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何処かでお幸せに


恋を自覚するきっかけが分からない。

「虹を見た時に一番に伝えたくなる」とか、
「好きになっちゃダメだと思ったら」とか、
「誰かに取られたら嫌だと感じたら」とか、
どれもイマイチしっくり来なかった。

少し前に友人が言っていた、
「触れたいと思ったら」が私の中では腑に落ちたのだった。

人に触れることも触れられることも基本苦手な私は、その髪に、手に、頬に、触れたいと何度願っただろうか。


大好きだった人との連絡をスッパリ断ち切ってから1年が経とうとしている。
私が退職した時、「連絡が途絶えたら死ぬ!!」くらいに思っていたのに死んでないし、元気だし、なんなら別の人と幸せになっているし。どうとでもなるもんだ。

思い出が美化されすぎているから、「あの時想いを告げていれば…」なんて考えてしまうけれど、実際は告げるまでもなく打ち砕かれた悲しい恋だった。そうだ、そうだった。

何故今こんなことを考えているかと言うと、百合漫画を最近読んだからというしょーもない理由なのだ。
ラブラブイチャイチャの話ではなくて、同性を好きになる辛さとか、周りに理解されない苦しみとか、付き合っていく難しさとか、すごくリアルだったから尚更。

交換したのがLINEだけでよかった。
Instagramとか、教えてくださいって言わなくてよかった。
近況がいつまでも見えてしまうから。まだ繋がってるような気になってしまうだろう。

彼女の声も仕草も、匂いももうほとんど消えかけて思い出せない。
きっとこの漫画を読まなければもっと思い出さなかっただろうに。

これは、いい傾向なのかな。

今更「元気ですか」と聞く気もさらさらない。
完全に忘れ去ったって、忘れ去られたって構わない。

でも『ピリオドを打つ.』と決心した時に「好きだったという記録」をわざわざ残した私が報われないかなー…なんて、思ったり。

まあ、だから何って
この記録を残す意味も本当はない。

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