福岡市美術館の富野由悠季監督特別講演会レポート

去る6月20日(日)、福岡市美術館で開催の『高畑勲展』のイベント「富野由悠季、『赤毛のアン』を見ながら高畑勲を語る。」に参加してきた。
会場は1階ミュージアムホール、14時~16時。
これはイベントのお知らせ
https://www.fukuoka-art-museum.jp/event/14053/
当選葉書は入場の際に回収されてしまったので残念。コピーか写真を撮っておけば良かった。
ホール内は基本的に1席おき。階段状の客席と低めの舞台。
まず、富野監督が絵コンテを担当した『赤毛のアン』第8章『アン日曜学校へ行く』を上映した後、司会の男性と富野監督が壇上に登場。
富野監督はノーマスク。コロナ対策について「お上のやることだから民間人は従わなくてはいけない」と言いつつ、司会者にもマスクを外すよう促す。富野さんらしい。

トークの前半部分は市美の公式YouTubeなどで7月18日まで配信公開されていたが現在は削除されているようだ。とてもいいトークだったので残しておいてほしかったが残念だ。
富野さんがコンテで参加した高畑監督の『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』での日々を振り返って語る。
同三作に画面構成などで参加した宮崎駿氏への敵愾心を剥き出しにしつつも、高畑監督の功績を称え、それぞれのオープニング映像を元に『ハイジ』から『アン』への進化を体系的に捉え、高畑作品はみんな空を飛ぶと、宮崎作品のそれに比べてあまり語られない高畑作品の特徴を指摘してみせる。
以前、広島アニメフェスで虫プロ出身の監督たちが一同に介した時もそうだったけれど、直接の仕事相手が近くにいない分、地方では気分が開放的になるのだろう、滅多に聴けない話が飛び出す。この日も歯に衣着せない熱いトークが続いた。

私は富野さんが『アニメージュ』に連載中の人生相談が好きで、なんという真っ当な感覚を持った人だろうと驚きながら毎号愛読しているのだが、こういう真っ当な感覚の持ち主だからこそ、自己の作品ではあんな過激なことが出来るのだろうと思う。
この日のトークも表面は過激で過剰だけれど、実はすごくいいことを言っておられるし、本質を突いている。
先述のオープニングの話では、高畑監督について、『ハイジ』のオープニングのブランコに足場がなく、上がどうなっているかも分からない絵を平気で作ると指摘、『三千里』でも子どもが屋根の張り出し板に座っている絵を無神経と咎めつつ、『アン』のオープニングでアンが空を飛ぶために馬車を使ったことを「進化」と認め、仕事上の「親分」(発言のまま)の進化を「嬉しい」と素直に称える。
と同時に、馬車のアイディアは「嫌な名前を挙げると宮崎が発案者か」と敵対心を顕わにする。人間的でとても魅力的だ。
と思えば『ガンダム』の為に『アン』のコンテを途中降板するのが「ものすごく悔しかった」と心中を素直に語る。
『高畑展』の展示物になっている『アン』第8章のコンテで、高畑監督が富野さんのコンテを消しゴムで消して直していることについて、絵だけ直せば使えるコンテと自負心も見せる。
コンテ早切りの秘訣の一部を披露もするし、『三千里』の時の話で、シナリオのセリフの長さを質す富野さんに高畑監督が応えて、自分はこのライターを信用しているから、このライターの書いたセリフも信用しますと言ったという、『ホルス』以来の高畑監督と脚本の深沢一夫氏の絆を承知しているこちらにとっては胸が熱くなるようなエピソードも披露してくれる。
富野監督の高畑監督への思いは篤く、それは、手塚治虫の虫プロを原点とする自分たちには映画論がなく、東映動画育ちの高畑宮崎には映画論が基本にあるからという思いが大元にある。これは同じ虫プロ出の安彦良和さんも東映動画出身の人たちはアニメーターとしての基礎が違うと屈折した思いを常々明らかにしている。
そして、高畑監督が東大、宮崎駿が学習院出で、こういう人達が仕事をやっているのだからアニメは将来的に職業として成立するだろうという安心感があったと言う。
名作劇場に携わったことが『ガンダム』以降の基礎学力になったと言い、『ハイジ』で日常会話と日常描写でアニメが成立することを教えられたと語る。
確かに私も『ガンダム』の人間芝居には高畑演出の影響を感じるし、ことに牧歌的描写の多い『∀ガンダム』は直接名作劇場の香りがする。
『高畑展』を見て、映像というものがこれだけの広さを持てると教えてくれたと振り返り、影響を受ける気はなかったけれど高畑監督に師匠的に影響を受けていたと認め、素直に感謝の言葉を口にする。高畑監督の葬儀の際には鈴木プロデューサーと宮崎さんに高畑監督を師匠と思わせてくれと断りを入れたそうだ。
そこまでの尊敬を表わすが、なお、最初に『やぶにらみの暴君』にやられてしまったことに高畑監督の悲劇があると鋭い指摘を忘れず、ジブリでの晩年はつらかったろうと思いを寄せる。これは私も漠然と分かる、分かるけれど明確に言葉には出来ない。やはり同じ立場の監督同士、相通じるものがあるのだろう。
高畑監督の作品については「テレビ三部作」(『ハイジ』『三千里』『アン』)が高畑監督にとって一番いいものになっているとし、「ホルスは認めません!昔の子ども向け的な妥協があるから。あのキャラクターもキライだ」とバッサリ。『白蛇伝』もキライだそうで、理由は「とろいから」。「あのキャラクター」とはヒルダだろうか。
客席を見渡し、「業界を目指す人は二十歳までに死にもの狂いで勉強しろ!」と檄を飛ばし、「鬼滅を誉めるトミノにはなりたくありません!」と吠えた。
最後には晩年の手塚治虫が「おれ、絵が描けないんだよね、アイディアはバーゲンセールするほどあるのに」と言ったという思い出をしんみりと語り、「手塚、高畑、宮崎の三人を全部知っているのは自分だけかもしれない」とまとめてみせた。

実にいい講演会だった。
最後の質疑応答は、最初に立った人が、上映された第8章で、アンが持っている本が途中で消えたという作画ミスを指摘したもので、これだけのすごい話を聞きながら監督に訊きたいのがそんなことなのかと客席にいてガッカリしてしまった。
富野さんは、映画業界でこういう時は「笑え」というので笑ってください、「笑え!」と鮮やかに答えて場内を沸かせていてさすがだったけれど。
私も伺いたいことはあったが、出鼻を挫かれている間に質疑の時間は短く終わってしまった。

トークでひとつ気になったのは、展示されていた『ハイジ』のコンテが宮崎さんの絵で描かれているので、司会の方が宮崎さんが名前を出さずにコンテをやっていると解釈していたけれど、これはちょっと違うと思う。コンテは高畑さんで、宮崎さんはその清書をしているのだと思う。今の世界的映画監督・宮崎駿が認識の根底になっていると分からないだろうけれど、『ハイジ』当時は高畑監督の方が絶対的に上だった。こんなこと、客席から言うわけにもいかないので黙って聞いていたけれど。

講演会の配信公開分は前半部だそうだ。後半はメモを取っているけれど要点だけなので、全部そのままでなく編集してからでも良いので全編公開してもらえないだろうか。

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