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マイナー厨って何考えてるの???マイナーオタクが自ら分析!

今回はTwitterで絶賛話題沸騰中の時事ネタについて。


僕は自分の好きなことについて書くことを目的としているので、時事ネタばかり擦っていると本来の目的を果たせなくなってしまう。


でも、せっかくSNSで色々な人の考えに触れることができる機会なので、ポケモン界隈の論争に首を突っ込むのも悪くないか、と思い筆を執る(言葉の綾ですね)。


今回の論争の議題は

「なぜマイナー好きはメジャーポケモンを毛嫌いするのか?」

である。


事の発端は、ポケモン対戦において強者であり、実は僕のことをフォローしてくれている、かっしーさんという有名な方のこのツイートである。



ポケモン対戦をやっていない読者の方のために、かっしーさんについて僕の印象を話しておく。


かっしーさんはレート2000を複数回達成しているポケモン強者である。年齢とか性別とか住んでいる場所とか、カレー好きなのかはたまたラーメン好きなのか、犬派なのか猫派なのか、個人的なことは全然知らない。


せっかく強い人がポケモン弱者をフォローしてくれているのに、ネット上ですら人見知りを発揮している僕は、当然のことながらかっしーさんとの絡みもほとんどない。何なら、向こうは僕のことをフォローしていることすら覚えていなかったとしても、まったく不思議ではない。


そんなわけで、かっしーさんについてはTwitter上での印象でしか語れないが、ポケモン対戦が好きで、ネタツイ多め、そして、よく燃える方である。


対戦に対する熱量もすごいのだが、今回のように人の痛いところを突く絶妙な呟きで、”炎上”しているところをたまに見かける。本人にとってはたまったものではないのかもしれないけど、僕にとっては対岸の火事みたいなもので、側から見ている分には面白いと思わなくもない。

対岸の火事、野次馬根性


そういうわけで、かっしーさんにはファンも多いけれど”アンチ”も多いみたいだ。太宰治の家に詰めかける前衛的な文学青年よろしく、質問箱には毎日のようにお客様が訪れているようだ。


余談だけど、僕もかっしーさんや他の方を見て、面白そうだなと思って作って質問箱を作ってみた。でも未だに1件も質問が来ていない。やはり強いというのは偉大である。


僕もTwitter上で論争に加わればいいのだけど、いかんせん対戦においてはなんの実績もないため説得力がないし、自分から絡んでいくのは苦手だし、何より超ド級の長文体質なので、140文字ではとても言いたいことをまとめられない。要するに、弱者で頭が悪いクソ陰キャなのである。


そんなわけで、今回も直接論争には加わらず、こんなところでぶつぶつと自分の考えをまとめていこうと思う。


テーマ:マイナー厨はなぜ強ポケを嫌うのか?


かっしーさんをはじめとする強者の方々の言い分を要約すると、だいたい次のようになる。



1.好きなポケモンを使うことを楽しみとすること自体はプレイスタイルの1つとして理解できる

2.マイナーポケモンを使って結果を残している強者に憧れるのもわかる

3.マイナーポケモンを使っていることを勝てない言い訳にするのはわからない

4.はじめからマイナーポケモンで勝てないのなら、まずはメジャーポケモンで勝てるようになってから、改めてマイナーポケモンを使えばいいのでは?


かっしーさんのような強者の方々は、勝つことに楽しみや達成感を感じ、自らの実力を高めることを目的に対戦をやっているのである。


これには多くの人が理解を示すことだろう。スポーツでもそうだけれど、実力が拮抗した強者同士のハイレベルな戦いは、アマチュア底辺プレイヤーの僕が観戦していてもワクワクする。複雑なサイクルの回し方や、相手の強固なサイクルを崩そうとするプレイングは、僕の理解の及ばないこともあるけれど、それでも見ていて面白いし、弱者なりに勉強させて頂いている。そういう熱い試合を見せてもらえることに対しては、感謝しているくらいである。


