エバーグリーンの宝箱『パンダコパンダ』

※同人誌『Vanda』17号(1995年3月発行)に寄稿した文章の再録です。文中の事項は当時のものになります。『Vanda』は(故)佐野邦彦氏と近藤恵氏が編集発行した同人誌です。

 『パンダコパンダ』が甦った。LD-BOXの発売、新装パッケージでのビデオレンタルの開始、そして書店には2冊の絵本。『パンコパ』のオールカラー絵本を作るのが夢だった私にはちょっとくやしくはあるのだけれど、とにかくこの状況は嬉しい。
 我が家の子供達がもっと小さかった頃、近所の子供を集めて『パンコパ』のビデオをかけるのは、本当に楽しいことだった。画面の中に丸ごとのめり込んで熱中する子供達。残念ながら封切当時既に大人になってしまっていた私は、そんな様子を見るたびに、もし子供の時に『パンコパ』と出会っていられたら、どんなに幸せだったろうと思う。
 だから、この文を読んでいる方で小さいお子さんをお持ちの方、或いは親戚でも何でもいいから、とにかく一人でも多くの子供に、この幸せを分け与えて欲しい。優れた絵本や童話と同様に、人には子供の時に出会っておくべき映画というものが必ず存在する。そして『パンコパ』は、その数少ないアニメーション映画なのだから。
 そんな『パンコパ』も実は偶然の産物だった。当時、労働条件の悪化していた東映動画に見切りをつけた高畑勲、小田部羊一、宮崎駿の三人は、一足先にAプロダクションに移籍していた大塚康生の元に新天地を求めて揃って移籍した。目的はリンドグレーンの児童文学『長靴下のピッピ』を新しい手法でアニメ化すること。新しい手法とはそれまでアニメーションでおざなりにされていた日常性を打ち出し、生活の中に潜む魅力を理想化してくっきりと取り出すこと。現在、一つのジャンルを築いている「名作もの」、そして一連の宮崎・高畑のアニメ映画へと続く、これは最初の足がかりだった。
 ストーリーやキャラクターが練られ、現地へロケハンにも行き、幾枚ものイメージボードが描かれ、製作準備は着々と進行していたが、結局、原作者の承諾が得られずに作業は中断。やり切れない思いで一杯の一同の前に新しいチャンスが訪れた。折から起こった熱狂的なパンダブームを当て込んでパンダを使った劇場用のアニメをという要請だった。一同はこれに飛びついた。キャラクターは世界一強い女の子ピッピを横滑りさせた、おさげの快活な女の子を主人公に、『ピッピ』で成し遂げる筈だった日常の中の魅力を盛り込んだ明るく楽しく本当に子供達に喜んでもらえる作品を。舞台は昭和30年代の日本が念頭におかれているが、どこか洋風でモダンな雰囲気があるのは『ピッピ』の名残だろう。そしてこの雰囲気ゆえに『パンコパ』はいつの時代にも色褪せず通用する魅力を持っている。
 こうして作られた『パンダコパンダ』は、メインスタッフの情熱と実力を中心に、作画に参加したAプロほか各社の若手アニメーター(近藤喜文・村田耕一・才田俊次ほか)、美術の福田尚朗(『雨ふりサーカス』では小林七郎)、撮影の清水達正、音楽の佐藤允彦、ほかの各スタッフと、パパンダ役の熊倉一雄、コパンダの太田淑子(『雨ふり』ではトラちゃんを担当)、ミミ子の杉山佳寿子(後にハイジを好演)といった声優陣の好演に支えられて、美しい画面と良質のユーモアを持った中編アニメとして完成した。後年、宮崎さんは映画作りの成功の要因として、天の時、地の利、人の和の三つを上げているが、この『パンコパ』はその三拍子揃った作品ということが出来る。『パンコパ』は一ヵ月弱、『雨ふり』は40日ほどで完成というが、製作期間の短さは少しも感じさせない。それだけバランスのいい作品ということだろう。
 余談だけれど東映映画でも『雨ふりサーカス』と同時期の昭和48年(1973年)に『パンダの大冒険』なる長編を作っている。内容は山奥のクマ王国のパンダ王子が王位争いに巻き込まれ…という、いかにもの物。同じパンダをキャラクターに使って両者の差は大きい。私は常々、日本のアニメ界の貧しさは、何かキャラクターを使って作品を作る時に悪者退治でなければ話が転がせないことだと思っているのだけれど、そうした要素が一切なしで、こんな素敵な話を二篇も創作する才能の非凡さには感服してしまう。
