スーパーパワーシャツ

これは私が高校で1年ほど柔道部に所属していた時の話だが、当時、我らがS高校柔道部の部員の間ではタンクトップのことを「SPS」または「スーパーパワーシャツ」と呼んでいた。

これはタンクトップこそが最も上半身の筋肉をアピールできる衣服であり、それを着ることが出来るのは自身の肉体美を誇れる選ばれた筋肉自慢のみだという思想によるものである。

つまり、常人ならばTシャツを選択するであろう場面において、あえてタンクトップを選択する猛者達へのリスペクトを込めた呼称なのだ。

もちろん、それは高校から柔道を初めてまだ数ヶ月しか経っていなかった当時の私には到底着ることが出来ない代物であった。

*

柔道部に入部して半年が経った頃、我が母校の道路を挟んで向かいにある、市内でも随一の偏差値を誇る公立高校との練習試合が企画された。

母校はスポーツ推薦のない私立の進学校なので、スポーツにおいては他校に舐められまくっている存在だったが、今回は相手も勉強第一の進学校、なんとなく相手としてちょうど良いレベル感なのではないかと勝手に思っていた。

部室で柔道着に着替えた後、母校の校門を出て、横断歩道を渡り、相手校の校門をくぐる。

目と鼻の先ほどの距離だがもちろん相手校の敷地内に入るのは初めてだ、私立と公立の空気感の違いなどもヒシヒシと感じ、自ずと緊張感も増していく。

私は柔道業界では期待のルーキーを表す純白の帯をギュッと締め直し、大きな声で「失礼します!」と挨拶をして、柔道場へと足を踏み入れた。


柔道場に入ってまず最初に私の目に飛び込んできたのは、女子柔道部員と組み手をする男子柔道部員の姿であった。それも、立ち技のみならず寝技の稽古も男女入り乱れて行っている。

女子部員はたった3人しかいなかったので、もしかするとそれは仕方のないことだったのかもしれない。武道というのは、より多くの者と、そして己より強い者との組み手を経験しなければ強くなれないものなのだ。

国民的柔道選手のヤワラちゃんが女子としては圧倒的に強すぎる故に男性とばかり組み手をしていた事実ももちろん知っていた。

しかし、帯は真っ白だが頭の中は常にピンク色の思春期の15歳男子には、その光景はあまりにも衝撃的過ぎた。

「許せぬ…」

まったくもってただのひがみでしかない理不尽な怒りが込み上げてくる。

何よりも許し難いのは、女子柔道部員達がそこそこかわいいということだ。スッピンであのレベルであれば、大学に入って大化けする可能性も多分にあると、今の私には分かる。
あとは彼女達がどんな恋をするかだけの問題だ。

同年の春、そもそも女子柔道部が存在しない我が母校にも、初めて女子の入部希望者が1名現れた。しかし、顧問の先生が女子1人では部としての活動が難しいからと言って追い返したという事件があった。

男女で仲良く組み手をする彼らを見てその記憶がフラッシュバックする。
自分の感情をコントロールできない。
私の中で汚い花火が打ち上がる音が聞こえた。

もし私が戦闘民族の末裔だったら、この時点で金髪になっていただろう。


怒りに震えながら道場内を見渡すと、隅の方にとりわけガタイの良い丸刈りの男が座っていた。

それが1年生ながらインターハイで県大会に出場するなど、好成績をおさめていた期待の新人、N村君だった。

N村君は同級生とは思えない貫禄と、鍛え上げられた分厚い肉体の持ち主だった。しかし体脂肪はほとんどなく、若者ゆえの肌荒れはあるものの端正な顔立ちをしており、その腰には黒い帯が締められていた。

一見しただけで、動物のオスとしての本能で絶対に勝てない相手だと分かる佇まいだった。


*

「よろしくお願いします!」

双方役者が揃ったところで練習試合が始まった。

もちろん我々と女子部員達との組み合わせでの試合などは実施されることもなく、男同士の暑苦しい濃厚接触が繰り返される。

相手校の選手達も玉石混合。強い選手もいれば弱い選手もいる。が、柔道歴半年の私が勝てる相手などそうそういない。

まだ勝てそうな見込みがある1年生との対戦の時だけ勝機があるとみて全力で挑むが、空回りして不慮の頭突きを受け、口から出血するなどの悲惨な状況だった。

そろそろ体力的にもキツくなってきた頃、ついにN村君との対戦になった。

「はじめ!」

合図とともに自暴自棄の私は何の策略もなく真正面から襟を掴みにいく。

作戦なんてない、何も考えず、今の自分の全てをぶつけるだけだ。

それでも組み合った瞬間、過酷な受験戦争を勝ち抜いてきた私の頭脳は無意識のうちに高速回転し、わずか0.1秒もかからぬうちに「これ100%無理っすね」という結論を導き出した。

甘い匂いに誘われたカブトムシのようにスーッと彼の胸元へ引きつけられると、そのまま視界がグルンと回転したところで私の記憶は途切れている。

*

久々に目覚めの良い朝だった。
まぶたにうっすらと光が差し込み、目覚まし時計がなったわけでもないのに自然と起きれた朝の気持ちよさというのは格別である。

どうやら布団をかけずに寝ていたらしい、若干の肌寒さを感じながらも「朝食はパンと目玉焼きに淹れたてのコーヒーがいいな」などと考える。

運動部の高校生は寝起きとともに腹ペコを感じるほどに食欲が旺盛なものだ。

まだ視界はぼんやりしているが、微かに聞こえる畳の擦れる音、剣道部の発する奇声、見たことない天井...ってここどこ!?

「あぁ、良かった」

突然視界にN村君の顔が飛び込んできた。

どうやら私はN村君と組み合った瞬間に内股で豪快に投げ飛ばされ、技ありを取られた後、間髪入れずに三角絞めを決められ、一瞬のうちに絞め落とされていたらしい。

自ら絞め上げて失神させておいて、ちゃんと意識が戻るか心配してくれる。
それがスポーツマンシップなのかもしれないが、これだけ実力差があるならちょっとぐらい手加減してくれてもいいじゃないかと思った。

試合終了後、帰る準備をして「ありがとうございました!」と道場に一礼する。

相手校の選手達もこちらに挨拶を返してくれる。

帰り際にもう一度道場の方を振り返ると、そこには道着を脱ぎ、タンクトップ、いや、スーパーパワーシャツを威風堂々と着こなし、仲間と談笑するN村君の姿があった。

それから20年経った現在も、私はいまだにタンクトップ一枚で外出することが出来ない。


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