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発売前を楽しむレジェンズZ-A④ストーリーはきっとこうなる、たぶん。

ジガルデが見守る「秩序」とは何か?


本日のお題は「ポケモンレジェンズZ-Aの物語はどういうものになるのか?」でございます。



近頃は「私は東大に2度も落ちたプロです!」と、わたしゃいったいいつの話をしているんだと溜め息が漏れるような記事ばかり書いていて、ポケモン関連はご無沙汰しておりました。
あのですね、東大不合格体験記が思ったより売れて調子に乗っておられるのです(笑)。


というのは、半分は冗談でして(後の半分は…?)、ありがたいことに何やらあの記事のおかげでフォロワーのみなのものが増えてしまい、お受験のお話もしないと悪いな、といった思いもあるのでございますから、ポケモンの記事を楽しみにフォローして頂いている方はどうかご容赦くださいまし。


で、本題、レジェンズZ-Aのストーリーはどうなるのか大予想。
いつもの通り、私の推論はあっちこっち飛ぶことになるので、読者のみなのものは混乱するかもしれない。
だけども、この言葉だけ頭に入れておけば、きっと大丈夫(何が?)。


秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。


これは生化学者であるルドルフ・シェーンハイマーの言葉。


秩序? そう、あのポケモンしかいない。
本作の主人公、図鑑上で「秩序ポケモン」と称される、ジガルデだ。


生化学における「秩序とは何か?」という答えに対して、シェーンハイマーが提唱した「動的平衡(dynamic state)」という概念こそが、ゲームフリークのレジェンズ制作者たちが挑むキー概念になるはずなのだ(知らないけど)。


ジガルデは「秩序を監視して」おり、つまりは秩序が崩壊する、あるいは崩壊の予兆を見せたときに現れるはずだ。
このことから、Z-Aのストーリーを予想するには、私たちはゲームフリークが考える「秩序」とは何かを推察しなければならず(ですよね?)、その答えはシェーンハイマーの言葉に関わるはずだ、というのが私の結論でございます。


話が難しくなってきたので、とにかく先に進もう。


※お得な掲示板「ポケモンライターは今のうちにZ-Aの記事を書こう!」


本題の前に、少しだけ読者にお得な情報。
ポケモンにも昔はありましたよね、お得な掲示板、あれの真似。


今のうちにレジェンズZ-Aの記事を書くと、あなたの記事が読まれる確率がうんと高くなります!(←うさんくさいなあ?)
その証拠に、今、グーグル先生に「レジェンズZ-A」と囁きかけると、私のブログ記事がかなり上位に表示されます(本当に?!…ほんとだ!!!)。


理由は簡単で、他の人が記事を書いていないから(笑)。ぶるーおーしゃんっていうあれです。
なにしろ、Z-Aについてはほとんど情報が公開されておらず、大手ポケモン攻略記事サイトは手のつけようがない状態なのです(=大手は真偽不明の情報を流すわけにはいかない)。


このアカウントは現在SNSでの宣伝活動0なのですが、Z-Aに関する初回記事の閲覧数は400回を超え(徐々に伸びてきた)、それはまさに「知らないうちにSEO対策しちゃってた」おかげ。


ポケモンライターのみなのもの、Z-Aを書くなら今しかない。
情報公開が進むにつれて個人の記事は資金力のある大手サイトの記事に埋れ、ゲームが発売されてしまえば、小さな個人の記事がGoogle検索の上位に浮かび上がることはもう絶望的だ。


検索ワード「レジェンズZ-A」は、今はまだ少数でも、情報公開がなされるごとに増加していくはずだ。
ポケモンという巨大コンテンツにおいて、まさに「青田買い」のチャンスが到来しているのではなかろうか(知らないけど)。