 さて『パンコパ』。まずオープニングが抜群に楽しい。水森亜土の舌ったらずの歌声に、沢山のパンダの行進。声の出演者の横にその配役の絵が描いてあるのも微笑ましく、いかにも子供の心に添って、これから楽しいことが始まるよというワクワク気分にあふれた秀作だ。
 ミミちゃんと子パンダのパンちゃん、大きな大きなパンダのパパ、パパンダの出会いは楽しい。おもちのように柔らかくゴムまりのように弾力のあるパンちゃん。ぬーぼーとして妙に理論家のパパンダ。(「なんとなら…なんでもない!」の大演説がいい)。声の熊倉一雄の好演怪演で実に味のある、いいキャラクターだ。原案の宮崎さん自身のお顔にもどことなく似ているパパンダは、後のトトロの原型だろう。
 三人で素敵なお茶会。嬉しい時には跳びはね、駆け回り、逆立ちをし、肉体的に喜びを表現するミミちゃん。直感力に優れ、機転のきくミミちゃん。何にでも興味を持って目を輝かせ、素敵なことを発見し、自分のものにしていくミミ子の生き方は本当に素敵だ。日常の中の魅力は何もせずに現れるものではなく、ミミ子のように、こちらから発見してゆけば、普通の日常が素敵なことに変わるのだ。
 余談だけれど、我が家の初めての子供が生まれる前、挨拶と名付けの相談を兼ねて、仲人の宮崎さん宅を訪れたことがある。その時、宮崎さんが即座に上げた名前が「ミミ子」。宮崎さんがどんなにこの子を気に入っていたかの何よりの証しといえる。(結局「ミミ子」はおあずけ。何故なら平仮名で書いた時、ごみみみこでは紛らわしい、片仮名でゴミミミコなら尚更だから)。
 その夜、おばあちゃんに手紙を書くミミ子。この場面の絵は本当に、本当に素敵だ。暖かみのある色調の背景にランプの光が丸い輪を作る。絶妙のバランスでレイアウトされた画面は、一枚の額にして飾っておきたい。
 一夜明ければ朝ごはん。お料理するミミ子の機敏さ。アニメならではの楽しさとはこれ!画面全体が生き生きと弾んでいるようだ。ミミ子の作った竹筒入りのお弁当の楽しさ美しさ。それまでのアニメでは食べ物がはっきりと描かれたことはなかったといっていい。丁度『ルパン三世』以前の自動車が固有の名を持った乗り物ではなく単なる「自動車」であったように、食卓は食べているという記号に過ぎなかった。食べ物をきちんと描くということは、つまり、生活を大切に見つめることにつながる。『パンコパ』はこの先駆けとなった。これには、自分でゆで卵を作り、食紅で染めてみたりするという宮崎さんの趣味(?)が大いに貢献しているのだろう。
 ミミ子の学校に付いて来たパンちゃんが給食室のカレーをかぶって大騒動になったり、ガキ大将にけしかけられた大きな犬を見事撃退したり(パンちゃんの怪力と石頭が愉快)、パンちゃんが迷子になったり、ミミ子の毎日は盛りだくさん。でも動物園を逃げ出して来ていたパンダ親子は見つかって動物園に帰ることに。満員のお客さんに鷹揚に手を振って応えるパパンダ。お客の中にルパンやオバQがいるのもムービー作品ならではのご愛敬。宮崎さんによると、宮城みたいな建物の横で歓声に応えるパパンダは宮中参賀の昭和天皇のイメージとか。批判精神と若いギャグ心が窺える。
 そして素敵な結末。これから見る人のために、ここだけはナイショ。でも、心がほわーっと暖まって膨らんで、本当に、本当に素敵。ラストシーンの美しさ、暖かさ。本当に子どものために作られた良質の作品の後味の極上さ。私は後の『となりのトトロ』よりも、この『パンコパ』の方が好きなのだ。
 第一作の好評を受けて翌春には続編『雨ふりサーカスの巻』が作られた。生活感が大きく出ていた前作よりもっと空想的な要素が増え、より童話的な仕上がりになっている。話はミミちゃんたちの家に怪しい二人組がやって来るところから。童話『三匹の熊』を下敷きにしたエピソードが楽しい。迷い込んできたサーカスのトラの子、トラちゃんと仲良しになるミミ子たち。サーカスの切符をもらってパパンダの巨大なスケーターで家に帰る三人。空模様は下り坂。ピアノの音色に、暗い雲が空を走る。このムードがたまらない。
 大嵐の一夜が明ければ、見渡す限りの大洪水に辺りは湖のよう。林は島に、庭先を魚が泳ぐ。朝ごはんは屋根の上。紅茶とクッキーの素敵な朝食。ああ、一度でいいからこうしてみたい。この場面に憧れをかき立てられない子供がいるでしょうか。子供の頃、高畑さんと宮崎さんは共に洪水の経験があるという。実際はきれいなものではないんですけどねと言いながら、その時の子供ならではのワクワクとした気持ちが、このお話の元になっているとか。洪水という困ったことも持ち前の明るさと活力で素敵なことに変えてしまう、マジックパワーの源だ。そして明るい笑いの中でそれを信じさせてくれる、それがマンガ映画の持つ力だ。
