切り離さなければ
ハッピーでいられないよね。


プライドは慈しみから生まれ、
決して怒りに支配されない


と、どっかの誰かも言ってた。(あたし)


他者を嫌いになるということ


ここまでさんざんわんわん
喋ってきたわけですが、心底嫌いになるって
実は素敵なことなのかもしれないとも思う。
好きにならないと嫌いにもなれないもんね。

嫌いな人がいない方が良いけどそれは同時に
好きな人もいないということなのではないか。

とある知り合いに「好き嫌いでよく判断できるなぁ」と言われたことがあります。私はこの発言に対し「何でも選択する時は多少なり好き嫌いが含まれてるのでは」と返しました。


「物事を好き嫌いで判断するのは非論理的非合理的であり誠に愚かしいことでありまス。感情はむしろ害に等しいものでありまス」と、
合理論理厨ひろゆき成田悠輔もどきにマウント取られたら、敬意を表し○■メガネと黄色いパーカーでもプレゼントしてあげましょう。

それとは逆に「あなたって本当に思いやりに欠けるわね。なぜ気付かないの?それじゃ人から嫌われるよ。」と
優しさ思いやり厨ジーザ○もどき
にマウント取られたら、敬意を表し食いかけのパンと飲みかけのワインでもプレゼントしてあげましょう。
(そろそろ怒られる)


好き嫌いを無くすのは不可能な話です。
感情傾向の強い人を否定するのも
論理傾向の強い人を否定するのも
とどのつまり「好き嫌い」の話だからね。
何かを示せば矛盾が生まれるのが人間で。
どちらも行き過ぎれば害になるもんさ。

スーパーポジティブ思考・〆

レベル5の冒頭で、消化した卵かけご飯!
あれもあれで体の養分になったじゃん!キラキラ
私は嫌いになるまで人を好きになったんだ!
と逆に自信に変えていけたら、明るくて最高じゃないてすか?((上目遣い
相手も相手で、私から嫌われたことでより良い出会いや変化が訪れるかもしれない。心のギスギスが減るかもしれない。

私はこのようにいつも都合の良い方向に頑張って解釈を変えていきます。(爆)

こんなことになる前に、ものすごい手前で判断する人が身近にいます。お馴染み、私のお姉たまです。姉は主に挨拶できない人、ヘラヘラしてる人、余計な気を使う人、マウントを取る人、権力と権威を履き違えてる人(特に教師に多い)と鼻から関わりを持たないそうです。


姉のオーラはとても怖いので、自信のない人は怯えて寄ってこない。話しかけられることがない。
しかし、稀に姉も人間のネガティブな感情から生まれた厄介な出来事に、不可抗力で巻き込まれることがあります。心理の裏をあまり読まないお殿様気質な彼女は、このような出来事に深くストレスを感じてしょんぼりします。

そんな時!!この嫌いレベル1〜5までを経験した私の過去が役に立ち、あれやこれやと説明したり推測したりして、殿のストレスをなるたけ軽減して差し上げるのです。。

私の失敗も、人の役に立てる場面があると知って嬉しくなりましたとさ。



それにしてもつくづくわかんないよね
心ってやつぁ。
知り合って間もないのに嫌いになることもあれば
10年かけて徐々に嫌いになることもある。
嫌いから好きに転じることもあったし
何が起こるかわからない。


知らないから嫌いになってしまうのか、
知り過ぎたから嫌いになってしまうのか。
まぁずいぶんと、気まぐれである
ことは確かですね笑


こうなると
嫌いになってからが関係の始まりとも
言えるから、レベル1〜5じゃなく実は100くらいまであるのかもしれません。

そこまで深め合える関係を誰かと築けたら
とても有意義なんだろうな。
いろいろあれど、これからもと関わっていきたい。


卵のくだり、あれは一体何だったんだろう。正直別にいらないよね。


ということで、
長らくお付き合いいただき
ありがとうございました。


良い夢を見て良い朝を迎えてください。
Good night.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?