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広島市への原子爆弾投下による電力業界に対する影響

本投稿は、以下ツイートを再編集したものです。

昭和20年8月6日午前8時15分、米軍機によって広島市に原子爆弾が投下され、電力業界も壊滅的な被害を受けた。当時広島市の送電業務は日本発送電中国支店が、配電・営業業務は中国配電が担っていた。本稿では広島における電力業界の原爆被害・復旧活動について記す。

中国配電の送電系統図
配電統制令で統合される直前の中国地方電気事業者供給区域図

(1)日本発送電中国支店の被害状況

①中国支店の被害状況

日本発送電中国支店は現在の広島市中区大手町3丁目(現在の中国電力大手町寮付近)にあり、爆心地から900m地点であった。
※地図 https://t.co/HXTtGFz60P

 事務所建物は木造モルタル塗り2階建てだったことから、衝撃波で一瞬にして倒壊した。中国支店には224名が在籍していたが、原爆投下時に出勤していた社員は117名。うち、70名が即死若しくは直後に亡くなり、生き残った社員47名のうち45名も1年以内に亡くなった。その他、出勤経路や自宅での犠牲者は52名に上った。

②中国給電課長による東京への速報

 日本発送電は生き残った社員が業務を続行した。広島県安芸郡府中町の中国給電所(現在の中国電力ネットワーク東広島変電所)に勤務していた原田信夫中国給電課長は、原爆さく裂直後に保安通信電話回線を活用し、本店に対して「火薬庫爆発、死者無数」と電話速報を入れた。保安通信電話回線は山間部を通過する送電線に併架されていたことから、空襲の被害を免れていた。

日本発送電広島地方電力所から本店に送信された原爆投下詳報の写真電信

 電話を受けたのは後に中国電力初代会長に就任する進藤武左ヱ門工務部長であった。進藤部長は即座に陸軍に報告したものの、「デマを飛ばすな」と怒られてしまった。
 原田中国給電課長は6日13時20分に詳報第一報となる「広島市内爆撃ニ依ル被害報告(委託通信)」を、第二報を6日19時30分に、第三報を6日23時に発している。後に原田課長は原爆症で亡くなった。詳報第一報は「本日八時一〇分頃B29少数機広島市内ニ強力ナル爆撃ヲ行フ 市内1/4爆弾ヨリ倒壊又ハ被害ヲ受ケ市内数力所ニ火災発生中」等、原爆投下当日の報告としては非常に詳細なものである。

(2)中国配電の被害状況

①本店

中国配電本店は爆心地から650m地点、現在の中国電力本社の位置に所在し、鉄筋コンクリート造5階建ての建物であった。広島への空襲は比較的少なく市内の被害も軽微だったこともあり、中国配電本店は本格的な被害は免れていた。ただ、4月30日の第2回広島空襲で隣接民家に爆弾が直撃、本館2階応接室のカーテンに燃え移り、危うく全焼するところであった。
 原爆投下によって中国配電本店では死者147名、負傷者79名を出した。当時の様子は、原爆投下時に本店に出勤していた森脇小祐常務取締役の回顧録が詳しい。同氏の回顧録によると、被爆直後に原爆の光線を浴びた紙類が自然発火、生き残った社員が消化活動を行なったものの、火勢は衰えずに間も無く全焼した。大久保住吉副社長をはじめ、生き残った社員は比治山方面へ避難したが、警備中の憲兵に促され宇品から似島に避難した。森脇常務は翌7日朝3時頃に本店に戻ったが、死者・負傷者・行方不明者の名簿が張り出されていたほか遺体が安置されており、復旧工事にあたる作業員の拠点として活用されていた。
本店ビルは後に改修され、9電力体制発足後も中国電力本社として引き続き活用された。

全焼した中国配電本店

②広島支店・広島電業局 

 広島支店・広島電業局は本通付近にあったと推定される。爆心地より500m地点、建物は木造2階建てだった。原爆による爆風で建物は完全に倒壊・全焼し、死者116名、負傷者27名を出した。

広島支店の建物

③発電所

 爆心地より2.3km地点に所在している千田町火力発電所が全壊の被害を受けた。当該発電所は老朽化により休止中であり、開閉所併設の変電設備を配電用変電所として活用していた。爆風により屋根・窓が全壊、煙突の一部が倒壊した。続いて隣接する材木倉庫で火災が発生し、ボイラー・発電機・配電盤室に延焼、最終的に全焼した。

全壊した千田町火力発電所
千田町火力発電所発電機室
千田町火力発電所ボイラー室

④変電所

 大手町変電所が全壊の被害を受けた。同変電所は空襲疎開により7月から運用を休止しており、変圧器4台のうち1台は江波変電所に移設していた。建物は鉄骨モルタル塗装3階建てであったが、爆風により建物は全壊、周囲の火災により全焼した。

全焼した大手町変電所

その他、段原・三篠変電所は中破、南部・江波・庚午変電所は小破の被害を受けた。

⑤配電設備・需要家

 配電設備の影響は甚大であり、多くの木柱が焼失する被害を受けた。他方、生き残った木柱の被害状況では、100m以内の爆心地付近の木柱は垂直荷重の爆風を受けたことで損害率は10%程度と意外と被害が少なく、100-1000m付近の木柱の被害は30%程度である。鉄柱は支持物の2%に過ぎなかったものの、多くの鉄柱が爆風の影響を受けたため被害率は相当高く、2000m以内に設置されていたものは75%が被害を受けた。

出所:中国配電
段原変電所付近の鉄塔倒壊状況

 需要家は戦災前に電灯75,101件、電力4,550件存在したが、電灯需要家は73%、電力需要家は54%が被害を受けた。

電気設備・需要家の被害状況

(3)復旧

 中国配電では8月8日朝に鈴川社長、大久保副社長、森脇常務、新持理事、富田理事が本店に出勤し、復旧対策方針を協議した。しかしながら、本店・広島電業局の職員は殆ど重傷を負っており、復旧活動に当たったのは出張等で無事だった本店職員、広島電業局の職員に加え、7日に到着した呉、可部、三次、竹原、岩国の各電業局からの応援隊であった。また、同日中に陸軍船舶司令部から応援部隊が派遣された。
 7日に段原変電所の応急修理を行い、宇品地区への供給を再開、8日には広島駅一帯や中国配電本店への供給を再開した。その後の復旧活動も目覚ましいものがあり、8月18日には広島市電が運行を再開、8月20日には残存家屋の30%への供給が再開され、11月末には全被害地域への供給が再開された。

復興が進む広島市内

(4)出所

・中国配電株式会社「中国配電株式会社十年史」
・中国電力株式会社「中国電力50年史 : あなたとともに、地球とともに」
・日本発送電株式会社「日本発送電社史 綜合編・技術編・業務編」
・志村嘉一郎「電気事業起業家と九電力体制」
・広島市「広島原爆戦災誌」
・広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会「原爆災害ヒロシマナガサキ」

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