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小さな「箱」というのがわかった瞬間

まだわが子が生まれて間もない時、ぼくはサラリーマンをしていました。

ぼくは外で稼いでくる人、妻は家で子供を育てる人。

当時、今では考えられない紋切り型の思考でいた時分です。

夜中、赤ちゃんはぐずり、泣きます。
おっぱいを飲みたい、おむつを替えてほしい、ちょっとかゆい、などなど。

言葉が話せないぶん、泣くしかありません。

でも、当時会社でストレスと疲労でパンパンだったぼくは、夜中わが子の泣き声に気づいていながら妻に任せていました。

思えば妻だって初めての子育て。
相当疲れていたはずです。
ロクに寝ていない。

でも・・・
・仕事で疲れているんだよ、ぼくは。
・上司と部下の板挟みでストレスフルなのだ。
・明日も結構早いんだ。

そんなことを心の中でつぶやきながらぼくは赤ちゃんの泣き声をよそに再び眠りに落ちていったのです。

かれこれ10年も前の話ですが、書きながら恥ずかしくなります。
極めてナンセンスなパパでした。

そんな時、たまたまある本をすすめられて読んでいました。

めっちゃオススメされたにも関わらず、正直内容が全く入ってきませんでした。
なんか大事そうなことが書かれているけど、何か頭に入ってこない。

本ってそんなときないですか。
じぶんの読解力のなさを棚に上げていますが(笑)。

「小さな箱って結局ナニよ?」

一向に理解ができないまま、何となく途中で読むのをやめてしまいました。

でも、ある日の夜中。
いつものようにわが子が泣きはじめ、妻も寝落ちしてしまっている最中、いつものようにオレは明日のダイジなプレゼンのために寝なければ、、、と言い聞かせていた瞬間、

「ん、これか!このことか!?」

と、イナヅマのごとくわかったのです。
(自分なり、にですが)

あ、おれは今必死に自己正当化している。

自己正当化という小さな箱に入って、引き続き寝ようとしている。

(泣くわが子を妻に任せて)


あーハコってこのことかい!と。





整理します。

「わが子が泣いている」という事実。

気づいたぼくの目の前には、2つのパターンが登場します。

今までどうり、聞こえていないふりをし、自分に言い訳という名の正当化をして寝続けるという選択(=箱の中)

よしここは出番だ!とばかりに起き上がり、わが子の紙パンツを確認し、必要であれば交換し、抱っこしてよしよしとする、という選択(=箱から出る)


自分はどっちを選ぶのか。
真実の瞬間です。
どっちを選ぶ自分が好きなのか?


ええぃ!いざ、箱から出るべし!


と、いうこと。

日常の中では小さなことが多々ありますよね。

お、トイレットペーパーが無くなった。
新しいものをセットする。

あ、ゴミが落ちている。
拾う。

洗濯機が止まった。
干す。

要は、気づいた自分がやる。
誰かがやるのを期待するのではなく。

そこでじぶんに言い訳や自己正当化するのではなく。

ただそれだけなんだ、と。

それからぼくは子育ても家事も当たり前のようにやれるようになりました。
気づいたら動く。
でないと自分が気持ち悪い。

仕事の取り組み方にも好影響がありましたよ。

読みかけだった本書、間を置きながらも読了しました。
いやーずっとぼくは何十年とハコに入っていたのかもしれない…

本書は他にもたくさん大切なことが記された良書でした。
人間関係で悩んでいる方(みんなみんな!)、よかったら手にしてみて。

じぶんの身近なことに置き換えながら読まれると比較的理解が進むと思います。

そして、理解というのは時間差で突然やってくることがあるということ。
いま分からなくても構わない。
人にはタイミングというのがあるからね。

どうぞご参考までに。
それでは、また。



ありがとうございます。とってもうれしいです。