 水中のパパンダが見上げれば、水色に染まった世界。ぷか~りと浮かんで来ればシルエットがユラユラして楽しい。水を通して見ると世界がまるで違っていることに気づいて、目の前が開けたような気がしたという宮崎さん。ちょっと視点を変えれば見えて来る、もう一つの素敵な世界を支えるのは生き生きとした現実感。水中の台所で引出しを開けると空ビンと木のさじがフワフワと浮いていく。それは素敵な雰囲気をかもし出すと共に、これが、只の絵空事ではなく、重力と浮力の作用する現実世界が基盤になっていることを判らせてくれるのだ。そしてそれだから、見ている子供達は憧れをかき立てられ、更には自分もそこにいるような気持になれるのだ。ついでに、屋根から落ちたパパンダが上げる盛大な水しぶき。それは、一作目の、川にダイビングしたパパンダが上げる盛大な水柱と共に、子供の心を解放し、夢の世界に遊ぶ楽しさを実感させてくれる、素敵な合図なのだ。
 パパンダのベッドを船に、水浸しのサーカスを救助に向かう三人。家を後に進むベッドの船を水中から仰角で、まるで空を飛ぶかのようにとらえた構図は極上の夢のよう。日本映画史上に残るイマジネーションだろう。
 動物たちを乗せたサーカス列車はトラちゃんとパンちゃんのイタズラで暴走。水を潜り、森を抜け、町中を走り、この楽しさはもうマンガ。衝突寸前の機関車をスーパーマンよろしく空を飛んで立ちはだかり、ガッシと受け止めるパパンダの雄姿。普段ぬーぼーとしていても、前作同様いざという時に頼りになるパパはやっぱり最高だ。最後は町の人の歓迎とサーカスの晴姿で大団円。
 現在では、作品ごとに監督とプロデューサーとして補い合いながらも、監督として取り組む作品のテーマやカラーはすっかり分かれてしまった感のある高畑さんと宮崎さんが、二人、緊密に結びついて一つの作品を作り出していた輝かしい頃。コンビにとって蜜月といっていい、その充実感が画面を通して伝わって来る。
 大塚さんはテレコムで後進の指導に、小田部さんはゲーム業界へと、メインスタッフの道もそれぞれ違ってしまったけれど、二十数年の時を経た今も、そしてこれからも変わらず、子供と、子供の心を持った大人の目を輝かせ続ける、決して色褪せない、エバーグリーンの宝箱。それが2本の『パンダコパンダ』なのだ。本当に優れたマンガ映画は見る者を映画の中に解放し、幸せにしてくれる類い稀な力を持っている。そして『パンコパ』はその数少ない本物のマンガ映画なのだ。
 付記・今回の映像化にはオリジナルと微妙に違う点がある。小学校の授業で、先生が読んでいるのは『ちびくろさんぼ』。周知の通り、黒人差別に絡んで社会問題となり、出版元が絶版とした童話。実はこの問題が起きた時、一部ファンの間で『パンコパ』は大丈夫かという声が上がっていたのだが、今回の版は先生の声から「ちびくろさんぼ」「さんぼ」の部分をカットするという措置がとられた。絶版に関しては諸意見あるところだが、『パンコパ』自体の内容に直接関わるものではなし、この程度はやむを得ないところだろうか 。(もし教室の黒板に題名が大書されていたら、どうなっただろう?)

初出:『Vanda』17号(1995年3月、MOON FLOWER Vanda編集部 編集発行)
※文中のパンダブームとは、1972年9月の日中国交正常化を記念して中国から2頭のパンダ、カンカンとランランが贈られたのを受けて起こったもの。監督の高畑勲自身はブーム以前からパンダに注目し、ロンドン動物園のパンダの写真集も持っていたという。『パンダコパンダ』は1972年12月の公開。
※『ちびくろさんぼ』の社会問題とは、日本の市民団体「黒人差別をなくす会」などの抗議を受けて1980年代末に各出版社が『ちびくろさんぼ』を自主的に絶版措置としたもの。その後10年を経て少しずつ復刊の動きが起こり現在に至る。この原稿の『パンダコパンダ』商品はまだ微妙な時期の発売。

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