え、黙っておけば、私が独占できたのに、って?
あのお、あんまりSEO対策とか興味ないんです(笑)独占なんてしなくていいです。


それよりも、私としては「レジェンズZ-Aの記事、全然ないのね…」と寂しいのです。予想とか予測で盛り上がれるのは、答え合わせをする前だけなのに。


それから、せっかくなら世のポケモンライターのみなのものが、もっと注目されてほしい、という思いもある。
noteではポケモンについて個人で面白いことを書いている人がたくさんいるのだけども、やはり大きな組織の力(=資金力)には敵わないので、検索エンジンの上位を狙うのは困難であり、日の目を浴びない人が多いのではないだろうか。


そんなわけで、私は千載一遇のチャンスを棒に振ってでも、みなのものにもZ-Aの記事を書いてもらえると嬉しいのでございます、うへへ。



ストーリー構成やいかに?


基本構図は「x vs y→X vs Y」


ストーリー構成に関しては、直近の2作品SVおよびレジェンズアルセウスの路線を引き継ぐものと思われる。
つまり、「2つの異なる集団が互いの理想・論理を主張し合い対立するものの、物語が進むにつれて和解・共存へと舵を切る」という構成。


おさらいしておくと、ポケモン本編の物語構成はこのように変遷を辿っている。

第1期 赤・緑、金・銀・クリスタル
=反社会的組織(ロケット団)の制圧

第2期 ルビー・サファイア、ダイヤモンド・パール、X・Y、サン・ムーン、ソード・シールド
=ボスの理想を追い求めすぎた結果、暴走する組織の制圧

第3期 レジェンズアルセウス、スカーレット・バイオレット
=主張の異なる2集団(シンジュ団&コンゴウ団、学校&スター団)を和解と共存へと導く


第1期、つまりロケット団制圧の時代は、「主人公=正義が、反社会勢力=ロケット団を駆逐して平和を取り戻す」という勧善懲悪型の単純明快なストーリー。


この路線を大幅に転換したのが第2期、つまり「善や理想を追い求めていたのに過激化してしまった組織の暴走を止める」という構成。
リーダーの掲げた思想や信条がどれだけ美しく正しいものではあっても、世の中にはなかなか理解されないので、やがて組織が原理主義に走ってしまい、主人公がそれに歯止めをかけるという、ちょっと捻ったストーリー。


さて、第3期のストーリーだけども、実は私は故意にある作品を飛ばしている。
お気づきの通り、ブラック・ホワイトである(この人BW好きですね〜って声が聞こえてくる…)。


BWに出てくるのはプラズマ団という、まさに過激派を絵に描いたような組織で、「ポケモンに自由を!」と口にしながらも、それはあくまで建前でしかなく、本音では自分たちが世界を支配するという野望を抱いている。


この作品においては、「主人公VS組織」という単純な旋律の下に、「世界は黒か白かはっきりできるものではない」という通奏低音が鳴り響いている。
その「現実の曖昧さ」に翻弄される象徴的人物がNなのだけども、それについては別記事をお読みくださいませ。


肝心なことは「世界は人間が思うよりも、白黒つけ難く曖昧なもの」というモチーフが、X・Y以降は一旦伏流して身を潜めたものの、レジェンズアルセウスにて再び主題として扱われるようになったことだ。


たった2作品で「多様性を認めること」という難解な主題に対する答えを出せる、とは製作陣は考えていないはずだ。
むしろZ-Aにてより洗練された形で、「生活・文化・価値観……様々なものを異にする人間やポケモンたちは、どのようにして共存しうるのか?」を問いかけてくると、私は予想している。


X団とY団の正体


作業仮説として、Z-Aに登場するであろう2つの対立組織をそれぞれ「X団」「Y団」としよう。


もちろん、X団もY団も、それぞれ伝説のポケモンにまつわる思想を掲げることになり、私たちはゼルネアスとイベルタルについて考察するべきだろう。


ゼルネアス=生命ポケモン。生命力と再生を司る。他の者に生命力を分け与え不死にすることもある。

イベルタル=破壊ポケモン。生態系の死と破壊を司る。あらゆる生き物の生命力を吸い尽くす。


ふむ。言い換えるならばゼルネアスは「生」を司り、イベルタルは「死」を司る……それで?


