踏み外した崖っ淵で手を掴んでくれているものは

最近、聴きたい音楽がほとんどない。ずっとピロウズを聴いている。ピロウズでなければ、さわおさんのソロを聴いている。つまり、さわおさんの歌しか聴いていない。

去年出たさわおさんのソロはとても良かった。アインザッツも好きだけれど、Black eyeとかとても良かった。伝わる人は少ないけれど。

これだけピロウズを推しておきながら、実はライブには一回しか行ったことがない。多分音楽好きな人々の中には、ライブこそが音楽だと考えている人が多いと思うけれど、自分は割と音源で満足してしまう。

もちろんライブにも行きたい。ピロウズの30周年ライブをとっくに逃していると知った時には割とへこんだ。その頃はあまり聴いていない時期だったというのもあるけれど。とはいえ一人でライブ会場に乗り込むほどの勇気はなくて、大抵は誰かと連れ立っていくしかない。

ところがピロウズ好きなんて周りにはほとんど存在しない。少なくとも自分の周りでは、ピロウズを教えてくれた中学高校時代の友人しかいない。大学に入ってから、ピロウズが好きな人には出会っていない。そもそも認知している人が少ない。

ついこの前出会った人は聴いていたと言っていた…とまた話が逸れそうになる。閑話休題。


ピロウズとさわおさんの歌には、どん底から引っ張り上げる力があるなぁとずっと思っている。他のアーティストさんが歌を聴いても、その世界の中に、自分の居場所はないように感じてしまう。

なんだか今の自分には、綺麗事に感じてしまうんだよね。希望だとか、明るい未来だとか、そんな言葉では救われない。今の自分に見えている景色はそんな綺麗なものじゃない。そんな言葉よりも、「人生はどうやってもクソだけれど、それでも生きていこうぜ」みたいな言葉こそが今はなんだか心地良い。別にさわおさんがそんな乱暴な物言いをしているわけじゃない。


雨上がりに見た幻という曲を初めて聞いたとき、これは間違いなく名曲だと思った。イントロのギターの音だけじゃなく、歌詞も、これはピロウズのこれまでの道の全てなんだと、当時でも思った。

雨上がりに見た幻という言葉が、つまり虹を意味しているのだと気づいたのは、確か学生の頃。大学までの坂道の途中、ふっと雨の止んだ空を見上げた時だったと思う。

虹というのが、つまるところHybrid Rainbowを表していると知ったのはもっと後、動画サイトで海外ユーザーがアップしているライブ動画に、"Hybrid rainbow after the rain."と記されているのを見た時だ。


今日もさわおさんの歌に、少しずつ救われている。

踏み外した崖っぷちで自分の手を掴んでくれているものは、虹ではなくさわおさんの歌かもしれない。

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