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鬼火

目を閉じて、そして開いた。
目がとらえた景色に差はない。
太陽の陽が絶えず地上を照らしていた頃とは裏腹に、
現在の地上は、肉眼では1歩先を見ることも叶わない。
目の前に差し出した掌の形すら目で追えないほどの闇だ。
当然、行動するにも大きな制限がかかる。
寝床から立ち上がり、壁伝いに光源へ向かって歩く。

石に彫って伝えられた数百年前の景色では、「『蛍光灯』が明るく『街』を照らし続けていた。」
という記述が見られるが、そんな夢みたいな世界があるのであれば行ってみたいと常に思っている。
尽きない光源の下、人が互いの街を行き来し、話したり交易をしたり遊びに興じる。
過剰な光源で星が見えないと嘆いていた文明は、遠く昔に炎の中に消えた。

僕たちは等間隔で追従する灯り、『蛍火』を利用して闇を開く。
これは腕輪との距離を測り、自動的に距離を調節して光続けてくれる。
この世界で唯一移動する人工光源だ。
そして、共同体の真ん中にある固定された光源『灯火』が照らし続けている。
古くは野営時に木を組んで炎を燃やすことで光源を得ていたことがあったようだが、
今では燃やすために木を切ることはなくなっている。利用できる資源はあらかた無明の闇の中に沈んでしまった。
そこで重要となってくるのが狩人の存在である。
光源の周りに住み、蛍火を利用して未開の地を進み、灯火を配置し道を作るのだ。
しかし灯火に灯した炎の命も有限だ。
誰かが炎を灯し続けなければ、せっかく先人が開いた道も再び闇の中に沈む。
そこで、僕の家はこの暮らしが始まった頃から灯火を継ぐ仕事をしている。
1日1回、共同体から目的地へと続いている灯火の火を継ぎに出掛ける。
今維持し続けているのは、この共同体を守ったと伝えられている護り木の像までの道、
灯火や蛍火の原料となる石柱の採掘場までの道、この2つだ。
僕が仕事を引き継ぐ前にはそれ以外の道もあったようだが、父の代であまり使われない道は今後灯火を灯さないことを決めた。
村の年長者は道を維持するよう最後まで抵抗したが、父が「では、私とともに炎を灯し続けてくれる人はいるのか」
と問うと、頷く人は誰も居なかったという。
継続して変わらない状態を保ち続けることはとかく当たり前と思われがちだ。
苦労の割に成果が見えづらい。その割に変化が起こった際にはすぐに槍玉に上がる。
嘆く父の言葉とその意味することは、幼心に染み付いた。

目的地までの道の灯火を灯し終わると、僕は懐から蛍火を呼んだ。
そのまま昔闇に沈んだ道を歩いていく。
道は使われないと荒れるという、父の言葉を思い出した。だから僕たちのように火を灯し続ける人間が必要なのだと。
そう言いながら父は洋服の胸のあたりをぐっと掴んだ。その部分に対して言い聞かせるように。

湖についた。ここは共同体の誰も知らない場所だ。
夜の暗がりの中に溶け、風のない日は音もなく凪いだままとなる。
外部との交流が閉じた共同体の中で、唯一心置きなく休める場所だった。
僕は目を閉じ、風の音で耳を洗いながら大きく息をついた。

「『鬼火』っていうのがね、水平線に見えるんだ。
ぼぅっと青白くて、形が定まっていなくて、左右にゆらゆら揺れる。
『何かあるかもしれない』って思った人たちが吸い寄せられるようにいくんだけれどもね、
 結局何も見つけられずに帰ってくるか、そのままいなくなってしまうか。
 いずれにせよ血眼になって追い求めるものではないさね。ようく覚えておくんだよ」
幼い頃に、祖母から聞いた言葉が脳裏に浮かんだ。
風で音が振り払われた耳には、記憶の声がよく届く。
真っ先に思い出せたのは祖母から話を聞いた時と同じく、僕は心をひとところに落ち着けてぼぅっとしていたからだろうか。
祖母の家には形にはならない安心感のようなものが漂っていた。
招かれた家の中には線香が焚かれていて、空気の中に落ち着きが薫っていた。
最近起きた出来事や言い伝えを語る祖母の声を聞く時間が好きだった。
あの空間の中にもう一度戻りたいというのは過ぎた願いなのだろうか。

