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こってり過激派

〜20年前〜

4人の若い男性グループが深夜、天下一品に行き、ラーメンを注文する。

店員「こってり、あっさり、屋台の味がございますが」
A「こってりで」
B「こってりで」
C「こってりで」
D「僕はあっさりで」

A「おいおい、天一に来てなんであっさりやねんwww!」
D「え…いや、俺こってり好きじゃないねん」

A「いや、それ天一に来る意味ないやろ!」
B「てか、天一であっさり頼むやつ見たことないわ!」
C「こってりじゃなきゃ天一じゃないやろ!」

〜現在〜

前述の会話は学生時代の私と友人達のやりとりである。
ちなみにDは私ではなく、同席した友人の一人だ。

天下一品のスープには「こってり」「あっさり」「屋台の味(こってりとあっさりの中間)」が存在し、もちろん客は好みに応じてどのスープを選択しても良い権利がある。しかし、実際はどうだろうか。

私が確かな筋から仕入れた情報によると、2023年現在でも、天下一品を支持する男性の99%以上が味の選択は「こってり」一択であると回答している。
圧倒的マジョリティである。
ここで問題となるのが、こってり派にとってはその選択がもはや常識と思っており、圧倒的マジョリティであるが故に、わずかにあっさり派がいることに気づいてすらいないことである。

本来であれば、他人の注文内容に対し、自分の価値観を強要することはできない。当たり前のことだ。しかし、当時は至りもあり、多様性を尊重すべきという世論もまだあまりない時代だったこともあり、私も当時は「こってり以外はあり得ない」と考えていた。

いわゆる、こってり原理主義者だったのだ。

もしこれが今の時代であれば、前述のやり取りを録画して「天一であっさり頼むヤツw」のようなタイトルでSNSにアップすることもできる。もしかすると我々はその動画で人生初の炎上を経験していたかもしれない、それほどの完全なる"こてハラ"(こってりハラスメント)であったと今は自覚している。顔出しで動画を公開したためにすぐに学校を特定され、停学こそ免れたとしても、正門から堂々と登校することは二度とできなかった…なんてことに発展していたとしてもおかしくはないだろう。

あなたが時代に見合った価値観を持つ人間になりたいのなら、または、日本が人権先進国でありたいと願うなら、私達は天下一品の多様性を尊重しなければならない。

こってり尊あっさり卑の時代はとっくに終わっている。

世は多様性の時代である、ラーメンをジェンダーに置き換えて考えてみると、学生時代の我々がいかにマイノリティに対して攻撃的であったかがわかる。

3年前、私は初めて天一のあっさりラーメンを食べた。
正直、思っていたよりずっと美味しかった。というより、天一のあっさりを美味しいと思える自分、こってりだけじゃなく選択肢としてあっさりもアリだなと思えた自分に驚いた。

それは、こってり原理主義からの解放だった。

会計を済ませて店を出た時、少しだけ、視野が広くなった気がした。


追伸:
この文章を書いている間、私はずっとある想いを秘めていた。それは

「序盤で脱線してしまって、なんか思ってるスケール感と違う話になってしまってるんだけど…」

である。

あのね、元々は「天下一品マニアを自称する友人数名に"あっさり"を食べたことあるか聞いたら、誰も食べてなかった。それってB面の曲全く知らないのにガチ勢を自称してるファンと同じじゃないのか!」ということをね、面白おかしく書こうと思って書き始めたら、序盤でかなり脱線してしまって、本来の話に戻れずに終わってしまったのね…。

とりあえず3年前に食べたあっさりの写真載せて終わるね。


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