9月が来たら秋になった。

9月が来たら秋になった。いやいや、そんな単純な話があるか。

あれだけ鳴いていたセミたちはどこへ行ったのか、夜はもうチリチリと秋の虫たちが鳴いている。
駐車場の隅の草むらに近づけば、静かな虫たちの声に囲まれる。これじゃすっかり秋だ。今日も外ではしとしと雨が降り続く。秋の始まりに思い出すのは、静かな夜の住宅街。歩道の狭い上り坂のトンネル。少し湿った空気の中を、ひたすら上へと登ってゆく。

秋の始まりは、サークルの団体戦練習が始まる時期だった。一年のうち、一番真面目にテニスをする時期。団体練習と、いつもそう呼んでいた。いつも使っているコートにナイター設備はないし、何より秋から冬には16時以降使えなくなってしまうので、わざわざ清水ヶ丘公園のコートを取って練習していた。丘と名前の付くくらいなので、清水ヶ丘公園は高台にある。保土ヶ谷駅から15分ほど坂を登り、住宅街を抜けていくと、ナイターに照らされたテニスコートに辿り着く。全部で6面あっただろうか。19時から21時まで練習して、そこからとぼとぼ歩いて帰り、メンバーとどこかに食べに行く時も、食べに行かない時もあった。いずれにしても交通手段はほとんど徒歩だったから、練習の行き帰りだけで1時間以上歩いていた気がする。天王町駅から保土ヶ谷駅までの夜の道は、団体練習の思い出が染み付いているから好きだ。清水ヶ丘公園までの道は秋を思い出すけれど、天王町から保土ヶ谷までの道はどちらかというと、冬を思い出す。ウィンドブレーカーの下にダウンを着込み、ネックウォーマーに手袋もして、白い息を吐きながら歩いたことを思い出す。行きは大抵、一人で歩いていた。あの時、何を考えていたのだろう。翌日の授業のことか、研究室のことか、はたまた将来の不安か。ちょうど中間地点で右手に見える鰻屋が印象に残っているのは何故だろう。当時の横浜市の最低賃金より安いアルバイト募集の張り紙を見て、何かしらの不安を覚えたのかもしれないし、一度食べに来たいと思ったのかもしれない。何故だか連なって、本牧に近い中スポーツセンターの景色を思い出す。ギラギラと暑い夏の景色。自転車で向かっていたような、バスを使っていたような。バス停に並ぶスクールの生徒たちと目があって、気まずい思いをしたような記憶がある。

目はひたすら過去を向いている。まあ現実でも精一杯やっているつもりだけれど、今のところ生きれば生きるほど生きることが楽しくなくなる状態だ。
何かを頑張ろうというモチベーションが、ここ一年くらい全く湧いてこない。
なんとかどこかしらから絞り出して、日々の仕事を繋いでいる。仕事のために生きている。仕事が楽しいわけじゃなく、失敗しないよう、つつがなく進むよう、何事もなく終わるように、仕事を優先して生きている。かといって別に貯金はたまらない。何かの研究実績を積み上げているわけでもない。自分は今どこを向いていて、一体何をしているのだろうと、そう思う初秋。

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