機動戦士ガンダム、ファーストガンダムのTV版と劇場版の違いと好きなシーン
45周年を迎えたガンダム。
記念すべき第一作「機動戦士ガンダム」
現在まで続く超ビッグコンテンツの祖となりました。
あまりに多くの人によって語られてきたガンダム。
だが自分も語りたい。
TV版と劇場版の違いについて感じたこと。
そしてTV版から改変された劇場版の好きなシーンについて語りたいと思います。
劇場版が長らく自分のガンダムの基礎となっていた
私のガンダムの記憶はほぼ劇場版で定着していました。
TV版は小学生の頃に観たのみです。
長らくテレビ版を観るにはハードルが有りました。
現在はアマプラやネトフリでガンダムのテレビ版を観ることができます。
動画配信サービスが一般化する以前は違います。
ガンダムのテレビ版を観るにはTSUTAYAでDVDを10枚以上借りる必要が有りました。
ライトガノタにはこれが障壁だったと思います。
テレビ版の良さに感動
ファーストガンダムは劇場版で記憶定着していた私ですが去年の夏コロナで休養したのをきっかけにテレビ版ガンダム通しで観ました。小学生以来です。
良かった・・・これは良い。劇場版よりテレビ版の方を推す人がいるのも理解しました。
尺の長さを生かして描写が丁寧です。
様々なキャラにフォーカスしており群像劇としてテレビ版は素晴らしい。
ほとんどの部分で劇場版の方がグレードアップしている思っていましたが認識を改めないといけないと感じました。
TV版と劇場版の方向性と雰囲気の違い
一言で済ますと子供向けテレビアニメと映画の違いになります
ガンダムはリアルロボットアニメの先駆者として巨大な存在となりました。
TV版にはまだまだ伝統的なロボットアニメのノリが残っています。
一番分かりやすいのはアムロです。
戦闘中はよく叫ぶ。声も高く少年ぽいです。
放映当時アムロは機械ヲタクで内向的な主人公とされていました。
しかしエヴァのシンジ君を通過した今の目から見ればアムロは闘争心や正義感もある子供向けアニメの主人公です。
対して劇場版はアムロの声色が落ち着き大人っぽい演技になりました。
作画も悟りの入った大人の表情をしています。
これは劇場版ⅠからⅢに進むにつれより顕著になります。
変形合体メカ毎週襲いくる敵メカ
TV版はGブルGファイター等合体メカが登場します。
尺つぶしでしょうか毎話合体シーンを繰り返しています。
また終盤はビグロザクレロビグザムブラウブロエルメスそしてジオングとモビルアーマーの連打してきます。
毎週違う敵メカが登場するロボットアニメです。
この辺りも劇場版でオミットされた部分です。
リュウとスレッガーの存在感の大幅低下
物語前半はリュウ、後半はスレッガー。
TV版は彼らがWBクルー達の良き兄貴分として活躍します。
彼らは劇場版で存在感が大きく低下しました。
TV版スレッガーはブライトと同階級でホワイトベースに加わりあからさまにブライトを値踏みするような態度を取ります。
ブライトも対抗意識をあからさまにします。
しかし劇場版のブライトは大尉となり中尉のスレッガーははっきり部下として位置付けられこの争いは完全に排除されました。
アムロとララア、シャアとセイラの物語を描くことで尺が精一杯だったという事情でしょう。
しかし結果として劇場版スレッガーはミライとのラブロマンスキャラの地位に転落?です。
劇場版においてWBにおける群像劇要素が薄まった大きな要因です。
ブライトの超人化
先のリュウとスレッガーの存在感低下が生み出したもの。
それは劇場版ブライトの超人化です。
ブライトは怒りっぽいが決断力のあるキャラクターです。
嫌われ役になるのを恐れず他人に指図できる。
リーダーの資質に恵まれた人間に見えます。
同時にTV版ブライトは苦悩する青年でもあります。
若く経験も浅い人間がいきなり艦長の大役を担うことになりました。
当然ながら苦悩し周囲に苛立ちをぶつけます。
そして疲弊する姿が描かれます。
このブライトの苦悩も劇場版で大きくカットされました。
TV版の人間味あるブライトに対して劇場版ブライトは悩むことも倒れることもない優秀な超人指揮官となっています。
ただしミライに対しての不器用な恋愛感情は補完されました。
劇場版IIIはミライを巡る三人の男(ブライト、スレッガー、カムラン)のエピソードはしっかり残っています。
ロマンス部分がより強調され劇場映画ぽいとも言えます。
最大の違い、ニュータイプ
そして大きな違いはニュータイプの扱いです。
TV版では終盤までニュータイプという単語が登場しません。
終盤になり突如ニュータイプの概念が登場し急速に回収されます。
対して劇場版は序盤のⅠからニュータイプが登場しⅢにおいてはストーリーの根幹を形成しています。