ここでZ-Aのトレーラーを思い出してほしい。
本作では「都市=ミアレシティの再開発」が掲げられていたはずだ。


”再”開発ということは、今すでに何かがあって、それを「一旦壊して」「もう一度新しいものを作り直す」ことに他ならない。
ここから、X団とY団の思想・信条を推測できそうではないか?


その前に、ゼルネアスとイベルタルについて、その性能を言い換えておこう。


ゼルネアスが司る「生」を新たに「生成」と表記し、イベルタルが司る「死」を「分解」と改める。
その意図は「生成と分解」という相反しながらも補完し合う概念を前面に押し出すためだ。


例をあげよう。
私たちの身体は新たな細胞が「生成」される一方で、絶えず古い細胞が「分解」されることで維持されている。皮膚において新しい細胞と古い細胞が入れ替わるように。


仮に細胞の分解(劣化)速度が生成(修復)速度よりも早かったら?
私たちが歳をとるのはまさにそういうことだ。分解が生成を追い越してしまう時、生物は死へと歩みを早めていることになる。

さあ、X団とY団の主張を推測しよう。


X団は「生成」つまり「生きているもの・今あるものを維持すること」を主訴とする。
おそらくは「環境保護団体」に近い、生物への配慮を訴えている。都市開発は既存の生態系や自然への影響を踏まえて行われるべき(あるいは中止すべき)だ、的な。



一方で、Y団は「分解」すなわち「生きているもの・今あるものを壊すこと」を主張する。
たぶん、「都市をポケモンにも住みやすいものに作り変えるのであって、私たちは自然や生態系を破壊しないように十分に配慮しています」的なことを言う。


都市再開発構想において、現状維持や環境保護を唱える反対派がX団であり、現状打破と自然と調和した都市開発を主張するY団が推進派となることで、両者の対立を軸にストーリーが展開される、というのが私の予想である。


ジガルデの出る幕はあるのか?


さて、私は「ミアレシティの再開発の賛否をめぐって物語が繰り広げられる」と結論した。
ここからさらに、本作の主人公であるジガルデがどのように絡むのかを予想してみよう。


読者のみなのものは、ルドルフ・シェーンハイマの言葉を覚えているだろうか?


秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。


私たちの体内では新しい細胞が誕生する一方で、古い細胞は崩壊して追い出されていく。
この「生成」と「分解」が均衡している状態を「秩序」と呼ぶならば(呼んでください)、「秩序」とは「動的」な「均衡」状態を意味することになる。


秩序、というと、どうしても「すべてがかっちりとはまって動きのない、安定した状態」をイメージしてしまう。
パズルのピースがピッタリと枠に収まったみたいな、揺らぎのない完成。


それは違うぞ、と言ったのがシェーンハイマー先生。
生命体において「秩序」が保たれた状態というのは、異なる物質や現象が互いに独自の動きや働きを持ちながらも、揺らめきの最中でバランスをとっていることを意味する。


生物においては「生成」と「分解」の速度が釣り合っていること、つまり「身体の再生が破壊をわずかに追い越している」状態が続く限り、死は訪れない。
たとえば交通事故で大きな損傷を負うと(急激かつ過度な分解)、一時的に細胞の再生が間に合わなくなって止血できず(生成が追いつかない)、その結果として死に至ることになる。


私たちは「秩序」や「安定」というものを「静止」や「不動」と結びつけて考える傾向がある。
ところが、実際の安定とは、2つ以上の力が拮抗しあった状態、動きの中で生じる均衡を指す。



ラグビーのスクラムがそうですよね? レフェリーが「スタビリティ!(安定)」と声をかけるように、両チームが真っ向から互いに押し合う「動的な状態」によって「静的な均衡=秩序」が成立するという逆説。


