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ポケモンが対戦に特化しない理由

スタバの店員さんにポケモンのマグカップを見せびらかして「かわいい!」と褒めてもらう「おふぇふぇ」な話。


読者のみなさんはポケモンSVの追加DLC「藍の円盤」をクリアしましたか? ちなみに僕はまったく手をつけておりません。それどころか、9月に配信された前編「碧の仮面」すらいまだにお面をもらっていない段階で、愛する嫁ぽけ=グレイシアに関連してイーブイの大量発生イベントで色証厳選をやった他には、ほとんどSwitchを起動することなく年末を迎えてしまった次第だ。


ストーリーすらクリアしていないということは、当然ながらランクバトルなんてもってのほか。だって、オーガポンも、ともっこも、テラパゴスも、アラブルエンテイ(お前は誰だ?)も捕まえていないし、新規内定組をポケモンHOMEから移送するのも億劫で、新たに登場したわざマシンも拾いに行く必要もあって、そんなわけでそもそも構築の組みようがない。2年半ほど義務マスボだけは続けてきたけど、今年の12月はついに1戦も潜ることなく終えそうだ。


こんな感じでゲームからはすっかり離れてしまったわけだけど、ではポケモンに興味がなくなったかと問われれば、そういうわけでもない。というのも、ポケモンGOは毎日起動して伝説レイドで色ゼクロムを捕まえたし、ポケモンスリープも毎日楽しくプレイしていて先日は色ソーナノに遭遇した。Switch以外のゲームは頑張っている、という感じなのだ、そーなのだ。


それからグッズの収集も相変わらずやめられないでいる。この間はスタバで使うための新しいマグカップを探していたところ、2年前のミスドのクリスマス限定マグ(グレイシアがいる!)を発見して即買い。さっそくスタバに持っていて使ってみたら、店員さんたちからも「かわいい!!!」と大好評でご満悦なのである。おふぇふぇ。


黒子「大きさでしか語れないとはお下品な!確かに今は未熟ですが将来性を考えればお姉様の方がおふぇふぇ\(//∇//)\」


そんなこんなで、ランクバトルはしないままで、ポケモン対戦から半分身を引いた状態でも、ポケモンライフを楽しむ日々は続いている。そして、そういう日を過ごすうちに気がついた。「ポケモンって、対戦に特化しないからこそ多くのユーザーを勝ち得ているんだ」と。


ポケモン対戦、やめてみない?


色々と事情があってnoteに記事を書くのはずいぶん久しぶりだ。書きたいという思いはなくもなかったのだけど、そして内容もあったりなかったりしたのだけど、とにかく思うところや諸事情があって書けないでいた。なかった、と、はっきり言い切れるのは時間と余力である。いまさらになって超電磁砲を3期まとめて履修していたせいではない。


文章を書かないでいた期間も、他の方の記事を読ませてもらっていた。それから、はるか昔に書いた記事にスキを頂いたり、コメントをしてくださる方もいて、しかもフォロワーが増えていたりもした。まったく記事を更新していないにも関わらず、気がついたら5万ビューをとっくに超えていて、ありがたくて嬉しいと同時に申し訳ないとも感じている。


その中でも、SVの対戦について記した「ポケモン対戦がつまらなくなった理由」みたいなタイトルの記事がよく読まれているみたいで、半年以上も前の記事にも関わらずいまだに閲覧数とスキが増え続けていて、コメントまで頂いた次第なので、どんなことを書いてあったか自分でも改めて読み返してみた。例によって色々と書いてあったけれど、一言で表せば「SVの対戦環境は複雑怪奇なり」といったところだった。


そう、SVの対戦は難しすぎる。そして手間がかかりすぎる。テラピース集めなんてやってられないし、テラスタルというバトルシステムは考えることが多すぎる。剣盾の頃は「アクアジェット(脳死ダイジェット) 吹っ飛ばしてけ〜♫」と鼻歌を歌いながら楽しく遊べたけど、「テラス択」の前では先の手をとことん考え抜くか、開き直って違う意味で脳死(=思考停止、ご都合プレイング)するしかない。そんなゲームは別に面白くないし、面白くないことのためにお遍路さん(=レイド周回)の勤行に励むなんてどだい無理な話どす(ドダイトス)


