『母をたずねて三千里』特集より  『素晴らしかったんだ、ぼくの旅』

※以下は同人誌『Vanda』に寄稿した文章です。『Vanda』は(故)佐野邦彦氏と近藤恵氏が編集発行したもので、毎号、音楽やアニメ作品の特集が組まれていました。これは3号の『母をたずねて三千里』特集に書いたものです。発行は1991年7月で掲載は縦書き。当時の誤植等を直し、体裁を整えてあります。 

 『母をたずねて三千里』は、TVアニメが到達した―つの高峰である。
 『三千里』は、日曜夜7時半からの30分番組、いわゆる名作劇場の一作として企画された。これは当時一社提供のスポンサーであったカルビス側の提示した企画だったという。ゴールデンタイムに家族(それも主として母と子)が安心して見られる番組という大前提があり、知名度の高い児童文学を素材にした作品として『母をたずねて三千里』は、うってつけの企画だったといえよう。
 制作スタッフには、『ハイジ』を終えた高畑勲らがローテーションとして振り当てられた。つまり、『三千里』は、企画自体も、またそれに参加することも、高畑さんらの自発的な意志ではないのだ。そうした素材を、いかにして彼らは“自分たちの作品”として作り上げていったのだろうか。
 『三千里』は原題を『アペニン山脈からアンデスまで』といい、エドモンド・デ・アミーチスの著したイタリアの児童文学『クオレ』(1886年)の中の短編の―つである。この原作はごく短い話で、そこでは主人公の名と年齢、その家族(といっても名も年齢も職業も不明の父・母・兄という構成のみ)、主人公がたどる旅の道のりとが示されるのみである。
 アミーチスの原作からは、統一国家となって日の浅いイタリアの少年達の勇気と愛国心をかき立てようとの意図が読み取れるが、客観的に見ると、余りに物語的飛躍があり、展開に無理があるのだ。例えば、母が出稼ぎに出た理由も、父や兄を差しおいてなぜ一家の幼子が母を探しに出るのかも明らかではない。短編小説としてなら許されても、一年間放映されるTV化にあたっては、その無理を納得いくものに作り直し、飛躍や省略を補修してゆく作業が必要だ。何のために? 単なる原作の映像化ではなく、自分たちの“作品”として納得のいく世界、妥協のない世界を作り出すために。
 いわゆる原作ものの映像化には、
〇原作の忠実な映像化
〇原作の枠組のみ借りて来る換骨奪胎もの(筆頭の例として『未来少年コナン』)
〇原作の設定・展開等はほとんど変更せずオリジナルなエビソード・人物紹介で膨らませるやり方
等があるが、与えられた枠の中で、考えに考え抜いて、原作の持つ矛盾や嘘を廃し、妥協のない、自らも視聴者も納得できるだけの説得力を持った世界を作るというのが、高畑さんの作品作りに一貫した姿勢だ。『三千里』でもこの姿勢は貫かれた。
 脚本には高畑さんと『ホルス』以来のコンビとなる深沢一夫が起用され、いわゆるTVアニメ調にこだわらないドラマ作りが開始された。こうして、一家の父親が、貧民が安心して医療を受けられるための無料診療所を開設しており(医師ではない)、兄もまた、家計を助けるため機関士となるべく鉄道学校に入って家を空けているという原作にない設定が生まれた。これには当時十九世紀末のイタリアの大多数が貧困に喘いでいたという国情が反映されている。そして良心的なるが故に経営は逼迫し、現実と理想の狭間で苦しむ父を見かねて、母は働き口のない国内よりも当時イタリアからの移民が続出していたアルゼンチンヘの出稼ぎを決意する。彼女もまた父の理想に共鳴していたのである。だが主人公マルコはまだ幼く、両親の立場も心も、はっきりと理解するまでには至っていない。
 こうした設定は実は母の旅立ち―マルコとの別れ―を描いた第1話では明確には示されない。その代わりに呈示されるのは、ロッシ一家の強い家族の絆である。借りて来た馬車で特別のピクニックに出掛ける一家(それは実は明日に迫った別れのための計らいだったのだが)その楽しさから一転して港での別れに。ここでのマルコは決して物分かりのいい子には描かれない。幼いマルコの心情を思っての両親の気遣いが裏目に出て頑なに心を閉ざすマルコ。そんなマルコに母アンナは言う。
 「マルコ!誰にも長い人生のうちには辛くて悲しい時が必ずあるものなのよ!そして誰もがその辛くて悲しい出来事をひとつひとつ自分の足で乗り越えて一人前の立派な大人に育っていくものなのよ」
 さて、この基本設定一つをとっても、この作品がいわゆるTVアニメらしからぬ重い題材を扱おうとしていることに驚かされると思う。しかもこの設定を単なる方便でなく現実感あるものとして生かそうとするならば、シナリオも演出も作画も、どんな困難が待ち構えているかは想像に難くない。人間を描き、それを取り巻く社会を丸ごと描き出さねばならない。当時の他のアニメはもとより、高畑さんが関わって来た『ホルス』でも『ハイジ』でも到達したことのない地点まで行くことが要求される。
 が、もちろん当初からそんな大それた覚悟や決意があった訳ではない。むしろ、例えばアルゼンチンヘのロケハンの時には、余りの何も無さ、加えて現地での行程が原作者の創造の産物であること、つまり一から自分たちで組み立て直さねばならないことが判明して、スタッフ一同茫然としてしまったという。この時の心境は深沢氏自らの作詞になる主題歌にそのまま反映されている。
 はるか草原を ひとつかみの雲が
 あてもなくさまよい とんでゆく
 山もなく谷もなく
 何も見えはしない…
