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ひろしまアニメーションシーズン2022

広島市で開催された「ひろしまアニメーションシーズン2022」が終了して早くも1カ月が経った。思い返すと夢のような時だった。

「ひろしまアニメーションシーズン」は広島市がこの2022年夏から新たに始めた「ひろしま国際平和文化祭」の一翼を担うイベント。
「ひろしま国際平和文化祭」は広島市民のために設けられた芸術イベントで、略称は「ひろフェス」。8月1日からほぼ1カ月に渡り広島市内各地で繰り広げられた。主催は「ひろしま国際平和文化祭実行委員会」。
「平和の種をまき、次世代を育てる」をコンセプトに、音楽の「ひろしまミュージックセッション」とメディア芸術の「ひろしまアニメーションシーズン」の二本柱からなり、今夏の「ひろしまアニメーションシーズン2022」は8月17日(水)から21日(日)の5日間、JMSアステールプラザをメインに市内各所で行われた。

元々広島市には1985年に始まる「広島国際アニメーションフェスティバル」というアニメーションの国際映画祭があった。
アニメーション作家の木下蓮三・小夜子夫妻の提案に当時の広島市長が賛同、主催を広島市およびフェスティバル実行委員会等が務め、共催を木下夫妻が所属する国際アニメーションフィルム協会(ASIFA)の日本支部ASIFA-JAPANが務める形で映画祭は始まり、開催はおよそ2年に一度。コロナ禍でオンライン審査となった2020年の第18回大会まで回を重ねて35年。基準の厳しいASIFAの公認も受け、フランスのアヌシー等と並び「世界の四大アニメーション映画祭」と称されて国際的評価も定着、毎回内外から多くの作家と観客が集った。
しかし、広島市は一方的にアニメーションフェスティバルの終了を決定、市民参加型イベントへの刷新を発表した。それがこの「ひろしま国際平和文化祭」であり「ひろしまアニメーションシーズン」である。終了は市の方針とされ、その理由は明確には語られていない。
対外的には「ひろしまアニメーションシーズン」は「広島国際アニメーションフェスティバル」の後継とされている。

「ひろしまアニメーションシーズン」(以後、略称は公式サイトにならい「アニシズ」。マスコミによっては頭文字を取った「HAS」の略称も見られる)は、プロデューサーに(株)ニューディアーの代表・土居伸彰氏、アーティスティック・ディレクターに世界的アニメーション作家の山村浩二氏と、地元比治山大学の宮崎しずか氏が就任。
土居氏は自身が立上げに関わり、長年フェスティバル・ディレクターを務めてきた新千歳空港国際アニメーション映画祭を辞してアニシズに専念することとなった。
主催は、広島市長などで構成される「ひろしま国際平和文化祭実行委員会」。コンペティションの協賛には三井不動産リアルティ中国株式会社が入った。競輪の補助を受けて実施される競輪補助事業でもある。
毎回のコンペ上映前に「三井のリハウス」のCMが流れるなど、アニメーションフェスティバルの頃とはだいぶ様相が違って見える。

アニシズの内容は大きく3つからなる。
環太平洋・アジアとワールドの部門に分けられ、応募作品からグランプリなどの賞を決定する「コンペティション」、環太平洋・アジア地域のアニメーション界の達成を讃える「アワード」、アニメーションと教育を結びつける「アカデミー」。
環太平洋・アジアを意識した設定からはフランス発祥のASIFAと密接な連携があったアニメーションフェスティバルからの変化が明確に伺える。
また「アカデミー」は、内外から選ばれた作家3人を広島に招いて創作にあたってもらう「アーティスト・イン・レジデンス」をはじめ地元密着の姿勢も強い。

私は初日の開会式兼授賞式から最終日の閉会式兼授賞式までの全日に参加。
自分が見聞きした範囲の物事しか分からないが、一観客としての感想を綴ってみようと思う。市内各所での開催だが、広島の日射しを避けてアステールプラザのみの鑑賞となったのをお許しいただきたい。
アニシズの特徴の1つに、この広域での開催が挙げられる。ほぼアステールプラザのみでの開催だったアニメーションフェスティバルとの大きな違いだ。
アステールプラザの他は西区の横川シネマ、中区のサロンシネマ、広島市映像文化ライブラリー等が加わり、コンペのプログラムや内外の優れた長編アニメ映画等が上映され、boidsoundの高音質上映も行われた。
映画祭に広がりを与え、広島市民をはじめ観客の利便にも適った実施だったと思う。

入場者に配布された折り畳み式のパンフレットは情報がよく整理され、軽くて見やすく、アンケートの回答で貰えるクリアファイル共々連日持ち歩いて重宝した。アンケートはQRコードをスマホで読み込んで答えることも出来、簡便で良いシステムだった。
銀色の卵のような今回の公式ビジュアルはスタイリッシュで、アニシズに感じるアーティスティックな雰囲気を表出していたと思う。一方で「ひろフェス」全体のキャラクターであるカープスターは可愛らしく親しみやすい。
その両者が表紙にあしらわれたガイドブックには、コンペのプログラム解説とカテゴリ賞、審査員個人賞を得た作品についての各人の短評等も掲載されていて多様な見方に触れることが出来、単なる作品紹介に留まらず有意義だった。