ところが劇場版ではニュータイプを肯定的に扱うだけでなく皮肉な目線が登場してきます。
まず劇場版Ⅰにおいてマチルダさんがニュータイプの概念を説明してくれます。
Ⅱにおいてはレビル将軍が「ニュータイプが人の革新なら我が軍にいても不思議ではないだろう」と部下に問いかけます。
しかしⅢにおいてレビル将軍は態度一変「ニュータイプ部隊は厭戦気分を打破するための宣伝」「統合能力者ではなく戦争などしなくていい人のことだ」とニュータイプに対し否定的。暗に戦争に必死な人類はニュータイプなんて代物ではないんだと述べています。
ニュータイプの希望を語っていたⅡから早くも失望のフェイズに到達しています。
ニュータイプはエスパーじゃない我々は戦争続ける愚か者だぞと語るレビル。
一方でニュータイプの存在を内心信じないギレンをキシリアは批判します。
ニュータイプを信じないものは頑迷であると批判する。一方でアムロすげーニュータイプすげーという単純な視点には冷や水かける。
なかなか皮肉な目線と思います。
劇場版Ⅲめぐりあい宇宙において大好きな改変シーン
ではめぐりあい宇宙でTV版から改変された大好きなシーンを紹介します。
サイド6においてアムロの車が溝にハマってシャアとララアに助けてもらうシーンです。
アムロはシャアを意識し動揺します。
礼もそこそこに焦って足早に立ち去ります。
シャアは訝りますがそこでララアがそこでシャアを茶化します。
「フフフ怯えていたんですよ大佐が赤い彗星の(少し強調)シャアだと分かって」
シャア一瞬ララアに茶化すなと一瞥するのですがでも赤い彗星のシャアの威光に満更でもない。
劇場版のシャアは人間味があります。ララアもシャアを茶化し二人の関係もより近い(意味深)表現がされています。
次にスレッガー戦死直後のWBのブリッジのシーンです。
ブライトは「誰だって死ぬんだよ」と吐き捨てその後静かに嗚咽します。
そしてミライはブリッジ横のエレベーターで号泣します。
ブライトも部下そして戦友を失った悲しみがある。
しかしあまりに激しく嘆き悲しむミライに対する苛立ちもある。
そんなにスレッガーを好きだったのかよという苛立ち。
戦争だぞ死を受け入れるしかないじゃないかという苛立ち。
それが煮詰まり一言「人は誰だって死ぬんだよ」と吐き捨てる。
胸に来ます。
シャアとギレンは何時決断したのか
シャアのキシリア殺害。ギレンの父殺し。
ガンダムの終盤において特に衝撃的な出来事ではないでしょうか。
劇場版には彼らが決断した瞬間があります。
決断は言い過ぎですがシャアとギレンの不愉快が劇場版はより強調されています。
ではシャアの決意の瞬間。
キシリアとシャアの素顔の対面シーンですね。
「お前の素性を知った時は流石に笑ったよ」
キシリアのシャアを褒めながらも小馬鹿にもしている発言。
ここでシャアはやはり許せんとなったのではないでしょうか。
TV版のキシリアとシャアの対面シーン。キシリアもここまで上から目線ではないしシャアを小馬鹿にもしていません。
次にギレンがデギンを始末しようと決意した瞬間。
「時代を読みきれなかった男でな、貴公はそのヒトラーの尻尾だな」
これに無言で足音を立て表情を変えるギレン。
時代を読めない男(ヒトラー)の格下(尻尾)と評されたわけです。
ここで決意したのでしょう。
TV版のギレンも同じことを言われました。ですがここまで露骨に不快感を示してはいません。
ガンダム再視聴するためのサポート
さて長々と語ってきました。
もしかしたらこの記事読んでガンダムまた観たくなった方いるかもしれません。
でもTV版43話と映画三本ちょっと億劫だなという方。
リアクション動画や感想動画と並走しながら観るのをオススメします。
私のオススメの動画はこちらです。
MOM団さんによるTV版の感想動画です。
素晴らしい動画シリーズです。
序盤はおそるおそるです。
ガルマ散るのあたりからどんどんノッてます。
後半にかけてオリジナルイラストや動画の編集もどんどんパワーアップ。
この動画と一緒にTVシリーズを見返して楽しかったです。
ヲタなもさんのリアクション動画も素晴らしいです。
こちらは劇場版です。
まじで鋭いんだよなあ。
上にあげた動画2つとも女性の反応動画なんですけど共通して人間関係の機微に繊細(そしてメカに興味がない)です。
更に読みが鋭い。
おそらく深夜アニメブームを通過してアニメのお約束や読解力が身についてるんじゃないでしょうか。
初見の若い人たちが夢中になるのをみるとガンダムが45年続くパワーが証明されていると感じるしうれしくなります。
さあみんなでファーストガンダムをもう一度観よう。
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