一方で、世の中には色んな考えや価値観を持った人がいて、勝てなくても自分の好きなポケモンを使いたいという人もいる。


仕事をやっとの思いで抜け出して、上司に小言を言われながらも1日頑張った自分を労うために「さあ、今日もランクバトルやるぞ!」という社会人もいる。


あるいは、これから始まるストレスフルで長い1日を前に「景気づけに朝ランやるぞ」と仕事前に対戦で汗をかく社会人もいる(学生のことはよくわからないです、すみません)。


僕はこういう人たちのことを、親しみをこめて勝手に”草ポケモン勢”と呼んでいる。野球にもプロ野球から草野球まで存在するように、ポケモン対戦にも多種多様な競技レベルがある。


僕は草ポケモン協会(在籍者1名)の会長として、アマチュア(ポケモンで収入を得ているかではなく、プレイスタイルから判断して)の権利は守らなければいけない。同じ対価を払ってゲームを購入しているのだから、ルール違反をしたり、あまりにもマナーに外れた言動で他人の権利を侵害しない限りは、いかなるプレイヤーも自由にプレイする権利がある。


誤解のないように言っておくと、強者の方々は決してマイナー使いや草ポケモン勢を否定しているわけではない。楽しみ方は人それぞれである、ということに十分に理解を示し、肯定している人がほとんどである。ひとりだけ「いや、ゲームは勝ってこそなんぼや」と言っている方も見たけれど、それだって立派な価値観であるから、他人にとやかく言われる筋合いはない。


今回議論になっているのは「勝ちたいけどメジャーなポケモンを使うのはいやだ」というプレイヤーについてである。


というよりも、「メジャーポケモンを使って強いのは当たり前だ。そんなことに意味はない。マイナーポケモンを使って勝ててこそ真の強者である」という、いささか過激な主張をするプレイヤーについてである。


僕の好きな作品なので何度も引き合いに出すけど、政治に右と左が存在するように、この世界のあらゆる事象には、ほぼ必ず対になる2極が存在する。ブラックな考えがあれば、当然それとは逆のホワイトな考えもある。多くの人は、完全な黒や白ではなく、何となく黒寄りとか、どちらかと言えば白かな、といった具合で、どちらかの極に振り切ることのない価値観を持っている。


「マイナー原理主義者」の思考

しかし、世の中にはどうしても白黒はっきりつけないと気が済まない方もいらっしゃって、一般的にそういう極端な思想を持つ人は「原理主義者」と呼ばれる。「原理主義者」の特徴は、ある考え方を絶対的に正しいと信じ込むだけでなく、往々にして自分と考えの異なる他者に押し付けなければ気が済まない、ということである。


それを踏まえて、僕はここで逆張りマイナー使いのことを「マイナー原理主義者」と呼ばせてもらう。


マイナー原理主義者は「マイナーポケモンを使うことは善であり、メジャーポケモンを使うことは悪である」という極端な信条を抱いている、と定義しよう(現実にそのような人物が存在しているかは知らない。あくまで話を進めるための仮説として、フィクショナルな人物としてのマイナー原理主義者を登場させる)。


マイナー原理主義者たちは、決して非合理的な振る舞いをしているわけではない。むしろ強者の方々と同様に、合理的な思考を経て「強いポケモンで勝って何が楽しい?」と宣うのである。


問題の所在は、その合理性が「一般合理性」であるか「部分合理性」であるかの違いにある。


僕は歴史が大の苦手で、もしかすると誤った情報を書いてしまうかもれないけれど、あえて第2次世界大戦における日本軍について触れる。


当時の日本軍の上層部は、アメリカと戦争をしても到底勝ち目がないことを理解していたにも関わらず、太平洋戦争へと踏み切り、国家滅亡の寸前まで突き進む。


客観的な視点から考えれば、戦況が好転する余地がないと判断した時点で講和条約を結び、被害を最小限に抑えるのが最適解である。若い世代を国に残し、復興の力を温存しなければならない。