 さて、第1話ではまだ物語の背景でしかなかった港町ジェノバ。第2話以降、マルコの旅立ちの第15話までをかけて、そのたたずまい、マルコ達の暮らしぶりが、社会の裏側までを含めて、じっくりと描かれる。子供向けと妥協しない深沢一夫のシナリオ、高畑勲の緻密な絵コンテ、コンテと原画・美術をつなぐ宮崎駿の卓抜で的確なレイアウト、かつてないリアルで細やかな芝居をこなしてゆく小田部羊一を始めとする作画陣、光と影を駆使して人間の生きる町を描き出した椋尾篁他の美術陣…スタッフは総力を挙げて、人間を、社会を描く物語を進めていった。
 互いに母を思う故に行き違ってしまう心の葛藤を繰り返しながら、少しずつ息子を認めてゆく父。アルゼンチンへの密航を企てたマルコに父ピエトロは言う。「マルコ、選ぶのはおまえだ」
 こうしてマルコの旅は始まった。ジェノバからリオデジャネイロ、ブ工ノスアイレス、バイアブランカ、ロサリオ、コルドバ、ツクマンへ。海を渡り、河を上り、大草原を越え――。
 その間、マルコが直接間接に出会う様々な人々。市井の、路傍の、大自然の中の、年齢も人種も国籍も様々な、当たり前の人々。その一人一人に人生があり、彼らを包む社会がある。そう、『三千里』は群像劇なのだ。原作ではわずか数人に過ぎない登場人物も、ここでは優に150人を越え、名バイプレイヤーである人形劇一座のペッピーノ、もう一人のマルコとも言うべき少女フィオリーナ(風にゆれる花のようなかそけさ―フィオリーナとは花の意である―を信沢三恵子が好演)をはじめ、忘れ得ぬキャラクターが生み出された。
 裕福ではないが愛に恵まれた家庭に育ったマルコは、様々な人々の善意や悪意に揉まれながら、出会いと別れを繰り返す中で、様々な人生の断片に触れ、社会の裏側を垣間見、底辺で喘ぐ人々を知り、世の中を知ってゆく。
 インディオの少年パブロとの出会いは物語後半の要だ。町の残飯を漁って家族の腹を満たすパブロ。そんな暮らしにも明るさを失わない、野の花のように愛らしい少女フアナ。病気で生死の境をさまよう彼女に、貧しさ故に祈るしかなす術がない祖父や村人たち。医は仁術ならぬ医は算術である現実を思い知らされたマルコは、父の成そうとしていた事業の重要性を芯から理解する。
 やがて、辛苦の旅の果てに再会した母が、医術の力によって生命を救われる様を見たマルコは、将来医者となってアルゼンチンに戻り、貧しい人々のために尽くすことを決意する。
 探し求めた母との邂逅が、新たな、母からの旅立ちの第一歩となる鮮やかさ。父の事業の設定が一本の糸となって全編を貫き、様々に展開されて生かされ、結実する、骨太のドラマをここに見る思いだ。
 そしてそのマルコの決意は、長い旅の間に受けた様々な人の心尽くしに応えることになるのだ。(マルコの窮地を救ってくれたイタリアの星でフェデリコじいさんは言った。「いつかお前さんもどこかできっと今夜の恩返しをすることになる」と)。
 全52本、連続20時間余りの大長編として統一されたドラマを織り成し、それを存在感と現実感のある、目に見えるものとして画面に定着させるためのスタッフの努力は、結果としてアニメーションの可能性に挑戦し、その地平を広げる試みだった。彼らが成したこと(例えば日常性の重視、レイアウトシステムの普及、様々な画面処理の方法etc.)は蓄積され、継承されて日本のアニメ界へ浸透し、それを変化させてゆく礎となったのだ。
 もっと楽に作ろうとすれば、たとえば邦題から容易に想像される母恋物語、健気な少年の苦労話に仕立てることだって出来た筈なのだ。その方が視聴率的にも期待出来たろうが、敢えて安易な道を選ばず、毎週放映のスケジュールの重圧、決して発散されることのない地道な作業に押し潰されそうになりながらも、常に真摯に取り組み、大いなる、人間の物語を作り上げたスタッフ達の努力に敬意を表したい。
 ジェノバに帰還したマルコは父に言う。「素晴らしかったんだ、ぼくの旅」。再会を果した親子四人が街角に消えて行くラストの充実感。人が人として生きてゆくことの素晴らしさ。それは日常性の勝利であり、『三千里』は人間肯定の、人間賛歌なのである。
 最後に『三千里』が間接的に果した役割を付け加えるなら、それは、演出家宮崎駿の誕生だ。宮崎さんは『三千里』終了直後のインタビューでこう答えている。「アニメーションてのは欲求不満の時期が、こうずっと長く続くとね、爆発したりとんでもないもの作るんですよ」。
 ホルス・パンダコパンダ・ハイジ・三千里・赤毛のアン…を通して、日常の生活感と存在感を重視する作法を確立させ深化させていった高畑さんと、その最も重要で近しいパートナーとしてその演出方法を吸収しながら自らの志向を探り当て開花させていった宮崎さん。『三千里』の質を保つ要として自分の役割を完璧にこなしながらも、アルゼンチンの荒野を戦車の大群が驀進する様を夢想していたという宮崎さんの才能は、やがて、監督第一作『未来少年コナン』で爆発的に開花する。『三千里』での抑圧期が無かったら、或いは『コナン』の爆発は無かったかも知れないのである。
 後に『火垂るの墓』で人の生き死にを扱い、次回作『おもひでぽろぽろ』で更に新たな境地へ挑もうとしている高畑さんと、日本を代表する映画監督となった宮崎さん。日本有数の演出家である二人の原点の一つ、それが『三千里』であることは間違いない。

初出:『Vanda』3号(1991年7月、発行所MOON FLOWER Vanda編集部)

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