アステールプラザでのプログラムは2階の大ホール、中ホール、1階の市民ギャラリーで展開。小ホールは他団体が使用中で利用出来ず、アニメーションフェスティバル時代と違って5階視聴覚スタジオのVR体験以外に上階の解放はほぼなく、これらがアニメフェス時代よりも作品総数が半減と伝えられる一因かと思われる。
観客総数も4割減と伝えられるが、コロナ禍の影響も大きく、前のアニメフェスから4年のブランクもあり、一概には比較出来ない。
私の見たところでは閉会式の観客が驚くほど少なかった。アニメフェス時代には一番の人気プログラムで開場を待ち兼ねる人が長い列を作っていたものだが。
それでも、全日を通して若い世代の姿が目立ったのは嬉しい。

大ホールでは連夜のコンペティション全8プログラムに、「HASクラシックス」と題された長編短編作品、審査員等の作家特集、アニシズ独自のゴールデンカープスター受賞作、等を上映。
中ホールでは同じくゴールデンカープスターの特集に加え、今回のテーマである「水」にまつわるプログラムや、ジェンダーやセクシャリティに関わる特集、日本アニメーション協会特集、全国巡回中のサイレント喜劇チャーリー・バワーズのプログラムも組まれ、観客を集めていた。
1階の市民ギャラリーではサイエンスSARU制作の『平家物語』の背景美術の展示や「アカデミー」の成果発表に加え、数多くの参加作家によるトークが連日行われていた。
土居プロデューサーが携わっていた新千歳の映画祭の特徴に作家と観客の距離の近さがあるが、その美点がここにも生かされているようだった。

先に触れたゴールデンカープスターはアニシズの大きな特徴の1つ。国内外の専門家が環太平洋・アジア地域で優れた業績を残した個人・団体・組織を選び表彰するもの。1回目の今回は2020から2021年の成果から選ばれた。
受賞はアメリカのソニー・ピクチャーズ・アニメーション・プレジデントのクリスティン・ベルソン、日本の制作会社サイエンスSARU、台湾のアニメーション作家・謝文明、イランのドキュメンタリー・アンド・エクスペリメンタル・フィルム・センター、日本のアニメーション作家・水尻自子、中国のフェイナキ北京アニメーションウィークの6者。バランスが取れ、現在を映す選定と思う。
このゴールデンカープスターの受賞者サイエンスSARUが関わる2作、『平家物語』の監督・脚本・美術監督を招いてのトークショー付き上映会と、これも平家物語ゆかりの作品である湯浅政明監督の長編『犬王』の「生演奏付き“狂騒”応援上映」は今回のアニシズのハイライトとも言える催しだった。この種のイベント開催の少ない広島県民にとって望外のプレゼントであったし、応援上映は県外からも多くの観客が駆けつけて格別の賑わいを見せた。

今回のアニシズでは個人的にも多くの収穫があった。
まずは、審査員の一人フローランス・ミアイユ監督の油絵調の長編『The Crossing』。親族の戦下の体験を基にしたアニメーションドキュメンタリーの範疇だが、過酷な体験の中にどこかおとぎ話のような不思議な雰囲気を持つ。
複数行われたレクチャーはどれも有意義で、権藤俊司氏の「水」に関する講演と細馬宏通氏の「ビジュアル・ミュージック」ではアニメーションの歴史上の重要で美しい作品の紹介を多く観て、自分がアニメーションに魅せられた原点を確認する思いだった。
山村浩二氏の「水」のレクチャーで観た、アラル海の乱開発を巡る『かつて海があった』や、矢野ほなみ氏らの意欲的なジェンダー特集の中で観た『川におりて』も忘れられない。こうした作品との出会いがあるとプログラム自体が輝く。

国際映画祭の中心と言えばやはりコンペ。既に他の映画祭等で鑑賞した作品も多かったが、収穫もまた多かった。
初見の中から上げれば、そこはかとない可笑しさと不穏が漂う和田淳作『半島の鳥』、グロテスクな中に現代を撃つ力を持つ人形アニメ『皮膜』、クレイジーパワー炸裂の『山の中で』、少女の孤独と抑圧、小さな解放が胸を打つ『9歳のサルビア』、広島アニメフェスでもお馴染みの作家イザベラ・ファベの『ジュゼッペ』等々。
長年の信奉者である巨匠ジョルジュ・シュヴィッツゲーベル監督の新境地『ダーウィンの手記』のグランプリ受賞には大いに喜んだ。
この作品が監督の代名詞のような技巧の追及ではなく、植民地支配の告発という社会的ストーリー性を持つものだったことはアニシズのコンペを象徴しているような気もする。
また、再見ではあるが環太平洋・アジアのコンペで上映された、ベトナム女性の精神史を描く『漂流する家』はカナダ・フランスの制作。制作国由来か美的センスと完成度が飛び抜けており、アジア的な感性が連続するこのカテゴリの中に清新な風を感じた。
「こどもたちのために」のプログラムにロシアの作品が入っていたのも嬉しかった。戦争に伴いロシアを公の席から排除する動きが世間にあるが私は反対だ。芸術に国境はない。狭量こそが世界に分断を招くのだと思う。