えーと、誤解を招かないために補足しておくと、「SVの対戦環境はクソだ」みたいなことを言いたいわけではない。むしろ「SV の対戦はよくできている≒エンジョイ勢向けではない」と言いたいのだ。言い換えれば、今作の対戦環境はあまりにもソフィスティケート(洗練)され、あるいは高度化されすぎてしまっていて、玄人にはこんなに奥深く面白いゲームはないだろうけど、ライト層が割って入るにはちょっとハイレベル過ぎる気がしている。


「テラスタルの哲学(=テラスタルとはなんぞや?の考察)」については気が向いたら別の記事に書きたいと思っているけれど、はっきりいって自信がないので書かずに終わりそうだ。それくらいテラスタルというバトルシステムは、これまでのメガ進化やZ技・ダイマックスとは根本からして異なっていると感じる。


過去作ではトップ・ランカーとして名を馳せていたプレイヤーの中にも今作では苦戦している方が少なくないことからも、やっぱりテラスタルは複雑かつ難解でこれまでのシステムとは本質的に違うことの証左ではないだろうか、と、つい穿った見方をしてしまうことをお許し頂きたい。


ポケモンをゆるく楽しむ


脱線しすぎてだんだん何を言いたいのかわからなくなってきたけど、要は「ポケモンの楽しみ方は色々あるんだなあ」ということだと思う。


対戦をやらなくたって、もっといえばゲーム本編すらやらなくたって、他のアプリだったりグッズ集めをするなど、いくらでも楽しみ方が存在することこそが、ポケモンが年齢も性別も国境も、さまざまな境界線をものともせずに広く愛される所以なのではないだろうか。


たとえば、うちのオカンはポケモンスリープを「カビゴンに餌をあげるゲーム」だと勘違いしながら毎日プレイしている。お手伝いポケモンから食材や木の実を「カツアゲ」して、カビゴンをお腹いっぱいにするゲームだと本気で思っているみたい。ついこの間は「カビゴンをお腹いっぱいにすると、どうなるの?」と聞かれて、「レベルを上げて珍しい寝顔を集めるんだよ」と説明したら、「あれ(=寝顔図鑑の報告)、めんどくさいからやりたくない」と返されて、思わず唖然としてしまった。それでも毎日カビゴンのためにカツアゲしてご飯を作り続けているからすごいんだけども。


対戦をやっていると、どうしても考え方やものの見方が「対戦ではどうか?」に囚われてしまう。新ポケモンが登場すれば「種族値は?特性は?技は?」とそればかり気になってしまう。あるいは、他のアプリでもいわゆる”ガチ勢”になってしまうと、強さとか効率とかそういうことばかりに目がいってしまうものだ。



それが悪いわけではない。


というか、そういう側面も間違いなくあるから、良いとか悪いとかの問題ではない。


ただ、ポケモンの本当にすごいところは、「ゆる〜く楽しむことができること」だということも、忘れないほうがいいのかもしれない。というか、何気なく毎日触れてしまうようなコンテンツを生み出したその戦略こそ、ポケモンがここまでボーダーレスに活躍の場を広げている要因なのだろう。


タイプ相性も知らない、ゲームの内容もよくわからない、キリンリキの名前をつい最近までキリリキンだと間違えて覚えていて、オタチのモチーフは狸でタブンネは豚だと思い込んで譲らないうちのオカンみたいな人が、なんとリリース以来7年もポケモンGOを続けているというその事実からも、ポケモンというコンテンツの「ゆるさ」というか、懐の深さに恐れ慄くに十分な気がしてならない今日この頃なのであったりあったり。


そんなわけで、僕はスタバのかわいい店員さんたちに褒めてもらうために新しいかわいいマグカップを探す一方でおふぇふぇSwitchを起動することなく2023年を終えようとしているという、久しぶりの記事にしてポケモンライフの活動報告をさせていただいてこの記事を終えようと思う。


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