ところが、ご存じの通り日本軍は原子爆弾の破壊力を目にするまで降参せず、終戦間際まで多くの若者を戦地に送り込んだ。


勝ち目がなくなったにも関わらず(あるいは勝ち目がなくなったからこそ、かもしれないが)”特攻”と称して敵陣に突入させた。その結果、戦後の復興を支える若い世代を大量に失うことになった。


ポケモンに例えるなら、BO3の1,2戦目において負けが濃厚で、次戦に備えて情報をなるべく隠すべき場合に、悪あがきをして余分な情報を相手に献上するような愚行である。


合理性の二分類

後世の人々からすると、日本軍のとった行動は不合理極まりなく映る。ところが、実は日本軍の振る舞いは合理的であった、という主張をした学者がいる。たいへん申し訳ないことに、実はこの本は立ち読みした本で、あろうことか名前を忘れてしまった。今度書店で探しておきます。


彼の主張をかいつまんで説明すると、日本軍は一般的合理性の観点からすると非合理であるが、部分的合理性という観点からするとたいへん合理的である、ということだ。


一般的合理性とは、言い換えるなら長期的な視点及び全体の利益から、とるべきアプローチを選択する論理性のことである。


一方で、部分的合理性とは、短期的な視点あるいは一部の人間の利害から導き出される論理のことを示す。


ものすごく簡単に言うと、長い目で見て一番良いと思われる答えを探すのが一般的合理性であり、とりあえず目先の問題を最優先に対応しようとするのが部分的合理性である、と思ってもらえば良い。


日本という国全体やその後の歴史を考慮すれば、日本軍はある時点で講和条約を締結するべきであった。これが、一般的合理性から導き出される最適解である。


しかし、一度始めた戦争をやめてしまえば、それまで投入したコストはすべて無に帰することになるし、戦争に負ければ誰かが責任を取らねばならない。真っ先に責任を問われるのは、間違いなく軍の上層部や政治家である。最悪の場合は、死を迫られるであろう。


軍の上層部や政治家が戦争責任を免れる方法がある。戦争を続けることだ。戦争が続いている限り負けたことにはならず、戦争責任を問われることもない。極限まで突き進めば、日本国民全員が戦死し、国が滅びてしまえば、彼らは少なくとも日本国民からは戦争責任を問われなくて済む。なんだかおかしな話だけど、論理的にはそういうことになる。


そういう意味で、軍の上層部は、自らの保身という観点からすると、非常に合理的な選択を行っていると言える。これは部分的合理性に基づく結論である。


国家の存亡という大きな合理性よりも、自身の保身という小さな合理性優先した結果が、かの世界大戦であった、というのが結論である。


歴史の話はそれこそ僕が”炎上”しかねないので、あまりするべきではないのだろうけど、「マイナー原理主義者」の思考を読み取るうえで役に立つと思ったので、長々と記述した。


マイナー原理主義の行き着く先

マイナー原理主義者は「勝ちたい=上位の結果を出したい」という欲求と「マイナーポケモンを使うべきである」という自らの信条とが複雑に入り混じってジレンマに陥った、ややこしい心理状態にある。


これは「国民を思えば戦争をやめなければならない」と頭ではわかっていながら「自分や家族の身も守らなければいけない」という、国家と保身の間に板挟みにされた日本軍上層部と、心理構造上において幾らか重なるものがあるように思われる。


一般的合理性、つまり長い目で考えるならば、まずはメジャーなポケモンで結果を残し、その長所や欠点をつぶさに研究したうえで、それに対してマイナーポケモンをどのように生かせるかを考える、というルートを選択するべきである。


しかし、マイナー原理主義者にとっては「マイナーポケモンを使うこと」こそが善である。どれほど勝ちたくてもメジャーポケモンを使うことは許されない。


だが、マイナーポケモンで勝ち上がるというのは、並大抵のことではない。「勝ちたい」と「マイナーを使いたい」を共に両立することは、途方もない努力を要する。


結果を出すことができないマイナー原理主義者に求められる選択は、自らの力不足を認めてより一層の努力をすることがまず1つ。それからもう一つは、メジャーポケモンを使って結果を残すプレイヤーを否定することである。


