2月の終わりって日曜日の夕方に似ている


2/20 何とか生きている。


日曜日の夕方の日射しが苦手だ。翌日からの仕事に不安を覚えるような、幼少期のことを思い出してひどく寂しくなるような、感情は複雑な色をしていて、とにかくそわそわする。なので、その時間帯はなるべく、夕方の日射しを感じ取らないようにやり過ごそうと努めているのだけれど、大抵は散歩し始めたい時間帯と重なってしまう。もっと早い時間から歩き始めれば良いのだけれど、土曜日に何か活動的な予定が入ることが多いので、日曜午前は身体がもっと休んでいたいと訴えかけてくる。自分の身体の声を聴いてやることも重要である。


今日も例によって、16時くらいから散歩することにした。3月も近づいて明るい時間は増えているけれど、それでも既に傾き始めた色合いに少し心を削られるような思いをしながら歩くのだと思っていたけれど、今日は少しだけ違った。墓所を抜け、直線に差し掛かった時、いつもの竹林が傾いた日差しで黄金色に染め上げられていた。綺麗な景色だった。

両脇を竹林に囲まれた短い直線は、この街で一番のお気に入りの場所だ。夜、駅方面から通りがかると、周りの一切の街灯の光が遮られて、頭上の星が良く見える。吐く息も凍るような寒い冬が特に綺麗で、オリオン座の左下でシリウスが、静かに、それでも力強く輝いている。


そういえば今年の初め、大雪が降った時にもその竹林を通りがかったのだった。雪が降るとなんだか楽しくなるタイプの人間なので、平日の夜なのに時間も気にせず、数センチは積もった雪を踏みしめ踏みしめ、ただ気が済むまで歩いていた。その日もいつもの竹林に通りがかると、枝葉は真っ白に彩られて、まるで別の国に来たような光景だった。重みで枝垂れた木々から雪を払うと、ぴんと勢いよく伸びながら霧のように細かい粒を散らすのがなんだか面白くて良い歳してしばらく遊んでいたっけ。

そんな寒い夜のことを思い出した。


最近、少しずつ寒さが和らいでいる。冬は好きだ。肌を刺すような冬の寒さだけが、自分の味方であるような感じがする。昼間、小春日和のような気温に、はっとなにかを感じて立ち止まる。いつかどこかで、同じ空気に触れたような気がする。それは実家のある田舎の景色だったか、入学したての大学の景色だったか、それともいつかの、桜を見損ねた春だったか。もう何も、はっきりと思い出すことは出来なくなってしまったけれど、ただ明け方の空気みたいな、抱きしめたくなるようなただただ寂しいような、そんな感情が自分の中にあったことだけを憶えていて、またやり過ごすことは出来るのだろうかと、春がただただ怖かった。

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