もっと卑近な例を出すならば、自転車は速度0では倒れてしまう。止まったままの自転車に乗れるのは曲芸師だけだ。
ゆっくり走るよりも、ある程度のスピードを出していた方が、すなわち「動いている方が」安定するはず(ただし、早すぎると制御が効かなくなることも忘れてはならない)。


つまり、ジガルデが登場するのは、スクラムにおいてどちらかのチームが著しく力負けする時、自転車が静止するか暴走する時。
要するにX団かY団のどちらかが圧倒的優勢or劣勢に立たされ、都市再開発事業が「環境や生態系を脅かす場合」ということになる。


近年のストーリーから鑑みるに、組織のトップは割と穏やかで、X団とY団の上層部は定期的に「都市再開発会議」的な話し合いの場を設けているのではないかと思う。



ところが、組織の末端付近に「上層部は生ぬるい、妥協している!」と誤解して、「ボスに代わって自分がゼルネアス(イベルタル)を目覚めさせ、都市再開発を一気に止める(促進)する!」みたいなことを言い出す人物がいて、そこから話がややこしくなる、みたいな展開はどうでしょう?(予想する側の人間が読者に聞くな)


自然と調和した都市開発はありうるのか?


はい、ポリコレ!
最近のポケモンは割とポリコレ(社会的正義を標榜すること)への挑戦(挑発)が好きみたいなので、本作は昨今はやりのSDGsをめぐる物語を作るのではないだろうか?


SDGs、持続的な開発目標の発祥の地はたしかヨーロッパで(間違ってたらすまん)、本作の舞台はまさにフランス・パリである。
ゲームフリークの挑戦は「そもそも持続的な開発とは何か?あったとしてもそれは実現可能なのか?」という、世界への問題提起をゲームにおいて表現することになるのかもしれない(知らない)。


私はついこの間、パリに行ってきました。も、もちろん、Z-Aの舞台のモデルとなる街を視察しにいったのさ!(嘘)


パリは美しい街でした、という話はさておき、フランスという国では当たり前のように「デモ」が行われているようで、実際に私もデモ中の集団に遭遇したり、大使館から「○月×日△通りで過激なデモがあるので近づかないように」とお達しを受けたりした。


基本的には過激なものは例外で、大半のデモは穏健的に行われる。私が遭遇したのは、黒人たちがどこどこと太鼓を打ち鳴らして高らかに歌いながら、横断幕を掲げて道路を練り歩くものでして。
参加者の中には笑っている人もいて、デモという言葉からは想像できないくらい「なんか、楽しそうやな」と思ったりした。


その後2時間くらいすると、私は解散後のデモ隊にすれ違ったけど、3人くらいで笑いながら家に帰ろうとしていた。日本におけるデモとは随分肌合いが違うな、と思った。


このように、パリでは政治的なデモ活動が日常茶飯事で、休日になると色々な団体がさまざまな主張を掲げて通りを歩く(らしいです)。
その多くは平和的で、ドライバーたちは道路を占拠されてもなんでもないように涼しい顔をしてするすると避けていく。


と、話が脱線したけど、言いたかったのは「パリが舞台だったらポリコレの話はしやすいだろうな笑」という個人的な感想でした。


ただ、「自然と調和した都市構想」は間違いなく「人間とポケモンは共存できるのか?」という、ゲームフリークに限らずポケモンというコンテンツそのものが常に問いかけているテーマに直結するため、Z-Aにおいてもやはり大きく取り扱われることは間違いないだろう、と思う、思うだけ。


もしかすると、主人公がX・Y団のどちらにつく(肩入れする)かによって、ストーリーが分岐する、なんてすごい展開が待っているのかもしれない(そういえばアルセウスでもシンジュ・コンゴウ団の選択によってカイちゃんとグレイシアおふぇふぇ


終わり(1行)


次回は何を書くかは未定。

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