「マイナーポケモンを使うべき」は皆が等しく守るべき戒律であり、彼が勝てないのは掟を破って強いポケモンを使う卑怯なプレイヤーが存在するからである。


実力不足を認識することを拒むマイナー原理主義者が、自身の正当性を維持するために残された道は「強いポケモンを使って勝つのは当たり前」「厨パで勝って何が楽しい?」と嘯くことだけである。


なんだかややこしい話をしてしまったけど、僕自身も原理主義まではいかないけど、メジャーポケモンをあまり使わない。パスタを咥えたわんわんや、30%運ゲー鳥や、四つん這い威嚇おじさんを自分で使ってみたこともあるけれど、どうしてもウマが合わないというか、あんまり仲良くなれなかった。


僕が好きなのは、グレイシアやラティアスやアシレーヌみたいな見た目麗しく美しいポケモンたちであり、いかにも戦闘民族みたいな強面をしたポケモンは、僕のストライクゾーンにかすりもしないみたいだ。


みんなが可愛いポケモンを使えば世界は平和になる


言いわけして良いわけ?


最後に、「マイナーポケモンを勝てないことの言い訳にするな」という主張に反論して終わりにする。


僕のような精神的に未熟な人間は往々にして、何かしらの言い訳を用意しておかなければ平穏を保てないのである。


かっしーさんの質問箱にもあったけど、テストの前になると「おれ勉強全然してないから」と言うあれと同じである。保険をかけているのだ。


僕は少年時代に「プロ野球スピリッツ」という野球ゲームにはまったのだが、うまくいかないことがあるとしょっちゅうコントローラーを床に叩きつけていた。それでスティックが動作不良を起こしてしまい、「これはいかん」と思ったものの、まったく感情を制御できるようにならず、同じことを繰り返してしまうので、仕方なく愛犬のもふもふでやわらかいクッションを借りてきて、腹が立ったらそれに向かって投げつけるようにしていた。


つまりですね、人間である以上負ければ腹も立つし、自分の思うようにならないと何かに八つ当たりしたくなるものである。


だから、前にもどこかの記事で書いたけど、罪を憎んで人を憎まずというか、相手のプレイヤーを責めるのではなく、3連続麻痺や交代際絶対零度という、事象そのものに対して文句を言うようにすればいいのではないかと、僕は提案したい。悪いのはマルチスケイルというチート特性を持ったルギアであり、ダークオーラでバカみたいな火力を出すイベルタルであり、パスタですべてを粉砕するザシアンなのである。

強すぎるリヴァイに負け続けるジークの気持ちわかる


いや、きっと世の中にはルギアやイベルタルやザシワンが対戦とは関係なく好きな人もいて、その人たちが気分を害してしまうのはよろしくない(僕もこの3匹は好き寄り)。やはり八つ当たりするにしても、なるべくなら人を不快にするようなことはしたくない。


ここまで書いてきて、なんだかもう面倒くさくなってきた。やっぱり時事ネタについて何かを書くというのは、僕にはあまり向いていない。論理はとっちらかって刃先は鈍るし、何より書いていてあまり楽しいという気持ちにならない。


人間の知性というのは、好きなものについて語っているときにこそ活性化されるものであり、僕には批評という行為自体に適性がないように思う。人は須らく、愛するグレイシアや大好きなコトネちゃんについて書くべきなのだ。


可愛いは正義


というわけで全然まとまりがなくなったけど、結論としては、腹が立ったら某有名実況者のように「マスダさああああああああん!!!!」と叫ぶのがいいのではないか、ということにして、筆をおくことにする。


時事ネタを擦るのは疲れるからしばらくやらない予定。オオタニさんのことや色違い厳選もそのうちちゃんと書きます。


追記:増田さん、新作スカーレット・バイオレット楽しみに待っています!

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