故人になってから、祖母が住んでいた鉄板の建屋はすでに更地になった。
記憶の中にしかあの場所は存在しない。

僕はぼんやりとこれからの日々を思った。
このまま今の生活を続けていれば、確かに安全は保証されるだろう。
しかし、日々を重ねるにつれて安全の輪の内側が煮詰まっていく錯覚を覚えるようになった。
安全のために、不確かな選択肢をとる勇気が少しずつ確実に奪われていく。
平穏な生活のために、波風を立てるような噂を流す人が村八分にされる。
変わらないことを尊ぶために、他人の少し違った部分に対して陰口を叩く。

変化がないことを守るために、かえって望まない方向に歪んでいくのを感じていた。


遠くに鬼火が光った。

初めは目の錯覚を疑った。しかし錯覚にしては光が灯る時間が長すぎた。

ぼぅっと青白くて、形が定まっていなくて、左右にゆらゆら揺れる。

あの日祖母から言い伝えで聞いた姿と全く変わりがなかった。

ありもしない希望が見えているのだと、人は私を罵った。
しかし、水平線の向こう側に揺れる鬼火はほのかに道を指し示していた。
あの光はこれから重ねていく日々の終わりを告げる嚆矢だったのだ。
その兆候に応えるために、僕は闇の中を進まなければならない。
胸を衝かれるような使命感に駆られ、旅支度を急いだ。
僕にだけ見える予感に従うために。


背中に背負ったリュックの中に、石柱をありったけ詰めて鬼火の見えた方角へ向かった。
初めは投棄された道だったので、道端にある灯火に2個飛ばしで火をつけて進んだ。
時々振り返ると、僕の進んだ道のあとがくっきりとわかる。
それが楽しくて、陽気に早歩きしては振り返った。

途中で灯火の道が途切れた。
振り返って道のりを確かめると、初めに火をつけたあたりが薄く小さな光になっているのがわかった。風が吹けば一瞬で消えてしまうほどか細い光だった。
僕は自分のしていることが恐ろしくなってきた。
真っ暗闇の中に吸い込まれて、そのままどこにも行きも戻れもせずに、膝を折る自分の姿を幻視した。
そんなはずがない、そんなことになるはずがないと僕はかぶりを振って、また闇の中へと一歩を踏み出した。
前へ前へと進むたびに、背中に背負った石柱の束が軽くなっていくのがわかった。しかし先が見えないという重暗い気持ちが徐々に足を鈍らせた。
それでも立ち止まるわけにはいかなかった。
ここまでやってきたのだから、あとは無くなるまで歩き続けようと思った。

それで本当に良いのかと、心の声が罵った。
ここまでやってきたからというのは、自分に対しての言い訳に過ぎない。
本当は自分のやってきたことが無駄だということを、認めたくない悪あがきではないか。
ここで何も得られずに帰っても、居場所がないことに気づいて怖くなっただけではないのか。
共同体の人間は泣くだろうな。無為に石柱を台無しにして、闇の中でのたれ死んだ大馬鹿ものと罵るだろうな。
心の声に絆されかかけたぼくは、ぐっと胸のあたりを掴んだ。
変わらないことに直面しても、黙って前に進み続けた姿を胸のうちに呼び起こしていた。

闇の中に、鬼火が灯った。
心の声が、お前の見間違いだよ、全て投げ出してしまえよとささやいた。
僕は耳をかさず、リュックから石柱を取り出して蛍火の準備を始めた。
もう1度、青白い炎が闇の向こう側に見えた。
折れかけた心の火が灯った。
両肩に肩紐を通して、リュックの重さを確かめた。
塞いだ気分がどこかへ消えたからか、随分と軽く感じた。

鬼火の村についた。
10数年ぶりの異邦人の来訪を、共同体の人は暖かく迎え入れてくれた。
暖かいスープにパン、希望するならいつでも火を焚いて湯あみをすることもできるという。元いた村では人目を憚りながら間隔を置いてしていたことだ。
鬼火の村の資源の豊富さに目を丸くしてしまった。
僕は鬼火について尋ねた。
年に一度の祭りの日に、豊穣を祝うために木組の像を燃やして青白い光を得ているとのことだった。
帰って皆に知らせようかと思ったが、新参者の僕に石柱を持たせるほどお人好しではなかった。
僕は旅の果ての村で、再び灯火を灯し始めた。

年に1度の鬼火の日、僕は木組の像を燃やし始める役を買って出た。
僕は青白い炎を燃やしながら、心の中で声高に顔の見えない誰かに呼びかけていた。

誰か、未来の変わり目に気づいてくれと。

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