アニシズのコンペでは短編と長編を区別せず扱うとのことで、今回は3本の長編が上映された。若い女性の幻想的な冒険『森での出来事』、中国の歴史を見つめる『銀色の鳥と虹色の魚』、『新しい街 ヴィル・ヌーヴ』の監督の新作『群島』。
この方針には期待したが、選出に疑問を覚えるものもあり、意義は理解しても長時間の鑑賞が苦痛な作品もあった。現在は世界的に様々な長編作品が生まれている筈だが、他の応募作も知りたいとさえ思った。

アニシズのコンペは環太平洋・アジアとワールドの2つに分かれている。
これに関してはアーティスティック・ディレクターの山村浩二氏の、これまでの世界の映画祭におけるヨーロッパ的価値観からの脱却と、範囲を環太平洋・アジアと広げることで既存のアジア系映画祭との差別化を図った旨が表明されている。
また、ワールド・コンペの作品はその内容によって「寓話の現在」「社会への眼差し」「物語の冒険」「光の詩」「こどもたちのために」の5つのカテゴリに分けられていた。
これらの試みは功を奏していただろうか。
インディペンデントのアニメーションに馴染みの薄い層にとっては何らかのガイドになったとは思うが、一観客目線で言うと、内容によってあらかじめ仕分けられているためにどうしても似通って見えてしまいプログラムが単調に感じられた。それは個々の作品にとってもマイナスではないだろうか。
また、カテゴリ名から想起されるものと実際の内容とのいささかの乖離も感じた。

コンペでもうひとつ気になったのが単純に笑って楽しめるエンタメ性の少なさ。そのために今回のコンペは2連続の編成という以上に精神的な疲れを覚えた。
映画祭は往々にして、コンペ以前の、一次審査段階での感性や価値観による作品の選択が全体を左右する。
作品の応募総数は広島アニメフェス時代と大差ないにも関わらず、コンペ全体から受ける生真面目な重さや暗さが単に時代性の反映と思うのは難しい。
笑いは神経をリフレッシュさせ、免疫力も高める。インディペンデントであったとしてもエンタメは成立する筈だ。社会に多様性を求めると同等に、作品にもバラエティある採択をお願いしたい。
最後の授賞式に観客が少なかったのは、コンペで鑑賞した作品に対する共感や関心の低さを物語っているような気もしてしまう。

アニメーション映画祭は、作品を通して社会への目を開くことも大事だが、まずは観る人にアニメーションの魅力を知ってもらう出会いの場であって欲しいと私は思っている。
「ひろしまアニメーションシーズン」は、映画祭と一般市民との乖離を避け、広島市民に開かれた敷居の低い映画祭として再設定されたと思う。アニシズ全体はともかく、今回のコンペはそのような場になっていただろうか。

と言いつつ、実際には私はこのアニシズを大いに楽しんだ。
時折、もう失われてしまった広島アニメーションフェスティバルの、今こそ必要な「愛と平和」の精神を懐かしみながら。
作品との出会いはもちろん、4年ぶりに顔を合わせる友人知人。思いがけない人との出会い。懐かしい広島の地での同窓会のような日々は夢のように楽しかった。
パソコン越しに何でも出来る時代ではあっても、直接に顔を合わせて今観たばかりの作品について意見を交わし情報を交換する喜び。
広島の地に再びこの「場」を設けて下さった関係者の方々には感謝してやまない。

人手も時間も十分でない、しかもコロナ禍の続く中での準備と運営はいかに大変だったことか。どんなに想像しても足りないことと思う。
上映作品に丁寧な字幕が付けられていたのもありがたかった。
カテゴリ審査員にアニメーションと異なる分野の人材を招いたのも刺激的だった。
開会式に響いたウードの音の感動。シンプルに抑えられた式次第からは手作りの工夫が伝わってきた。
山村浩二氏と共に全体を仕切り、作品のアナウンスまで自ら溌剌とこなして、プレイベントから映画祭と地域を繋いでおられた宮崎しずか氏の八面六臂のご活躍には本当に頭が下がった。
入場時にちょっと言葉を交わしたボランティアの男子学生さんの澄んだ瞳には斯界の未来を見た気持ちがして大いに励まされた。

2年後という次回にはコロナも終息していよう。どうか恙ない開催を祈る。


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