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参政党検証 VOL.2

【前文】

今回はデマ検証を主軸にお話を致します。まあ、小麦について、農薬について、医療について、あちこちで検証がなされているので、今回は持論を述べるというよりは単なるまとめ枠になるかと思います。

■除草剤 グリホサート(神谷宗幣)

参政党の演説でたびたび出てくるのが「農薬」です。
下記動画で神谷氏は「外国では認可されていないものが日本ではどんどん認可されている」と述べておられます。具体的に「グリホサート」「ラウンドアップ」という名称も出てきます。

動画のUPの日は6月下旬、まだ「候補者」だった頃ですね。国政政党になったのですから、今後は民間企業の具体的名称を出すことは減るのかもしれませんが…。

これには少し経緯の説明が必要かと思います。

グリホサートは「発がん性」が取りざたされる除草剤です。
これは2015年にWHOの下部組織である IARC(国際がん)研究機関がグリホサートをグループ2A(おそらくヒトに対して発がん性がある)に分類したのです。※IARCの分類はこちら


実はこれのみで判断してはいけません。続きがあります。
1. 殆どの研究機関は、グリホサートについて「問題なし」という見解。
(公的研究機関一覧はこちら
2. グリホサートが承認されている国は世界で150ヶ国以上あります。
(承認国一覧はこちら

2016年には、IARCの上位団体である世界保健機構(WHO)と世界農業機関(FAO)が共同で「グリホサートに発がん性はない」と発表しています。


ただ、IARCの2015年の発表を受けて米国では訴訟が相次ぎ、それが一大ビジネスになってしまっているようです。米国ではCMまで流れているようで。
このあたりの経緯はAGRIFACTに詳しく掲載されています。
興味のある方はグリホサート関連記事ご一読を。(民間ではありますが、公的ソースや論文を元に東大名誉教授の唐木先生や浅川先生が執筆や検証をしておられるサイトです)

神谷氏の発言に話を戻しますと、海外では使われていないという発言は事実ではなく、発がん性があるという発言も大多数の研究機関の結果をスルーして、危険性を訴えるソース(2015年)のみに立脚したものと言えるでしょう。

■がん(神谷宗幣)

がんは現代人なら避けて通れない病気です。ご自身が罹患しなくても、家族や周囲には必ず患者がいらっしゃる、もしくはいらっしゃったかと思います。「不安を煽る、闘病や死を想起させる」要素は他の病気より強いのでしょう、そこに付けこむビジネスなどもそこそこ存在します。

神谷氏は演説でこう述べました。
「だってがんは戦後にできた病気だから」
※いたにはいたけど殆どいないというExcuseはあります。

勿論、戦前からがんはありました。以下、戦前のがんで亡くなった著名人。

■岩倉具視 (明治16年)政治家
■岩崎弥太郎(明治18年)三菱財閥の創始者
■尾崎紅葉 (明治36年)小説家
■伊達政宗 (寛永13年)戦国武将
■武田信玄 (元亀04年)戦国武将 ※諸説あり
■徳川家康 (元和02年)戦国武将 ※諸説あり、天ぷら説等

探せば他にも色々出てくると思います。

がんの増加の原因には「長寿化。高齢化」があげられます。衛生状態が悪く、感染症が大流行した江戸時代などは高齢まで生きられない方が多かったのは想像に難くないかと。平均寿命も30~40歳位です。明治・大正期でも40~50歳との事。つまり「がんが発症する前に他の病気で亡くなった方が多い」と言えるのではないかと。

では死因の推移を見てみましょう。昔は結核や肺炎、脳血管疾患などが多かったのですが、医療の発展とともに「昔は治らなかった病気が治せるようになった」という事象もあります。

戦後の生活環境や食生活が変わったから、輸入の食品でがんが増えたというよりは下記の2点が要因と考えます。

1. 平均寿命は一気に延びた(以前はがん発症の前に死去していた)
2. 医療が発展し、かつて上位に位置していた病が治癒できるようになった

さて、ここで高齢化のお話のついでに「年齢調整死亡率」について記載します。聞きなれない方もいらっしゃると思うので引用。

もし人口構成が基準人口と同じだったら実現されたであろう死亡率のこと。異なる集団や時点などを比較するために用いられます。

がんは高齢になるほど死亡率が高くなるため、高齢者が多い集団は高齢者が少ない集団よりがんの粗死亡率が高くなります。そのため仮に2つの集団の粗死亡率に差があっても、その差が真の死亡率の差なのか、単に年齢構成の違いによる差なのか区別がつきません。そこで、年齢構成が異なる集団の間で死亡率を比較する場合や、同じ集団で死亡率の年次推移を見る場合にこの年齢調整死亡率が用いられます。

(c) 国立研究開発法人国立がん研究センター引用

https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/qa_words/word/nenreityouseisibouritu.html

ここで上記の年齢調整死亡率の推移を見てみますと、日本も減っているのがお分かりいただけるかと思います。

■小麦(吉野敏明)

「埼玉県がうどん県になった。香川県がうどん県になった。それいつからあったんですか?戦後ですよ。広島のお好み焼きも戦後です。大阪の粉もの文化も全部戦後です」

さて、色んな所で検証されていますが、小麦は昔から日本でも使われていました。言うまでもないですけど、GHQなど存在しない頃からです。

さぬき麺業さんのサイトを見てみましょう。

讃岐うどんの歴史は、讃岐が生んだ弘法大師空海が、遠く中国から持ち帰ったのが始まりと伝えられています。
空海は延暦804年31歳の時入唐。1年あまり長安に滞在して806年帰国しました。そのとき、持ち帰ったのが「うどん製法」「小麦」「唐菓子」のいずれかであったと言われています。
以来、讃岐ではうどん作りが盛んになり約300年前からの江戸の元禄時代の頃、狩野休円清信が「金毘羅祭礼図」(屏風一双)に3軒のうどん屋が描かれており、早くも金毘羅さんで「うどん屋」が現れたことを証明されます。

さぬき麺業

農林水産省からは2つ。大阪、広島のお好み焼きです。

広島のお好み焼きは確かに戦後広まってはいますが、大阪では古くから親しまれていたようです。

【大阪】
そのルーツは、安土桃山時代に千利休が催した茶会に供された「フノヤキ(麩の焼)」という茶菓子だといわれる。フノヤキは、水で溶いた小麦粉を銅板に伸ばして薄く焼き、味噌を塗って巻いたり、クレープ状にたたんだりしたものだった。江戸時代末期には、溶いた小麦粉を鉄板などで焼いて食する習慣が庶民の間にも広まった。明治時代後期にはメリケン粉、キャベツ、ソースを使った「洋食焼」が登場する。これは手軽に食べられる駄菓子のようなものであったが、やがて具材に豚肉やたっぷりの野菜を使うなど各店舗が工夫を凝らし、お好み焼きとして進化していった。

農林水産省

【広島】
発祥は、戦前に食べられていた「一銭洋食」とされ、戦後に空腹をしのぐ食べ物として、お好み焼に形を変えていった。当時、広島は鉄を扱う工場が多く、鉄板が比較的手に入りやすかったことからお好み焼屋が増えたと考えられる。昭和30年代には、住宅の一部を改装した店舗が増えたり、麺や豚肉を加えたりするようになり、お好み焼の普及が進んだ。その後、昭和50年代の広島カープ優勝の頃からガイドブックなどにも掲載されるようになり、全国的に名が広まった。

農林水産省


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