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Nothingのワケ

今回も自分語りシリーズです✋


私は何事も長続きしません。

3年前、こんな記事を書きました。
今日はこの理由について分析したいと思います。


私は器用です。でも乏しいです。
いわゆる器用貧乏です。

私は"優秀"な子供でした。
一度教えられたことはすぐ守って、態度も真面目で、誰とでも平等に仲良くしました。
「ちゃんとしなさい」と怒られた記憶は思い出せる限りはないです。

誰かにそれを求められたわけじゃありません。
自分がそうしたくてしていました。
認められたくて、賢いと言われたくて過ごしていました。

自分でも自分のことを"優秀"だと思っていました。初めてのことでも、大概は周りの子より上手くこなせたからです。
学生時代は、「沢山努力してきたんだろうね」とか「いつも頑張ってるよね」とか言ってもらえた経験が数え切れないほどあります。嬉しい反面、心苦しかったです。努力した経験なんて一度もないですから。と同時に「人生そんなもんでいいんだ」と思いました。

この頃から「努力しなくても結果さえ良ければ褒めてもらえる」の認識がこびり付いていきました。
私は「チャレンジすること」を放棄しました。


私は完璧主義者です。
努力を放棄してきた奴が何言ってんだという感じですが、私の完璧主義は「完璧になるまで努力する」の主義じゃありません。
できるか、できないか。失敗か成功か。
私の世界は常に 0か100か なのです。

ここまで話してきた通り、私は努力せずに結果だけを褒められてきました。そのため、「今の自分のレベルで完璧にこなせること」「自分が少し"優秀"な立場で居られる環境」に飛びつくようになりました。

とはいえ好奇心は旺盛な方で、これまで様々なことに手を出してきました。
しかし、自分が納得できないor自分より優れた人が身近に現れると途端に劣等感に襲われ、最初からなかったかのように一切やらなくなりました。

学校は基本皆勤賞でした。
楽しくて仕方なかった!というわけでもなく、100じゃなければ自分が納得できなかったからです。
高校の時、インフルエンザで学校を休みました。その日の朝、熱っぽさを必死に隠してでも登校していたのですが、流石に顔色の悪さを指摘されて病院に行くことになりました。
今思えば感染症を広めに来た大迷惑野郎ですが、とにかく休まないことが私のステータスでした。
インフルエンザの診断を受けた時は「学校行けないどうしよう」で頭がいっぱいでした。
感染症は確か公欠扱いだったかもしれませんが、「毎日行っていた学校を休んだこと」が自責となって一週間部屋で泣き続けました。

私は人間関係(友人関係)も"評価"として捉えていました。嫌われるか好かれるかの0か100でした。とにかく嫌われることを恐れて誰にでも良い顔をする八方美人だったため、仮にも友達は多かったと思います。少しでもいざこざがあると縁ごと切りたくなりました。
最近『人間関係リセット症候群』という言葉をよく聞くようになりましたが、私の学生時代まさにこれでした。
小学校から中学校に上がる時、それまで仲良くしていた子とは全く関わらなくなり、一から人間関係を築きました。
高校に上がる時は、自分の中学時代の"キャラ"に納得がいかず、わざと遠くの高校を選んで一から人間関係を築きました。
また切れてもダメージが少ないように、広く浅くが基本でした。おかげで親友の存在が出来にくく、相談事をする相手も悩みました。

0か100か の私の世界は、別の言い方をすると 0か1か でした。
評価は0か100。失敗の数は0しか意味が無い。1でも受け入れられないのだと。

沢山あるように見えて、蓋を開けると何にもない。
『何でも出来るけど、結局何も出来ない人』の出来上がりです。


大人になってからというもの、まあ多くの壁にぶちあたりました。

まずは就職活動です。
「学生時代一番努力したこと」はどこの会社にも聞かれました。努力した経験がなかった私には酷な質問でしたが、幸い成績が良かったおかげで「努力して成績を上げました」のエピソードを捏造してあちこちで話しました。
「趣味はなんですか」の質問に対して、興味を持ってきたものは挙げられたものの、「特技はなんですか」になると途端に挙げられなくなりました。興味持っただけで何も極めてないからです。
ここで初めて自分の空っぽさに気づき、第一病み期に入ります。Nothingの記事を書いたのもこの時期です。
ここから性格が歪みまくって周りの人間に当たり散らかしますが、それはまた別の記事で。

また、実際社会人になってからが本当の絶望でした。第二病み期、人生最大の病みです。
今まで初めてでもそれとなくこなせてきた"器用"が社会人になってからは発揮されなくなりました。自分がいかに"凡人"かを思い知らされることになります。
職業柄、用語も技術も専門的でとても初めからすんなり出来る仕事内容ではありませんでしたが、出来ない自分にとにかく苛立ちが募りました。
「初めてにしては出来る方だよ!」とか「誰でも新人の時はこんなもんだよ」と先輩に優しい言葉をかけてもらいました。それでも、失敗は0か1の世界に生きている私にとって新人時代はまさに生き地獄でした。失敗の数が毎日毎日加算されていくわけです。自分の思ってた器用が発揮されない状態で完璧主義発動したらそらそうなりますわな。
ぶっちゃけブラックだったとは思います。勤務時間は普通ではなかったですし、上司はパワハラ気味でした。ただ、怒られた経験や努力で上がった経験がほぼゼロのメンタルは激弱ちゃんでした。私の自己肯定感は下り坂まっしぐらしました。「自分は優秀」が「自分はゴミだ」になりました。ここから鬱病に入りますがそれはまた別の記事で(2回目)。

人間関係を雑にしてきたツケも回ってきました。頼れる相手がいないということ。そもそも誰も頼ろうとしなかったどころか、自分から切ったこと。これが鬱に拍車をかけます。

これまで順調に進んでいたと思われた私の人生が鬱によって"失敗した"と認識し、人生自体をにしようとしたこともありました。


ここまで記事を書いてきて、文章もグチャグチャだし、なんか納得できないしで白紙に戻したい気持ちになっています。
でもここで辞めてしまうと記録に残らないので、一旦自分の評価は捨てて書き続けます。

結論、私の完璧主義は健在です。

子供の頃、私のことを褒めてくれた大人たちが悪いとはこれっぽっちも思っていません。
自分自身の成長やより良い結果を目指していたのではなく、「褒められること」のみにフォーカスしてきたがゆえの挫折だからです。
私は何も出来ない人ですが、『努力してる風に見せる才能』はあったのでかろうじて評価されながら生きてきました。それで生きてこれてしまいました。


こんな風に自己分析するようになったことは、私にとって大きな一歩だと思います。
社会に放り出されて絶望を経験し、それなりに"乗り越える"も経験したおかげです。
だからといって突然努力する習慣が身についたわけではなく、今でも楽して結果を得たいと願ってしまいます。
ただ、自分が「努力を放棄してきたこと」を認められた点とこの完璧主義がどうやって出来上がったかを考察出来た点は、非常に意味のあることだと思っています。

また、周りの人間を大事にするようになりました(出来てると思いたい)。
幸い私がイキってる時も、鬱で死にかけてる時も、変わらずそばに居てくれた人達がいます。
『陰キャが友達作りに励んだ結果』の記事にも書きましたが、病みには自分の話を聞いてくれる人がいるってのが最高の薬です。
いくら自分がちょっと優秀だろうが何だろうが、周りの人の助けがないと生きてすらいけないと痛感しました。


今は、自己分析が出来ただけ、です。分析止まりです。
じゃあどうすればいい方向に行けるか、改善策まで自ら見い出せるようになれば一番良いなと思いつつ。

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